- Amazon.co.jp ・本 (281ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794968487
作品紹介・あらすじ
「いつのまにか装丁家になっていた」――。中島岳志や森まゆみの著作をはじめ、数多くの「本の貌」を手がける矢萩多聞。学校や先生になじめず中学1年で不登校、14歳からインドで暮らし、専門的なデザインの勉強もしていない。ただ絵を描くことが好きだった少年はどのように本づくりの道にたどり着いたのか? 個性的でなければとか、資格を持たなければとかといったような社会の風潮の中、どうしたら自らがのびのびと生きる道を探すことができるのか、居心地のよい「生き方」「働き方」を模索した一冊。
感想・レビュー・書評
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学校へほとんど行かずに、インドへ行って、気が付いたら装丁家になっていた矢萩多聞さんの自伝。こう書くと、とても調子がいい。ああ、そんな生き方もあるのかと自己啓発本として手にとる人もいるだろう。私もそんな気がなかったわけではない。
だけど、別に多聞さんは「いつか大物になろう」などと野心を抱いて、学校へ行かずにインドへ行ったわけではない。
多聞さんは、学校でいじめられていたわけではない。むしろ友達はたくさんいた。だけど、宿題をするだとかそういう縛りが大嫌いで、その縛りに従わない自分に「そんな事ではロクな大人にならない」などと言ってくる教師たちと反りが合わなかったから学校に行くのをやめたのだった。そして親たちもそんな多聞さんのことを理解し、「行きたくないのなら行かなくていい」と認めてくれたのだった。
多聞さんのご両親も我が道を行く人であり、バブルのころ「もう日本が嫌いになった」というお父さんについて家族でインドにいった。
多聞さんがインドで学んだ大きなこと。それは「アジャストする」ということ。
インドでオーダーメイドの家具を注文すると足が揃ってガタガタしている。そして置く場所に合わせて足をのこぎりで切るとがたつかずぴったり収まる。そもそも、床自体が日本のように水平に保たれていないから、置く場所に「アジャストする」。これがインド方式。車の走行にしても、道を平らに作って揺れないようにするのが日本のやり方だとすれば、でこぼこ道に合わせて車を走らせるのがインド方式。コミュニティによって習慣や価値観が多様な中で、それぞれの違いを認めながらいい塩梅を探す。これもインド方式。このインド方式が後に日本で装丁家になった時活かされた。ある時、仕事の依頼を受けた会社から本が完成した後に「会社のルールが変わったからデザイン料を契約の時の金額よりも安くしてほしい」と言われた。多聞さんは驚き、腹が立ったが、こう切り返した。「分かりました。きっとあなたも会社に言われて融通をつけることが出来ないのでしょう。デザイン料は改定後の金額で結構です。ただし、その分また仕事をください」。実際そのあとまたこの会社と素敵な本が作れたのだそうだ。
多聞さんは小さなころから絵を描くのが大好きだったが、学校の美術の時間に制限時間を考えず、じっくり取り組んでいる多聞さんに教師があれやこれやアドバイスしてくるので、絵が描けなくなってしまった。そんな時出会ったのがインドのミティラー画だった。自分で画材をつくり、じっくり時間をかけ、期限も評価も自己表現の必要性もなく、絵を描くことそのものが“祈り”であるミティラー画。多聞さんはこれを真似て描くようになった。
多聞さんの絵に対する考え。「作者は描くのを楽しむ、という時点で、すでにその役割をほとんど終えている。あとは見た人がそれぞれ好き勝手に考えればいい。……絵で伝えたいものなんて何もない。絵はただの紙とインクの染みだ。芸術家が世界を変えるなんて、胡散臭い。作品を見て、色々なものを感じる受け手の心のなかにこそ、この世界を180度ひっくり返してしまうような広大な宇宙が広がっている」。
横浜に住んでいたとき、近所の春風社という出版社の社長から「多聞くんの本をつくりたい」と言われ、自分の本を作ることになったが「せっかくだから装丁も自分でしてみれば」と提案された。これが最初の装丁の仕事だった。そのあといくつか仕事を受けたが、自分の事を“装丁家”とはなかなか名乗れなかった。名乗るようになったのはスーパー編集長安原顕さんと仕事をしてからだった。「本は書いた人が亡くなっても、存在しつづけ、著者の生きた証になる。目に見えないものが文字になり、人が動かされ、本のかたちが作られ、大きなうねりを生む。まるで本づくりそのものが大きな生きもののように見える。これは小遣い稼ぎでやってしまったらまずいぞ。人の命がかかっているかもしれない。……あのころから僕は装丁家を名乗るようになった。……いのちを削って本をつくる、不器用な人間たちの一員になるために」。
