漱石を愛したフェミニスト: 駒尺喜美という人

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  • 思想の科学社
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  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784783601104

作品紹介・あらすじ

駒尺喜美は漱石と同じように、「いかに生くべきか」の問題を、みずからを大所高所において論じるのではなく、自分の生きる場にひき据え、周囲の人々との関わりのなかに見つめ、つかみとろうとした。遊びにおいても、学問においても、暮らしにおいても、常に自分の感覚を信じ、自分の頭で考え、自分の理想を追求し、自分の愛を貫くことに全力投球する人であった。大阪船場に生れ、少女時代は秋月恵美子に夢中になり、大谷高等女学校卒業後、京都人文学園、法政大学に学ぶ。「芥川龍之介論」「漱石論」「五木寛之論」『魔女の論理』などを著し、血縁にたよらない「友だち村」をつくる。

感想・レビュー・書評

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  • 本が出ているのはチェックしていたが、なかなか図書館でゆきあたらず、やっとこないだ手に入る。表紙写真は誰やろな~とアホなことを思っていたが、作者のわけはなく、これはやはりこの本で書かれている人・駒尺喜美なのであった。本の中にも、若い頃から、歳をとった姿まで、駒尺喜美の写真がたくさん入っている。ゆったりした字組みで、字も大きいのは、駒尺喜美といって「駒尺喜美!」と分かる人、この本を読むかもしれない人の多くが、もうずいぶんご年輩だろうという配慮か。

    かつて、投稿誌「わいふ」(現「Wife」の前身)の編集長を30年にわたって務めた田中喜美子が、駒尺喜美の生涯を描こうとした本である。

    読んでいて、そうか~駒尺喜美は大学のセンセやったんやな~と思う(本はいくつか読んでいるが、大学のセンセ、とという印象がなかった)。

    駒尺喜美が、自分の思想の座標軸として探りあてた「ミーハーの立場」、そして「差別と区別」の話が、私にはひときわ印象深かった(『雑民の魂』は読んでいるはずだが、全然記憶にないし…)。

    ミーハーとは何か、『雑民の魂』には、このように書かれているらしい。
    ▼あらゆる意味での弱者、権威も権力も持たぬ人、知力や金力で人を支配する側に廻らぬ人、等々と考えてみたが、苦しまぎれに一言で規定してしまうと、受け身の場で生きている人々のこと、操られる側の人間、とそういっておこうと思う。

    そして、駒尺喜美は、断固としてこの「ミーハーの立場」に立つことを宣言しているのだという。

    「差別と区別」について、著者の田中喜美子は自身の体験もまじえてこう書く。
    ▼人種差別の根源にも、女性差別の根源にも、相手を自分と同種の動物と見ず、異種の動物として区別する感覚が潜んでいる。
     「差別」ならまだいい。相手を差別する人々は、ともあれ彼らを同じ土俵の上に乗せている。ところが「区別」となると、最初から自分と相手の間に何の共通点も認めず、別扱いにしているのである。
     駒尺喜美が怒りをこめて告発するのは、一見科学的なよそおいを取った「区別」が、実はありきたりな「差別」よりはるかに深く、根源的な「差別」の源として存在していること、そして「区別」という言葉でウカウカと「差別」の現実を受け入れてはならないということであった。
     彼女は女性として「区別」されることにより、「つねに差別され続ける側」に分類される自分自身を意識しつづけたフェミニストだったのである。(pp.139-140)

    駒尺喜美の本は、この本でも言及されている『魔女の論理』や『雑民の魂』、中村隆子さんとのコマッタカの本(『お気楽フェミニストは大忙し』)、編者をつとめた『女を装う』、『高村光太郎のフェミニズム』などを読んだことがある。『魔女の論理』の増補改訂版(たしか不二出版から出たやつ)と『雑民の魂』の文庫本(たしか講談社)は手に入れてもっていたはずが、見当たらない。

    この本、おもしろかったが、惜しまれるのは校正が粗いこと。私が読んでいて気づいただけでも、かなりあちこちに校正ミスとおぼしき箇所があり、なんとかもう一手間かけられなかったのか…と残念に思った。

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