- Amazon.co.jp ・本 (96ページ)
- / ISBN・EAN: 9784780307139
作品紹介・あらすじ
日本はいま、民主制から独裁制に移行しつつある-著者初の本格的憲法論。日本の民主制と憲法の本質的脆弱性を考える。
感想・レビュー・書評
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この本、もっと皆が読んだ方が良い。
なんて平たい言葉で、なんて「憲法」というものを解り易く語るのでしょうか!この方!!
長い本じゃないんだし、このタイミングで、絶対国民皆が読んだ方が良い!! -
安定の内田節。
内田樹を読んだことがなくて、改憲の是非についてメディアに流布されている議論の全てに「そういうことじゃなくない?」と思ってる人に、特に薦めたい。
「憲法」の「空語」を「満たすために」。
そのタイトルを見ただけで、一体どれだけの人がその真意を汲み取れるだろうか。内田老師の凄みと愉快さは、このタイトルで既に炸裂しているのだ。
とはいえ、個人的には、内田先生の本はたくさん読んでいるので、目新しいものは無いです。 -
左派バリバリ。空語って。。。なんか文句つけてるだけに見える。
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6
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2015.3.27市立図書館
2014年5月に神戸の憲法会議で講演したもの。
だから2時間ぐらい集中すれば読める。内容は濃いがわかりやすい。よくわかって、怖くなる。
閣議決定で憲法解釈を変えられることへの危機感のなさは独裁に違和感を持たないサラリーマン的思考、「有限責任」感覚のせいではないか、という説得力のある仮説を展開。破産・清算できる株式会社と国家は違うのだ、ということをキモとして、憲法とはどういう存在であるのか、自民党改憲案がなにを目指したものであるのか鋭く指摘していく。
眼から鱗、はじめて知ることもたくさんあった。フランスが本来第二次大戦の敗戦国であったこと、シンガポールが「明るい北朝鮮」と形容されるほどの独裁体制であることなど。 -
神戸市と神戸市教育委員会の公平な態度に注視する
憲法は誰のためにあるのか。守らなければいけないのは国民ではない。国という運営機関、政府である。
憲法がどうのこうのという問題よりも今の日本が日本であり続けるために何をすべきかという事の方が大切だと思う。根本的にこの国はグローバル社会という名のもと日本人としての土台となりうるあらゆるものを放棄しようとしているよう感じる。そこまで日本という国が住みにくいのならとっとと外国に出て行ってもらって構わない。本当にこの国を良くしようと考える人たちは二番、三番とたくさん控えている事だろう。確かに一時的な繁栄は落ちるかもしれないがグローバルという膿を出す期間だと思えば大したことはない。
日本という国はそんなにも依存を必要としている国なのだろうか。豊かさはもうすでにいやというほど手に入れている。しかしその豊かさというものを扱う精神が狂っているだけだその流れにこの憲法改正問題が現れているとしか思えない。
憲法学者に用事が増えるというのは良い時代ではない
12
99条 天皇又は摂政および国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ
憲法遵守義務が課せられているのは公務員だけです。一般国民には憲法遵守義務は課せられていません。18
自民党改憲案 102条
全て国民は、この憲法を尊重しなければならない
衆院と参院が違うロジックで、違う立場で、違う視点から政策の適否を検証する。そのためのシステム
ねじれているのが常態なのです。 63
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2時間で読めます。多くの人に読んでもらいたい本です。
憲法を改変する、ということを首相はじめ堂々と発言して久しいですね。
第九条を止めて、「戦争をすることもできる国」にしたいみたいですね。
この本は、講演で内田樹さんがしゃべったことをベースにして作られたようです。内田樹さんの本の作り方の一つですね。
神戸市で行われた、「憲法を守ろう」的な集会での講演だそうですが、
●神戸市がこの会に協力してくれなかった。
という状況から話が始まります。
「憲法を変えよう」とする自民党安倍政権勢力の、破たんしているところ、矛盾しているところを、どんどんと指摘します。
破綻とか矛盾とか言う以前に、「なぜ」「誰の為に」というところですね。
そして、「多くの人はピンときていないんでしょうが、憲法改変を許すと、エライコトになりますよ」ということを判りやすく説明してくれます。
そして、どうしてそうなっているのか。
結局は、「アメリカ覇権主義的な、経済利潤優先のヒエラルキーの暴走」である、と。
その過程として、あまりにも金額的な成果主義に満ちた、「株式会社的な考え方で国家が運営されること」という指摘。
これは、別の本で内田さんが書かれていた、
「長い長い時間が経たないと、成果なんて判らないものごと」
と、
「すぐに数値で結果が出るものごと」
を混同してはいけない、というお話と似ていますね。
そこからさらに、「グローバル企業化」していく国家運営は、「国民国家、国土で暮らす人の幸せ」と、究極、相反してしまうことを述べられています。