多聞さんは「装丁は本の“顔”や“装い”を作る仕事だ」と紹介されることに違和感を感じておられる。“顔”ではなく、本を“からだ”と考えてデザインしなければならないと。
「なんでもいいわけではない。相手のからだに届くものを作る努力を怠ってはならない」。
「私のデザインではなく、あなたたちの間に立つデザイン」。
そして本を作る仕事についてこう考えておられる。「出版不況、活字離れで本が売れない、と言われ、毎年どんどん出版社が倒産し、書店が閉店している。でも出版の世界が身の丈以上に大きく複雑な形状になってしまったからで、本当に本が売れないわけではないのかもしれない。こんなに大量の本が毎日続々と出版される国は世界を見まわしても、そうないだろう。……たとえ日本で100人しか必要としない本であっても、その100人に届けば出版社としてやっていけるはずだ。著者、編集者、装丁家、出版社、印刷所、書店……一冊の本に関わる人たちが歩いて会えるような距離で仕事をして、大儲けは出来なくても、なんとか暮らしてゆける。そんなサイクルの中で本を作ってゆきたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイトル通り、いつのまにか偶然に装丁家になっていた著者・多聞さん。
この本は、多聞さんの人生を振り返りながら、生き方について、緩やかに優しく考えていくヒントをくれる。
まあ考えたところで、なかなか多聞さんのようなバラエティ豊かな人生にはならないのだけど、ほがらかに生きていきたいと思うから、それを実践してる人たちの人生は参考になるし、楽しいのだ。
絵を描くことが大好きだったのに、図工の成績はいつも一だった。学校なんてきらい。
そう思っていたら五年生の時に新しく担任になった先生が、学校を楽しいものに変えてくれた。
でも中学校に入ったらまたつまらないものになって、不登校になった。
小学校の頃とは違って、明るい不登校ではなかった。
今でこそのびのびと絵を描いているように見える多聞さん、この時期はとても苦しくて、そんな時に出会ったのがインドの絵。
なんという絵だったか、写経をするような、そのような感じの絵だったような、名前も書いてあったのに忘れてしまった…
絵をたくさん描いているうちに個展を開くようになったり、個展を開くためにインドと日本を行き来するようになったり、インドに住みたいと思うようになったり、そして近所の出版社に出入りしたら本を書いてみようということになったり、多聞くんの本なんだから装丁も多聞くんがやればいいよと言われて装丁をしたらいつのまにか装丁家になっていたり。
いろいろチャレンジ、やってみよう!と突進していった多聞さんは、思わぬところでさまざまなものと出会う。
目的のない旅路のようだ。
そして、出会ったものたちが多聞さんの人生において大切なものになっていく。
出会いは、奇想天外ではなくても、人それぞれ巡ってくるものだと思う。
自ら飛び込んでいけばなおさら、満身創痍になることもあるけれど(インドで多聞さんは度々下痢をしたり重病を患ったりする)、出会いの数も多くなる。
けど、それを気負わずに気の赴くままに地で行った結果できあがったのが多聞さんだ。
そこが面白い。
インドに通いながら個展を開く10代、凄いじゃないかと思うけれど、多聞さんはなんだかその評価が腑に落ちず、自分は弱者だと感じていたらしい。
今もそう感じてらっしゃるかどうかは分からないけど、そう感じるような、感受性が豊かで、優しさのある多聞さんに愛着が湧く。
偶然の装丁家、そう言うけれど、今多聞さんがその人生を生きているのは、絵にも装丁にも、そして人にも、多聞さんがまっすぐ真剣に向き合ってきたからだと思う。
本書を読んで感じたのは、多聞さんがほがらかにのびのび生きていけるのは、その心に誠実さがあるからだということ。
本の装丁には、いつも惚れ惚れする。
新しい本に出会うたび、隅々まで見渡して愛しいと思う。本を作っていく過程を読んで、多聞さんや編集者さん、奥付に名前も乗らない印刷所の人たちの、本造りへの真剣さを見て、私も今まで以上にもっと本を愛そうと思った。
自分の人生については…うん、とりあえず療養頑張りながら、誠実で、でものびのびとあることを忘れないようにしようと思う。
療養については、まだ(私目線では)終わりが見えないので、自分から飛び込める範囲はとても限られているけど…
思うだけ、タダなので! -
働くことに向き合う中で、素敵なタイミングで出会えた素敵な本だった。
レールの上を走ることを洗脳のように強要されるうちに、レールの上で走らない人のことはよく言えば"特別"、悪く言えば"失敗"。そもそもそんな概念なければいいのにな。でもレール上を走ることをやめた本人もそう自覚しながら走ることになるはず。
