ネット右派の歴史社会学 アンダーグラウンド平成史1990-2000年代

  • 青弓社
4.09
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  • Amazon.co.jp ・本 (514ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784787234582

作品紹介・あらすじ

保守的・愛国的な信条を背景に、その言動でしばしば他者を排撃する「ネット右派」。彼らはどのように生まれ、いかに日本社会を侵食していったのか。その真の意図とは何だったのか。

前史にあたる1990年代の雑誌論壇と草創期のネット論壇、55年体制の崩壊から現政権の成立までの政治状況、マンガ・アニメや「2ちゃんねる」などの文化状況、歴史教科書問題や外国人労働者問題、日本会議・在特会・極右組織などの団体の動向――。

日本社会に全面展開するネット右派の2000年代までを、嫌韓・反リベラル市民・歴史修正主義・排外主義・反マスメディアという5つのアジェンダ(論題)と、サブカル保守・バックラッシュ保守・ネオナチ極右・ビジネス保守という4つのクラスタ(担い手)からあざやかに分析する。

圧巻の情報量で「ネット右派の現代史」と「平成のアンダーグラウンド」を描き出す「ネット/右翼」研究の決定版。

感想・レビュー・書評

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  • 非常に示唆的。
    いわゆる「ネトウヨ」的な言説に対する長年の疑問のいくつかに解答を得ました。
    例えば、主張思想的には、完全に「保守」の産経グループのフジテレビがなぜネトウヨの敵になっていたのか?とか。
    最終章で、「ネトウヨ」は停滞していったと過去の事象のように捉えられているが、変質してより、社会全体に蔓延しているといったほうが良い状況。
    ぜひ、2010年代~現在を再度考察した論考を。

  • NPOを始めとする社会課題解決の取り組みに関わる仕事をしていると「多様性への寛容」というのは核となる考え方であり、なぜそれが反発を受けるのか、なぜヘイトスピーチにまで至るものが受容されうるのか、社会課題の放置が容認されるのか、理解が難しく感じることがしばしばある。またそもそもNPOや関連するセクターに従事すること自体に対して戸惑うほどの不信感がぶつけられることがあるが、そうた感情はどこからくるのだろうと感じたことのある人は少なくないのではないか。

    理解困難なままに、言説空間も感覚も断絶したままでひたすらに多様性やあるいはそれを前提とした各社会課題解決やその啓発を訴えても何も変わらないだろうということで、経緯や背景や論理や感覚を理解・想像したいということで手にとったのがこの本。

    読んで良かった。500ページにも渡る本だし、拾い読みしては意味が薄くなってしまう本なのでなかなか読者の数を増やすのは難しそうにも感じるが、リベラルであることを自認する多くのNPOセクター関係者は読むべきであろうと思う。自分たちの言説がいかなる社会と対峙しているのか、その上で戦略を立てていかなければ、日本の行き着く先も欧米みたいな左右ともに極端なポピュリズムということにしかならないだろうから。

    中身についても触れていきたいところだけど、この本の感想を短くまとめることはなかなか難しい。だからこそ500ページもの記述が必要だった訳で。よくこれだけまとめて書き上げたものだなと著者を尊敬する。ところどころ推測がすぎるというかやや強引な論旨も見受けられるけど、それでも平成の約20年間を中心とした右派的な様々な文脈の経緯や変遷についてまとめあげた構想力・構成力は素晴らしい。

    ネット右派(いわゆる「ネトウヨ」も含め広く定義した言葉)には、独自の文脈を持ったさまざまなクラスタやアジェンダが含まれており、統合・分離を繰り返す中で現在のような大きな動きになってきたということは、当たり前といえば当たり前だけど、これまであまりはっきりとは意識しておらず、どこかざっくりと「ネット右派(ネトウヨ)という理解困難な人たちがいる」とくくってしまっていたような気がする。そして大事なことは、多くのNPOが激動する社会経済環境の中で翻弄される弱者への寄り添いや配慮というところから動いているように、ネット右派側の様々なクラスタの動きも当然ながら社会経済的文脈の中で変遷を重ねて今に至っているということ。そうした同じ人間的な次元からの理解や対話は、互いに前提の理解や想像さえ及べば、困難ではあっても不可能ではないと思える。

    ・ネット右派のさまざまなクラスタ
     保守系セクター:サブカル保守クラスタ、バックラッシュ保守クラスタ、ビジネス保守クラスタ
     右翼系セクター:既成右翼系クラスタ、新右翼系クラスタ、ネオナチ極右系クラスタ

    ・ネット右派に扱われるさまざまなアジェンダ
     嫌韓アジェンダ、反リベラル市民アジェンダ、歴史修正主義アジェンダ、排外主義アジェンダ、反マスメディアアジェンダ

     →さまざまなクラスタがあり、文脈や人脈を共有しているものもあればしていないもののある。また、アジェンダについてもそれぞれの経緯や論理がありそれら一つ一つは必ずしも飛躍しすぎた理解不能なものはあまりない。また、アジェンダごとに関心のある層も異なっている。問題は、これらの複数のクラスタやアジェンダ(とそれらの担い手自身も)が平成の20年間の中でそれぞれ社会経済的な影響を受け変遷するなかで悪魔的な合体の果てにモンスター化していることが問題。

