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- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794970282
作品紹介・あらすじ
1955年、白井晟一の「原爆堂」は核の問題と対峙する建築として『新建築』誌上でいくつかの図面とパースが発表されたが、ついに実現することはなかった。半世紀が過ぎ、2011年3月11日に起きた東日本大震災における未曾有の破壊と福島第一原子力発電所の事故を経験し、いま「原爆堂」に託された問いがアクチュアルな意味を帯びている。白井晟一の思想や言葉を手がかりに「原爆堂」の今日的な意味を、岡﨑乾二郎(造形作家)、五十嵐太郎(建築史家)、鈴木了二(建築家)、加藤典洋(文芸評論家)という4人との対話から探る。聞き手は白井昱磨(白井晟一研究所主宰)。
白井晟一について Seiichi SHIRAI
建築家。1905年、京都生まれ。京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)図案科を卒業後、渡欧しハイデルベルク大学及びベルリン・フンボルト大学でカール・ヤスパース等に師事。1933年に帰国し、建築家として活動を始める。代表的な建築に「ノア・ビル」「虚白庵」「呉羽の舎」「親和銀行」「浅草善照寺」「松井田町役場」「秋ノ宮村役場」など。高村光太郎賞、建築年鑑賞、建築学会賞、毎日芸術賞、芸術院賞、サインデザイン賞を受賞。装丁家・書家としても実績を残す。エッセイ集に『無窓』(1979年、筑摩書房/2010年、晶文社)がある。1983年死去。1955年立案の「原爆堂」は実現していない計画案だが、現代文明に対する根源的な問いかけを今日もなお続けている。