内田さんは、「憲法を盲目的に守るべきである」という風には言っていません。
また、「日本固有に作ったものだから守るべきである」という不毛な出自論もしていません。
「70年と言う長い歳月、日本の軍隊は外国で殺人を行っていない。これは世界史的に物凄く奇跡的なこと」
ということの価値をどう考えるのか。
叫ばれている「経済再建」ってなんなのか。
数値や株の値段が上がること。経済という人質をとり、「戦争できる国家」を作っていくのは、誰の為なのか。
そもそも、今、僕たちの目の前で行われている政治は、ほとんど、「独裁」である。という視点。その理由。
そして、この本に書かれている視点を、全く国民に提供できないテレビ報道。
テレビニュースを信じてはいけません。
冗談じゃなく、信じられない報道、ニュース番組の作られ方だと思います。
報道にも言論にも抑圧が始まっていますね。
それを弾圧に変えて、法の正義の下に裁くことができるようになるように、憲法が変えられようとしています。
安倍さんの考えに反対することが、「違法」にすることができるように、憲法が変えられようとしています。
2時間で読めます。
この本を、一人でも多くの人に読んで欲しいです。
ほんとにたまたま、並行してアメリカ現代史の本も読んでいるのですが、怖いくらい相互に照らして良く判る印象でした。
かもがわ出版さん、パチパチ。 -
内容としては、首肯できる点もあれば、首を傾げざるを得ない点もありますが、いつもながら情理を尽くして語る内田先生の姿勢には頭が下がります。
憲法といえば、改憲派、護憲派があるわけですが、どちらに属していても、双方にとっての反対派を、情理を尽くして説得しようという人に残念ですがこれまで会ったことがありません。
それどころか、この人はまず自分の党派があって改憲派、護憲派を決めているのであって、そもそも日本国憲法を読んだことがないのではないかと邪推してしまうこともしばしばです。
なんて偉そうに言っていますが、実は私自身も日本国憲法を虚心坦懐、熟読したのは昨年が初めてです。
いやはやなんとも、あいすみません…。
本書は昨年5月3日の憲法記念日に、神戸市で行われた兵庫県憲法会議主催の集会で行った講演に加筆したもの。
ブックレットでわずか95ページですから、あっという間に読了しました。
内田先生はまず、日本国憲法について「本質的な脆弱性があった」と述べ、こう自説を展開します。
「先の戦争にあまりにひどい負け方をしたために、戦争が終わったあとに、敗戦責任を引き受けることのできる主体を立ち上げることができなかったという歴史的事実が憲法の本質的脆弱性の起源にある」
立憲主義の原則があるにもかかわらず、当今の政治家や公務員が憲法を軽んじる動きが顕在化しています(本書にその例がいくつも出ています)。
その原因を、そもそも日本国憲法の起源において「私が憲法を制定する」と名乗る主体が生身の人間として不在だったという原事実に求めるのは深い洞察であるとともに、皮肉といえるかもしれません。
ただ、だからこそ、この制定の主体がなかったことを原因とする憲法の「空語」を私たち日本人自身が充たそうという内田先生の主張は、なかなか気宇壮大ではありませんか。
今の国家の統治者が「株式会社の論理で政治を行っている」かどうかは私には判断できませんし、「日本のシンガポール化趨勢」というのも必ずしも理解できませんが、たとえば自民党改憲草案で「居住・移転および職業選択の自由」について規定した22条に対する解釈は慧眼だと思いました。
まずは、ご覧いただきましょう。
・現行憲法「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」
・自民党改憲草案「何人も居住、移転及び職業選択の自由を有する」
同草案は現行憲法と比べ、基本的人権を制約することにその特徴のひとつがありますが、この22条だけは無制限の自由が保障されているのです。
これについて、内田先生は「間断なく移動し、住むところを変え、職業を変え、所属組織を変えるプロテウス的な変身を繰り返す人間こそグローバル資本主義社会に最適化した個人のありようである、と彼らが信じていたからです」と私見を述べています。
おおお、何と。
ナショナリズムを呼び起こしながら、国民国家を解体するという、かなりアクロバティックなことをやろうとしているわけですね。
この機会に自分の立場を申しますと、私は潜在的な改憲派といえるかもしれません。
現行の憲法よりも優れた憲法ができるなら、変えるに如くはないと考えています。
憲法は不磨の大典ではありませんし、手を触れるのは一切まかりならんというのはあまりにも頑な態度と思います。
ただ、昨年、日本国憲法を熟読して、正直言って「文章が美しいなぁ」と思いました。
英文を和訳したため「翻訳調でけしからん」と批判する向きもありますが、翻訳調なのがただちに悪いわけではありません。
たとえば、これは別のところで書きましたが、日本最古の聖書訳(ヨハネ福音書)にはこう記述されています。
「ハジマリニ カシコイモノゴザル。コノカシコイモノ ゴクラクトトモニゴザル。コノカシコイモノハゴクラク」
翻訳調の最たるものだと思いますが、言葉がある種の霊性を帯びて読む者に文字通り神々しさを感じさせます。
村上春樹さんは若い頃に米国文学に相当入れ込み、文体が翻訳調であることで知られていますが、それが彼の評価を貶めているどころか、むしろ魅力として名声を高めることに寄与しています。
私は変えない方がいいと思うな、ホント。