そのはずなのに、多聞さんは全然違う。根っから明るくて、いい意味で自分を特別と思ってないような、ふわっとした風のような -
2019.6月。
多聞さんって懐深いな。まっすぐないい本だった。本はなくならない。うん、そうだ。寄り道や無駄があって匂ってくる色気。
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川内有緒さんの著書から矢萩多聞さんを知り、模索中の生き方のヒントになるのでは?という感覚があった。
矢萩多聞さん、とても引き出しの多い方だ。自分の心の中の声を聞いて、そこに正直に生きている、
大きな流れに乗って、楽に生きてきた人には感じられない日々を、違和感を感じたら、立ち止まって考える。
当たり前のことのように思うが、レールから外れたくない私はして来なかった。
最終的に流れに乗っているようで、ただ流されていることの違和感は、たまり溜まると、苦しい。ツケが回ってきた。
大きなヒントをいただいた。 -
彼独自の才能も面白いが、個性が豊か過ぎて学校に馴染めない彼を見守り、社会人として才能を開花へ導いた母親や版画家の父の『愛』が素晴らしい。
そうじゃ無かったら、絵が好きな只の変わった子として社会の片隅に追いやられていたかも知れない。
年齢的に親目線からの感想。
でも、チャンスを逃さず、個性を芸術の域まで高めた彼の才能も賞賛に価する。 -
これはいい本。読むタイミング的にもばっちりはまって、「ああ、あの人に読んでほしいなぁ」という顔がいくつも浮かんだ。
結局のところ「自分で物をつくる覚悟を持った人」の言葉が一番響く。観念をいくらこねくり回したところで、論理やアイデアだけではどこまでいっても空疎だ。
多聞さん、京都在住らしい。一度会ってみたい。ひとつひとつの言葉が滋味ぶかい。
「ぼくは見た目のデザインよりも、紙選びこそが想定の醍醐味だと思っている。眼が文章や造形にふれるまえに、からだは紙に触っているのだから」p.172
「印刷所に行くときは緊張する。日頃お世話になっている職人さんに会えるのは嬉しいが、「あんただね、いつも面倒くさい指示を出してくる人は」と怒られることが多い。ぼくが希望したおかしな紙の組み合わせで、印刷機を目づまりさせたり、ありえないインクの組み合わせで、職人さんを悩ませたりしているそうだ。
印刷機の横にうず高く積みあげられたインクの缶に、ぼくがつくった校正紙の切れはしが張りついているのを見つけ泣きそうにあったことがある。つぎ刷るときにインクの配合が分かるように、インクと刷り見本をセットにして保存しているのだ。
デザイナーがどんなに偉そうなことを言っていても、最終的に本のかたちに仕立てあげるのは、現場の職人だ。裏方に徹して、本の奥付にも名前は出てこないが、彼らなしには一冊の本も作れない。紙メーカーの工場職員から、配送業者にいたるまで、本づくりは彼らのおかげで成り立っている」p.172
「どんな町であろうと、そこに人が暮らしているかぎり、地域誌はつくれるんです。たとえ無人島だとしても、ぼくはつくる」p.248
「場所が変わると本づくりも変わる。関西に暮らす著者やデザイナー、印刷所といっしょにつくりたい。そうしたときに東京一辺倒ではつくれない新しい本が生まれると思うんです」p.252
「たとえ日本で一〇〇人しか必要としない本だったとしても、ちゃんとその一〇〇人に届けば、出版社としてやっていける道があるはずだ。著者、編集者、装丁家、出版社、印刷所、書店……一冊の本にかかわる人たちが、歩いて会えるような距離で仕事をして、大儲けはできなくとも、なんとか暮らしていける。そんなサイクルの中で本をつくっていきたい」p.261 -
これは、すごい。
本当にすごい本だ。
人生観もかわってしまったかもしれない。
著者の不登校談が気になり、
手に取ったのだけど、著者の言葉に
目から鱗がポロポロこぼれまくりました。
あと、著者のお母さまがなんて肝のすわった
心の大きい方なんだろうと尊敬です。
あとがきでは、号泣してしまい
今、思い出しても涙がでてきます。
とりあえず、いろんな人に読んでほしい
超、お勧めの本です!! -
胸が暖かくなってくる本でした。
本づくりにかかわる人たちの世界観を、少し垣間見ることができて、さらに本が好きになった気がします。
就職をする、しないの選択肢のなかで固まるのではなく、自分に合った方法で、素直に生きていきたいと思いました。
随所に散らばっているインドの思考、矢萩さんの思いが、すごく心に染みました。 -
文化人類学のレポートを書く際に見つけた記事から出会った本。
(https://artovilla.jp/articles/theme1-crosstalk1.html)