    ・例えば、嫌韓アジェンダの背景の一つとして冷戦体制の終結がある。それまでは東西冷戦の枠組みのなかで、貿易摩擦問題を筆頭にとりわけ日米間の問題に、そして経済問題に焦点化されるきらいがあった日本の外交問題の主要なアジェンダに、国際情勢の流動化に伴ってさまざまな国との間のさまざまな政治問題が入り込んでくるようになる。そうしたなか、とりわけ従軍慰安婦問題などをきっかけに、アメリカに変わる新たな「反日国家」として立ち現れてきたのが韓国だった。

  • 実に豊穣な本であった。ネット右派についてはそれを糾弾する本ばかりが多いが、それだけに、このようなある程度はネット右派を弁護する立場の本が欲しかった。
    この本では1989年頃から2010年前後までのネット右翼各派(右翼系の既成右翼・新右翼・ネオナチ右翼、保守系のサブカル保守・バックラッシュ保守・ビジネス保守)それぞれがどのような課題(アジェンダ。嫌韓・反リベラル・歴史修正主義・排外主義・反マスメディア)を提示して活動し、糾合されていったのかを解き明かしている。非常に内容が豊富であり、まとめるのは難しい。ただ、それらに対する反対陣営のまとまりの悪さを感じた、ということは言える。
    ……………ぜんぜんまとまらない文章になったので、気が向けば書き直すことにしたい。

  • 朝日新聞20191012掲載 評者: 宇野重規(東京大学教授・政治思想史)
    読売新聞20191027掲載 評者: 森健(専修大学非常勤講師、ジャーナリスト)
    東京新聞20211016掲載 評者: 栗原裕一郎(評論家)
    BRUTUS202111合本掲載 評者:田野大輔(社会学、歴史学)

  • いわゆる「ネトウヨ」の興亡史。いかに発生し勢力を増し、頂点に達した後停滞したかが歴史物語を読むように語られる。政治的に中立であった初期の2ちゃんねる、善悪二元論を排したアニメを享受していたはずのサブカル層が、嫌韓になだれ込んでいく姿はワイマール共和国がナチスに飲み込まれていくようで、あまりに面白くて逆に疑わしさも感じてしまう。
    嫌韓本を販売していた出版社が、青林堂、宝島社と、かつては優良なサブカル本を出していたところなのに、と疑問を持っていたが、本書を読んでサブカルを支えた層の変質に沿っていたのかな、となんとなく納得できるようになった。

  • 力作だとは思う。
    いわゆるネット右翼を、いくつかのクラスターに分類し、戦前エスタブリッシュメント保守(いわゆる伝統右翼や、戦後改革で失墜した保守層)とサブカル右派(ゴー宣など、反権威・反権力などリベラル勢力に対するカウンター)が結びつき、今日に至る動きをダイナミックに描き出している。

    しかし、なんだ・・・
    2chの記述とかが正直???となるぐらいミクロな話をしているので、筆者の印象論の域を出ないんじゃ無いかなぁと思ったり。

  • 著者は成蹊大学文学部教授だが、1997-2009までソフトバンクのメディアコンテンツ部門に在籍していたとのこと。
    特に2ちゃんねる以前のアングラネットについては初めて知るところが多かった。

  • 大変な労作。分厚い本です。右派の近代から2010年代までの動きを丹念に追っています。タイトルにあるネット右派についてももちろん詳細に書かれていますが、個人的には幕末から近代の「保守」は決して排外的な「右翼」のイデオロギーを持っておらず、アジアと連携していく姿勢を見せていたということと、ネオナチとディープエコロジー思想についての関わりがゾクリときました。ヨーロッパのエコロジーな団体が過激なことが長年謎でしたが、それがナチズムに基づいていたとは…。本書の中ではそれがいちばんの衝撃でした。

    基本的に読みにくい文章ではないのですが、引用が多すぎてもう少し著者の中で咀嚼してから書いていただきたかったです。

    しかし労作にはちがいありません。おもしろく読みました。

  • 本書では「ネット右翼」(本書では「ネット右派」)の源流を1990年代に求めている。当時はインターネットが無かったため出版メディアの保守論壇で論じられてきたことが、「ネット右派」にどのように引き継がれていったのかを5つのアジェンダと6つのクラスタを指標としてきれいに整理している。いわゆる「ネット右翼」という言葉で連想されるような事象、とくに2010年代以降のことは本書では扱われていないので、それを期待して読むと少し肩透かしをくらうかもしれない。実証性が高いというわけでもなく、「そう断じるには論拠が手薄なのではないか」と思う箇所が無きにしも非ずだが、「ネット右翼」がどういう流れのなかで出てきたのかのひとつの見取り図として参考になると思う。

  • 本来であればその背景を探るのが社会学の仕事なのだが、伊藤にとっては「ネトウヨ」こそが問題であり、行き過ぎた差別発言をあげつらうことで、保守層から安倍首相を支持する人々までをこき下ろすところに目的があるのだろう。
    https://sessendo.blogspot.com/2020/01/1990-2000.html

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著者プロフィール

1961年生まれ。成蹊大学文学部教授。専攻はメディア論。著書に『デモのメディア論――社会運動社会のゆくえ』(筑摩書房)、『フラッシュモブズ――儀礼と運動の交わるところ』(NTT出版)、共著に『奇妙なナショナリズムの時代――排外主義に抗して』(岩波書店)、『ネットが生んだ文化――誰もが表現者の時代』(KADOKAWA)、共訳書にキャロリン・マーヴィン『古いメディアが新しかった時――19世紀末社会と電気テクノロジー』(新曜社)など。

「2019年 『ネット右派の歴史社会学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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