疑似科学と科学の哲学

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  • 名古屋大学出版会
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  • / ISBN・EAN: 9784815804534

感想・レビュー・書評

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  • 【2021/4/14】
    戸田山和久『科学哲学の冒険』で参考文献に挙げられていたので買ってみた。疑似科学と科学の線引きがこんなに難しいとは思わず、勉強になった。複数の基準と照らし合わせ、それらを満たす「程度」によって判断すべきだという本書の主張には説得力がある。

    【2021/5/30】

  •  科学と科学でないものの間の線をどこで引くかという「線引き問題」を考える書。創造科学、占星、超心理学、代替医療等関心の高いテーマを揃えていて、面白かった。


     …簡単にルースのあげる科学の特徴(ルースの線引き基準)を見ておこう。(a)自然法則の探求(b)自然法則による経験的な世界の説明(c)経験的な証拠と比較されテストされること(d)反証不能でない、そして(e)理論は一時的なものであり、理論に反する証拠があがってきた場合には、理論をかえる余地があること。

     斉一性原理とは、「これまで観察したものと、まだ観察されていないものは似ている」という原理である。

     創造科学と進化論を反証可能性を使って明確に左右に切り分けることは(理論の内容だけに注目する立場をとっても、支持者の態度を注目する立場をとっても)できないし、これは実は過小決定の問題という非常に原理的なレベルの問題を含む。

     …通常科学の中心はそのパラダイムでまだ説明できていないことを説明していくパズル解決の営みである。

     では、「Xは科学的か」という問いで、われわれは一体何を知りたがっているのだろうか?いくつか答えは考えられる。「科学」という言葉のもっとも流布した意味において「科学的」か、と考える意味論的な考え方もあるだろうし、もっとゆるやかに、社会的に是認できる営みかどうか、という程度の意味で「科学的か」と問いかけることもできるだろう。…わたし自身の答えは、…、われわれは「成功した」科学、近代科学について知りたいのだ、というものである。占星術や超心理学は成功した科学としての近代科学に分類できるかどうか、これが線引き問題が本当に問題にしている点である。ただし、ここで「近代科学」と言っているのは、機械論的世界観をとるというような意味での「近代科学」ではない。機械論的世界観を使っていなくても、成功している科学となんらかの重要な意味で同じグループに分類してよいようなものを含み込むような形で「近代科学」という言葉を理解してほしい。
     「科学の成功」の内実としては、いろいろなものが考えられる。ここでも…知的価値判断と社会的価値判断の区別は念頭に置いておくべきだろう。まず、科学には、社会に大きなインパクトを与え、事故やら公害やら環境問題やらいろいろ問題をおこしつつも全般としては社会の幸福に寄与しているように見える。そういう意味で、社会的な価値判断のレベルで科学の成功を考えることもできる。しかしこの観点からのみ科学の成功を考えると、人々の幸福の概念が変われば科学は成功していないことになってしまいかねない。
     知的な価値判断の観点からすると、科学の成功の候補としては、…反実在論の側の観点からいえば経験的十全性(現象的な規則のレベルでうまくいっていること)が挙げられるだろうし、さらに細かく分けていけば、弱い意味での再現性(同じ仮説をサポートする結果が繰り返し得られること)、強い意味での再現性(同じ現象を確実に起こせるレシピを与えること)、操作性(自分の意図にあわせて結果をいろいろに変えられること)などが挙げられるだろう。こういうものが確立できるということは、それを実在論的に解釈するにせよ、反実在論的に解釈するにせよ、とりもなおさずそれだけ世界の仕組みについてのわれわれの知識が増えたということである。もちろん、強い意味での再現性や操作性は、科学の中でもなかなか確立するのはむずかしい(社会・行動科学では特に)。しかし、科学という名前で総称されるさまざまな分野を全体としてみれば、そこに分類されない他の分野に比べて、遥かに高いレベルで再現性・操作性が実現している。…たとえば方法論については、どういう方法論が科学の成功にをささえているのかについて、科学哲学の議論の蓄積がある程度の見通しを与えていると思う。
     さて、科学の成功がこのように理解できたとして、じゃあ、なぜ、こういう意味での成功にひとは興味を持つのだろう?答えの一つは、「その『何故』には答えはいらない」というものである。…
     …つまり、科学の(知的な意味での)成功は、大きな社会的影響力のある成功なのである。…しかし、どう評価するにせよ、そういう力に注目し興味をもつのはきわめて自然なことである。したがって、ある営みが実際に社会的に役に立っているかどうかの判断とは別に、それが知的な意味で近代科学としての性質をもっているかどうかは十分考える意味がある。有用性や、その他の社会的な価値判断は、その営みを指示するかどうかという最後のところでは重要になってくるが、その前の段階で科学的かどうかという問いは知的な価値判断の問題であり、線引き問題の主な領域はそこにあると考えていいだろう。
     …総合的な評価として、やはり創造科学はほとんど科学とは呼べない、と言わざるをえない。線を引かなくても、創造科学が疑似科学だという判定は可能なのである。
     …ちょっと風呂敷を広げると、とりあえず考えられるのは、統計的な処理の導入である。これまで、ある線引きの基準を否定するには、その基準にあわないが成功した科学の事例が(たくさん)あると示すだけでよかった。しかし、科学と疑似科学の識別の指標としての有効性を論じるには、その指標と(上で書いた意味で)「成功」した科学の事例の間にどれくらい統計的相関があるかを考える必要があろう。…
     線を引かずに線引き問題を解決する。これが本書の「線引き問題」についての解答であり、本書全体の結論でもある。

