人間にとって教養とはなにか (SB新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784815607500

作品紹介・あらすじ

「答えのない問題」に立ち向かう力を磨く、
橋爪流・大人のための学び方。

コロナウイルスの世界的な蔓延によって、
日本国内でも全国の小・中・高校の休校、大学は新学期の授業開始を延期、という状況が続き、
学生のみならず大人も、ひとりひとりが主体的に学ぶこと、「個」としての学びの重要性に改めて気づいたといえる。

現役社会人のみならず、仕事の第一線から退いた人にとっても、
自分の時間をいかに有効に使って、「学び」に費やすか、というのは非常に重要だ。

人はなぜ学ぶのか? いかにして学び、何を得るべきか?

現代の「知の巨人」橋爪大三郎が教える、大人のための学び方。

感想・レビュー・書評

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  • 教養とは「今まで人間が考えてきたことのすべて」だ、と言い切って、「教養」に触れることへの意義付けや誘いを行っている。よいところもあるが、引っかかるところもある。

    【よいところ】
    教養とはどういうものであるのかについて、著者の考えをいろいろな角度からまとめている。
    ・学校の勉強は答えのある問題に対して、早く解答を見つけ出す訓練であり、教養はそうではなく問題を見つけ出すものである。
    ・教養は教えてもらうのではなく、獲得するものである。
    ・すべてのものには「バイアス」がかかっていることを意識することが大事である。
    ・教養は、学ぶことそのものが目的になってもよい。
    ・本というものは、自分がどう読むかによる。正解はない。

    【よくないところ】
    上に挙げたようによいところはあるのだけれど、個人的な意見ではあるけれども疑問があるところというか、賛同できないところもちらほらと。

    ① ネットに対するバイアス
    「ウェブは、噂話のかたまりです」と一刀両断するというのはあまりにも新しいものに対する受容性がない。内容の信頼性が課題であれば、それを高める方法を見つけるべきであり、またその方法はいくらでもある。
    「権威にもとづかない(出所がはっきりしない)ようなことは、議論に組み込むべきではない」というのは一方的で、あまりに読者のことを信頼していない。さらには「本による「学び」と比べると、ネットによる「学び」は、がくんと質が落ちる。そもそも「学び」にもなりません」とまでいうのは明らかにおかしい。
    また紙の辞典を強く薦めているのだけれど、百歩譲ったとしても辞典に関しては明らかに電子の方が優れている。検索性、リンク、携帯性、共有性。辞典こそ電子化にもっとも向いているといえる。ネットというだけで拒否反応を起こしているようでいただけない。
    警鐘を鳴らすのはよいのだが、あまりにもバイアスがかかっている。すべてのものにバイアスがかかっていることを意識すべきだと言うからには、自分にもそのことを当てはめて考えるべきだろう。

    ② 本にかける覚悟
    著者は次のように書く。
    「本と、ネットの文字情報は、違います。本は、どれも、著者が覚悟を決め、時間とエネルギーを注いで、書き上げた作品です。出来、不出来はあるかもしれないが、不出来なものは、著者の能力の限界です。著者にやる気がないわけではない。だから本を読めば、著者の思いが伝わってくる。それに感応して、ぶれない思いで、本から「学ぶ」ことができる」
    なるほど、それはとてもわかる。でも、この本自体が手間を省くことを想定した語り下ろしであることがあとがきでわかってがっくりした。語り下ろしが覚悟を決めていないとは言わないが。それとも、新書は本ではないのだろうか。

    ③ これが必読書か
    著者は必読書として12冊を挙げている。それは以下の通りだ。
    ■ 政治の必読書
    『日本人のための憲法言論』(小室直樹)
    『職業としての政治』(マックス・ヴェーバー)
    『全体主義の起源』(ハンナ・アーレント)
    ■ 経済の必読書
    『経済学』(サムエルソン)
    『雇用、利子および貨幣の一般理論』(ケインズ)
    『資本論』(マルクス)
    ■ 社会の必読書
    『「空気」の研究』(山本七平)
    『上司は思いつきでものを言う』(橋本治)
    『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(宮台真司)
    ■ 歴史の必読書
    『聖書 聖書協会共同訳』(日本聖書協会)
    『言葉と物』(ミシェル・フーコー)
    『げんきな日本論』(橋爪大三郎、大沢真幸)

    いくら何でも統一感がなさすぎないかと。政治と経済はわかる。社会と歴史はそれはないのではと思うのだがどうだろう。聖書は歴史なのか。自著も入れているが、いくら何でも厚顔な気も。また、教養ということをいうならば、少なくとも自然科学と文学のカテゴリも入れるべきでは。そのときは『種の起源』は入れてほしい。聖書を入れるのであれば。

    また、「古典の解説書」を読むべきと何度も書いているのだから、もし必読書を挙げるのであれば著者が考える適切な解説書を挙げるのが普通だろうとも思うのですが。

    ④ これは ジョークなのか
    最後を締める言葉が何と「あなたもそんな、2チャンネルの生き方をしてみませんか」。あれだけネットをくさしておいて、これはジョークなのか。もちろん「教養がある人は、ラジオ局で言えば、AM放送のほかにFM放送のチャンネルを持っているようなものです」とその前に書いているので、ジョークでないというのであればそのことだというのはわかる。でも、その譬えもあまりにもできがよくない。そもそもこの本のターゲットがどの層なのかわからないけれども、AMとFMとやら何のことやらわからない人も今ではたくさんいる。そもそもAMとFMを持ってチャンネルとは言わないし、複数のタイプのインプットというのであればAMとFMはあまりにも似すぎている。「日常のやりとりは、雑音にかき消されがちで、AM放送」と書くが、いまはたいていはradikoでネット経由で聴くのだよ、たぶん。そういうことも含めて現代においては教養というのではないのだろうか。

