増補新版 おばあちゃんが、ぼけた。 (よりみちパン! セ)

著者 :
  • 新曜社
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784788515666

作品紹介・あらすじ

混沌をおそれず、この1冊でぼけを丸ごと学ぼう!

「ぼけの可笑しさ、不思議さ、怖さ、美しさを通して、私たちは人間というい
のちの限りない深みに触れるのです」──。詩人、谷川俊太郎さんが、「わた
しがボケたさいにはここに入りたい」と願った、福岡市内は認知症の人々が集
う「宅老所よりあい」。入所者、通所者、スタッフ、家族が繰り広げる、繊細
にして抱腹絶倒日々のすべてを、認知症当事者たちから「おにいちゃん」と呼
ばれ続け、ついぞ名前を呼ばれることのないまま20年、の頼りなくもたくまし
い施設長が語ります。谷川俊太郎氏のエッセイ「ぼけの驚異」や4コママンガ
を多数収録。書き下ろし「その後も、おばあちゃんは、ぼけた。」を増補。

感想・レビュー・書評

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  • workmaさんの本棚から著者を知ることができた。
    図書館はこちらの増補新版があり手に取った。
    福岡県飯塚市にある宅老所よりあいの所長さん。イラストも著者がえがいているのでしょうか、登場人物の表情や生活での様子が生き生きと表現。こんな風に接することができたり自分がその年になったら受けたい介護になるよう願うところですが。
    「老人ホームは日本の社会や地域、そして家庭のありようが象徴的に顔を出しているところ」「お年寄りたちは夜になると昼には見せない顔を見せる。それは優しい顔であったり理性を忘れた顔だったり。どちらの顔につきあっても、それはとてもその人らしく、昼以上に関係の深まる時間」
    「お年寄りはいろんなことを教えてくれます。同じ毎日はないということ。人は自分の思い通りにはならないということ。人は死ぬということ。そんな、当たり前のことを教えてくれています。」

  • 著者作品を読むとほっこり馴染む。
    生きていることについて、難しいことは考えない。

    こんな宅老所があれば、両親も利用させてほしいし、もちろん私もお世話になりたい。

    とはいえ、現実には難しく、こんな環境が作れる社会になるにはどうしたらいいかを深く考える必要が、この社会には切実にあるんだ。

  • ボケを通して人生とは何なのかを考えさせる。そもそもボケとは社会が作り出しているということは自らへの内省にも繋がる。

    普段ぼくらが感じている医療の限界も痛切に感じる、震えるくらいの名著だった。

    且つ、笑える。

  • 記憶を失っても、強い。そしてかわいくて、可笑しい。いのちの辿る旅を、その末路を、私たちに教えてくれる。
    「自分の中に生きているんだね。0歳も10歳も、20歳も、40歳も50歳も。木の年輪のように存在しているんだね。」よりあいと関係のあった、谷川俊太郎の言葉。

  • 自分の親はまだ認知症になるには早い年齢だが、親から「どちら様ですか?」と聞かれることを想像すると、暗い気持ちになる。
    認知症は、天災と同じレベルで人間にはどうすることもできない脅威だと思っていた。
    そんな認知症を抱えた人たちと生活を共にしている筆者が見つめる毎日の記録。
    「食べる」「出す(排泄)」「眠る」という日常の動作が、いかに大切でいとおしいものなのかということに気づかされた。
    また、「認知症=人生の転機」という捉え方は、「認知症=天から降ってくる脅威」と思っていた自分にとって目からウロコだった。
    転機にとまどうのは若い人も老いた人も同じなのか。
    そしてお年寄りには年輪のようにそれまでの人生が刻まれている分、認知症になってしまうと、あらゆる年齢がごちゃまぜになって言動に現れてしまうことがある。ときにそれは周りの人を混乱させるけれども、一人の人間のなかに積み重なった人生の層があることに気づかされた。
    子供の頃に戻ってしまったおばあさんが、職員さんに「おかあさん、入れ歯がないの」と訴えたという場面が、なんだかとても切なく美しく思えた。

    とはいえ、現実に認知症の人の介護をしている方々の苦労は計り知れない。
    仕事として携わっている方々にも脱帽です。

  • ありがとうございます。
    自分を見つめ直す機会を与えていただきました。

  • 私は今月70歳になりました。
    両方の両親をみました。
    ボケたり徘徊したりでした。
    うちの母は 楽観的で明るい人だったので ボケても面白い人でした。
    さあ 私はどんなボケ老人になるのかしら?
    と思って読みました。
    この施設のように 温かく本人のことを考えてくれる所に私も入りたいなあ!
    徘徊する人に付き合って歩いてくれるなんて うらやましいですね。
    介護する人たちも人員不足になっているそうですが
    先の不安は運を天にまかせましょう。
    この本 介護する人たちにも読んでほしいですね。

  • 「混沌をおそれず、この1冊でぼけを丸ごと学ぼう!

    「ぼけの可笑しさ、不思議さ、怖さ、美しさを通して、私たちは人間というい
    のちの限りない深みに触れるのです」──。詩人、谷川俊太郎さんが、「わた
    しがボケたさいにはここに入りたい」と願った、福岡市内は認知症の人々が集
    う「宅老所よりあい」。入所者、通所者、スタッフ、家族が繰り広げる、繊細
    にして抱腹絶倒日々のすべてを、認知症当事者たちから「おにいちゃん」と呼
    ばれ続け、ついぞ名前を呼ばれることのないまま20年、の頼りなくもたくまし
    い施設長が語ります。谷川俊太郎氏のエッセイ「ぼけの驚異」や4コママンガ
    を多数収録。書き下ろし「その後も、おばあちゃんは、ぼけた。」を増補。」

  • 著者は言う。

    「ぼけ」ることが素晴らしいなんて思わない。素晴らしいと思えることは、人はたとえ「ぼけ」ても一生懸命に生きるということ。そのことを認めない社会をぼくたちは望まない。

    ここに登場するお年寄りたちは、その「生き」ざまにも、「ぼけ」ざまにも、等しく懸命に生きるありようが現れている。

    その生きざま=ぼけざまに徹底的に寄り添う著者たち。
    人が人を援助するということの意味を根底から考えさせ、考え直させる一冊。

  • 図書館で、借りました。
    読み終えて、買おう、手元に置いておきたい。と思いました。
    家族にも、できれば読んでほしい。

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著者プロフィール

宅老所よりあい(福岡県)代表。1964年生まれ。福岡県飯塚市出身。1996年2月から、「第2宅老所よりあい」所長を務める。著書に『ぼけてもいいよ 「第2宅老所よりあい」から』(西日本新聞社)、『おばあちゃんが、ぼけた』(よりみちパン!セ 25)など。

「2016年 『認知症をつくっているのは誰なのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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