古代ヘブライのカバラの知恵は、われわれは引き裂かれた存在であり、引き裂かれた世界に住んでいると主張する。それは、われわれの生活における仕事は、われわれが人生の道において出会うかくも多き断片を全体性へ復帰させることである、と教える。これが人間であることの術である。ヘブライ語のシャロムは、一言でいうと、この知恵を保有している。それは単に「平和」だけでなく、「全体性」をも意味する。
われわれはすべて新しい成熟の時代の敷居に立つ若者である。おそらく成熟にいたる道のひとつは、雑草や下草の下に見いださなければならない道、プロポーションと共有されだ限界の道である。プロポーションとは共有された限界である。関係として、それらは共有することのマナを教える。限界として、それらは限界なきものにドアを開く。これが限界の力である。
限界の力は想像の背後の力である。ふたつの小石が、それぞれ距離をおいて水に投げ込まれると、もとの波の円形は結合して次第に大きくなる楕円を生み出し、それらはまた円になっていく。しかしながら最初の円は変形されつつある。それ自身の上に中心化した閉じた円から、それらはそれら自身を超えて無限に向かう放物線状アーチに成長していくのである。
それは単に小石の、振動のパターンにすぎないだろうか。それともそれはまた愛の、共有された限界の力の、あるいは創造的行為それ自体の隠喩であろうか。