- Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794969286
感想・レビュー・書評
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図書館の新刊コーナーで見かけて。フォント大好きなので借りて読んでみた。
書体ベンダー「字游工房」の鳥海修さんの生い立ちや、自身の書体作りに関わる経験や影響を受けた人々について著した本。けっこう書体マニア向け。
私はフォントというと、個性が光る美しいものに惹かれるんだけど、著者は「空気のような、水のような」書体を目指すことが根本にあるみたい。デジタルなフォントの黎明期から活躍している著者だからこそなのかな。
時代ものの小説を組むための游明朝。游明朝や游ゴシックはWindows10に搭載されてこれから広く目にするようになっていくフォント。新しさよりどことなく紙の時代っぽさを感じるのはそのためかも。
古い文献に触れたり、明朝の元となる筆の運びを考えたりという姿勢が一番印象的だった。私も書を始めたくなった。
著者意外のデザイナーや書家の名前も多い。祖父江慎さんはいろんなところで面白い話を聞くけど、本書でも面白い。今回知ったところで一番興味を持ったのは書家の石川九楊さん。どんな文字を書くのか調べてみようと思う。
全体的な文章は、時系列が行ったり来たりして、前の章で触れたが〜といった言い回しがあったりで、少々まどろっこしかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
鳥海修「文字を作る仕事」を読む。
「七〇歳になるまで(納得できる)明朝体は書けない」p.234
ヒラギノシリーズを開発した「書体設計士」の半生を描いた本書。工業高校から浪人をして多摩美に入学。在学中に既に「水のような、空気のような本文書体を作りたい」と志向していたというから、これはもう筋金入りだ。
また平野甲賀、鈴木勉、祖父江慎、石川九楊といった当代をリードするタイプデザイナーの交感が克明に記されていておもしろい。
杉浦康平が平野甲賀に向かって、講演の壇上から「まだあんなくだらないことをしているのか」と罵ったというエピソードには驚いた。嗜好が正反対とはいえ、杉浦さんは完璧主義ゆえに、かなり排他的だったのかもしれない。
どこを見ても金太郎飴のような書体ばかりが目に付く現代から見れば、歯に衣着せぬ物言いで各々が競い合ったあの時代は、社会全体が多様でありつつ、そして推進力も持っていたのだろう。
そして「よい書体」を作るには、旨い酒と肴を常に探し求めなければならない……というのは冗談で、たった一本の線を磨く不断の努力が必要だ。いや、であれば逆に息抜きとしての「旨いもの」も必須なのかもしれないな、と思いながら最後までさらりと読んだ。ああ、おいしいお蕎麦とおでんが食べたい。
あの小塚シリーズを作った小塚雅彦さんは「日本人にとって文字は水であり、米である」と言ったらしい。「書体設計士」はけっして気取らないし、目立とうとしない。毎日コツコツと、迂遠に続く地道な作業をひたすらこなしていく。
アーティストやアートディレクターとは友達になれそうにないが、タイポグラファーとは友達になれるかな、と思った。