    ⑤ そしてこのタイトル
    『人間にとって教養とは何か』というタイトルはあまりにも大仰すぎないか。このタイトルを付けるのであれば、語り下ろしにするべきではないのではないか。この内容だと『私にとって教養とは何か』くらいな気がするのだが。

    【まとめ】
    以上、後半はちょっと遊び心込みなのでご容赦を。ちょっと引っかかるところはぽろぽろありつつも、語り下ろしなのでこれくらいかな、と。

  • 学校教育とはなんだったのか、それぞれの教科を学校で学ぶ意義については納得した。

    個人的には教養とは知識ではなく思考する力のもとになるものと思っています。後半に行くにつれて本から多くの知識を得ることが教養と言われているように思えて、サラーっと読み飛ばしてしまいました。たしかに辞書や百科事典は正しいことが書いてあると思うのですが、正しいことを知るだけが教養ではないと思ってしまった。

    ネットの情報を信じすぎるなというのはごもっともだと思うのですが、有識者が書いてるから、校閲されてるから本や新聞の方がいい情報とするのも思考停止しているような気がした。

  • 当たり前だがそれなりに良いことが書かれている。しかし、文章と論理構成が破茶滅茶なため、読みづらくかなり苦痛。

    以下の点が原因かなぁ。
     著書の考えが偏ってる
     常体と敬体がごちゃ混ぜの文章
     大人向けを標榜する割に高校生あたりに上から目線で語るシーンが多く対象読者が不明

    p.95-100を読んでアカンと思った時に、続きを読むのをやめれば良かったとやや後悔。
    読者や学ぶ習慣が無い学生か新社会人になら、なんとかオススメできるかも

  • 新聞の書評で評価が高かったので期待して読んだが、まず文章が良くなくてがっかり。あとがきでわかったのが、語りおろし録音をライターが起こしたものだということ。文章のまずさはライターの力量によるものだったということだと思うけど、著者もチェックはしたのだろうし、そういう方法で雑な作りの本を出すから新書は適当だという見方が広まってしまうのではないだろうか。

    内容も新しいことや深いことはなく、表紙のイラストから言っても高校生くらいの若者向けだからなのかと思ったが、大人の勉強というのは…という記述もあったりでターゲットがよくわからなかった。
    書いてあることの根拠が明確でない箇所も散見される。「実用書を読むのが、嫌いという話は聞きません。」とあるけどそうなの?嫌いなんですけど…。

    いいことも書いてある。
    他人の頭で生きることはできない(略)
    生まれ持った自分の頭が、よいとか悪いとか、文句を言っても仕方がない(略)
    世間の基準がどうあろうと、自分は自分だと思えばよい
    というところ。このくだりのため、星1/2個おまけ。

  • 「誰もが自由に学べる時代」学校の本来あるべき姿は「競争試験」ではなく本書にある「資格試験」であるべきだ。人をランク付けする場ではなく、できる才能を引き出し、伸ばし、より好奇心を持たせるような場になってほしい。「記憶」だけの今の日本の入学試験は「応用力不足」「思考力不足」「創造力不足」になりがちな養育だと思う。人は必ず人並み以上にできる何かが得意なはず。

  • 内容は良かった。しかし「ですます調」と「だ・である調」が混在してて「ん?」となることが度々あった。

  • ◾️概要
    人間にとって教養とは何で、どうやったら身に付けられるのかが丹念に記載されています。教養を学ぶ3条件は、バランスよく学ぶ、ほんものに触れる、納得して楽しむです。

    ◾️所感
    教養とは何か、なぜ学ぶべきなのか、学ぶにはどうしたらいいか、知るため、読みました。教養とは、ありあわせの知識を組み合わせて、現実の問題を解決する知性である。これまで人間が考えてきたことの全てです。教養を身に付けるのは自分の喜びのため、そして人々が手を携えてよりよい社会をつくり出すためだというのが分かりました。

  • 教養とは何か、なぜすぐに役に立たない教養を学ぶのか、どうして古典を読むのか。あるタイミングで読んでおいて、少しでも意識しておくと少しは立派な大人、立派な日本人になれるかもしれない。

  • 物事は、全て繋がっている。
    それをどのような切り口で見るか?
    そのメガネを沢山持っておくことご教養。

  • 教養の価値 問題には2種類:異論の積み重ね 他人の頭でいきることできず:問題を選ぶ 学校に騙されない:学校=サービス業 学校の勉強はどう役立つ:国語・参集・理科・社会 有事に頼りになる教養:人間が考えてきたことのすべて 思い込みから自由に 大人の教養:学び→生産 知る=新しい世界に加わる 政治・経済・社会・歴史・文学 本:すべての学びの基本 人間の叡智 古典:時間にさらされる 知の伝言ゲームにはまらない 辞書・事典でしか学べないこと ネットの付き合い方:玉石混交から本物を見つける 教養:パターン見つける

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著者プロフィール

橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう):1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京大学大学院社会学部究科博士課程単位取得退学。1989-2013年、東京工業大学で勤務。著書に『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『教養としての聖書』(光文社新書)、『死の講義』(ダイヤモンド社)、『中国 vs アメリカ』(河出新書)、『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)など、共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『おどろきのウクライナ』(以上、講談社現代新書)、『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)などがある。

「2023年 『核戦争、どうする日本?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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