米中の狭間を生き抜く

著者 :
制作 : 新外交イニシアティブ(ND) 
  • かもがわ出版
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本棚登録 : 20
感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (112ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784780311952

作品紹介・あらすじ

米軍基地を市民力で撤去し30年、大国米中を相手にしたたか外交を続けるフィリピン。「駐留なき安保」は可能か-アメリカ一辺倒の日本に問われる国民主権外交。

感想・レビュー・書評

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  • 日本と同様にアメリカの基地問題で
    苦しむフィリピンが
    どのようにしてそれを解決していったか。
    時系列を含めてわかりやすく解説。
    同い年の外交評論家が著者なので購入。
    そういう意味では執筆者が4人で分担していたのが
    残念ですが
    補って余りある知識を吸収できました。

  • 【米国一辺倒のわが国へ したたかな外交と国民主権の提言】
    近年の米中対立激化の中で、ASEAN各国は「Don‘t make us choose(我々に米中いずれかを選ばせるな)」という叫びを共有している。それに対してわが国は、米軍と自衛隊の一体化の道をひた走り、米国の世界戦略の一部を担うようになっている。
    本書は、こうした国際情勢の中、したたかな外交を展開し、「米軍基地なき安保」を貫くフィリピンの経験から学び、一歩足を止め、基地の負担にあえぐ沖縄への回答をも考えるきっかけとなることを意図している。フィリピンが米軍基地を撤去させた経緯やそれを実現した市民の動き、撤去後の状況や訪問米軍地位協定、防衛協力強化協定など、「米軍基地なき安保」の実像とともに、こうしたフィリピンの抵抗の歴史の中で、主権者である国民が声を上げ、常に議論し、自らの国を変革してきたことが描き出される。
    「米軍基地なき安保」を志向するフィリピンの経験は、わが国の安全保障、沖縄の米軍基地問題を考える上で大きな示唆を与えてくれる。(本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会/吉村)

  •  編者の猿田佐世氏は、弁護士として外交問題を研究する新外交イニシアティブ(ND)代表を務める。日本は、敗戦後の米軍占領統治と日米安全保障条約と日米地位協定により、米軍駐留を許し続け、駐留米兵が起こす事件も日米地位協定が警察や司法権を大きくゆがめる。一方のフィリピンは、アジア太平洋戦争後に米軍駐留を許し、ベトナム戦争では日本の沖縄同様にアジアの重要な拠点となる。しかし、1965年に誕生したマルコス政権の独裁政治を経て、非暴力を貫くベニグノ・アキノの暗殺で、大きな国民運動となりピープル・パワー革命でマルコス政権を退陣させ、妻のコラソン・アキノ政権で民主化をはかる。国民的議論を深め、米軍駐留撤退を勝ち取り、旧米軍基地を経済利用して、めざましい経済発展を遂げる。しかし、中国の脅威と米軍の圧力に対して微妙な外交バランスを取りながら、比米軍事訓練は日本より数多く実施するなど安全保障政策を続ける。米軍が駐留しない中でしたたかな安全保障と外交政策で、紛争や戦争を回避し、非核政策をとりつつ、貧困と格差の課題は残しつつも毎年の経済発展を続けるフィリピン。一方で、フィリピンも加盟するASEAN(東南アジア諸国連合)も米中が無視できない組織として、国際平和への存在価値を高めている。
     本著で、フィリピンの歴史と外交政策を学ぶ時に、同じアジア圏であり北東アジアの平和外交日本を展望し、沖縄県の一部の駐留米軍基地撤去後にめざましい経済発展を遂げている例など、対米従属路線一辺倒の日本の外交政策を見直すべき視点、国民世論と民主主義成熟の重要性を痛感した。

    <蛇足>
     フィリピンは、16世紀から333年間スペインの植民地支配が続き、19世紀後半に米西戦争で米軍支配となり、1941年旧日本軍が侵攻し、マニラに軍政を敷いた。アジア太平洋戦争後は、再び経済的、軍事的な面からアメリカの実質支配を受けながら歩むことになる。アメリカ流の政治システムが採用され、大統領制や上院・下院の2院制が導入された立憲共和制をとる。しかし、民主主義は形骸化し、1965年に誕生したマルコス政権は、1972年に戒厳令を敷き、独裁政治を行った。議会は閉鎖され、政治機能が停止した上、反体制的な政治家やジャーナリスト、活動家など8000人が拘束された。マルコスの政敵であったベニグノ・アキノ上院議員は7年8ヶ月も牢獄につながれ、病気治療でアメリカに亡命した。ベニグノ・アキノが帰国した直後にマニラ国際空港で暗殺された。この暗殺事件を機に反マルコスの国民的な運動が大きく広がり、ベニグノ・アキノの妻であったコラソン・アキノが大統領に選ばれた。エデゥサ革命、ピープル・パワー革命、2月革命などと呼ばれる。この民主主義革命による景況は、フィリピンが世界77カ国中1位の民主主義先進国となっている(電通総研・同志社大学第7回「世界価値観調査」2017年~2021年)。
     マルコス独裁政権と市民運動の形成により、コラソン・アキノ大統領はフィリピン憲法制定議論を進める。憲法制定委員会は多彩な顔ぶれで、最大の争点となった米軍基地と非核政策を含む憲法草案を採択した。米軍基地駐留については、フィリピン国内の世論は大きく割れ、アメリカ軍も圧力をかけたが、国民や議会の働きかけもあり、最終的にはアキノ大統領は1991年12月7日に、米政府に対して、翌1992年末までにスービック基地から米軍を撤退させるように正式に通告。1992年11月24日、停泊していた艦船等は日本の佐世保へ向かい、在比米軍基地はその歴史に幕を下ろしたのである。
     フィリピンの人びとの「真の独立」への積年の思いが議会を動かし、1992年をもってフィリピンの人びとは国内の米軍基地撤去を実現した。

  • 東2法経図・6F開架:319.2A/Sa69b//K

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著者プロフィール

猿田 佐世 (サルタ サヨ)
1977年生まれ。新外交イニシアティブ代表。弁護士。外交・政治分野において、米議会などでロビー活動を行うほか、幅広い声を外交・政治に反映するため、研究活動、情報発信・政策提言を行っている。著書に『米中の狭間を生き抜く』(かもがわ出版)、『自発的対米従属』(角川書店)、『新しい日米外交を切り拓く』(集英社)などがある。

「2023年 『世界のなかの日米地位協定』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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