  • 科学って何なのか考えるために、逆に科学じゃないものについて考えるというやり方でやってて、それが良い。科学哲学がどんなことやってんのかについても理解が深まった気がする。

  • 科学とは何かという問いを提起する具体的な実例を紹介して、これまでの各解決案をそこに適用してゆく議論の形でした。実例を用いた議論によって視野を広げることができます。そのため、これから歴史的に科学哲学を学ぼうと思っていた私にとって、素晴らしいイントロダクションとなりました。というのは、歴史の勉強は広い視野を要求するからです。
    実例を挙げつつ、科学とは何かと問う上で疑似科学を考えることは役に立つといいます。しかし、科学と疑似科学をそれぞれ特徴づけることはできても、そのあいだに明確な線を引けない。ということを議論が進むにつれ読者は勘づきます。そこで著者が結論のために用いたものは何か。私はそれについて全く知らなかったので、著者が用いたものに興味を持ちました。
    それと、もう少し最近の議論も知りたいです。

  • 具体的な事例(創造科学、占星術、超心理学、代替医療)に照らして科学哲学で何が問題になるのかを示してくれる良書だと思う
    ベイズ主義が科学哲学の問題にこれほど鮮やかに適用できるとは知らなくて、5章を読んで胸のすく思い!
    研究している身としても、改めて方法論について思いをめぐらすきっかけになって良かった。天文学を念頭に読みすすめていたので実在論/非実在論の項は特に思考をめぐらすことができた。
    個別のエピソードとしては、機械論的世界観が優勢の時代にニュートンが物体同士が触れていないのに重力が伝わるなんてことを言い出して「神秘主義への退行だ」などとライプニッツとかに厳しく批判されたって話がおもしろかったな。

  • 疑似科学を科学から区別するには、そもそも科学とは何かということを定義しなければならないが、それは、簡単ではないことが分かった。科学と疑似科学とを切り分ける明確な基準はないという結論だが、現に疑似科学と呼ばれているものは、やはりそれなりの理由があるからそう呼ばれている。これまで感じていた胡散臭さには、根拠があったのだと思う。それはさておき、128ページ脚注の応用問題「『この宇宙に存在する金塊はすべて5万キログラム以下である』というのは、仮に本当だったとしたら、因果的規則性だろうか、偶然的規則性だろうか?また『この宇宙に存在するウラニウム塊はすべて5万キログラム以下である』というのは?」を考えてみた。金塊は、偶然的規則性だと思う。ウラン塊は、ウラン235とウラン238の比率が現在と同程度なら、因果的規則性かもしれない。5万キログラムかどうかは分からないが、ウランをたくさん集めて塊にしたら、連鎖反応が起きて爆発飛散してしまわないだろうか。もしそうなら、宇宙に存在できるウラン塊の大きさには上限があると思う。

  • 切り口としてスキャンダラスとも言える疑似科学、つまり
    占星術や代替医療、超心理学や創造科学などを用いては
    いるが、中身はきちんとした、そしてとてもわかりやすい
    科学哲学の入門書。疑似科学と科学の間にいかに線を引くか
    ということをテーマに科学哲学の様々な考え方を解説して
    くれる。前に読んだ「科学哲学の冒険」よりは少し踏み
    込んだ内容になっているかな。

    著者はベイズ主義を推しているようで、今まで何冊か科学
    哲学の本を読んできた身としてはそこが少々気にはなった。
    人それぞれ考え方や立場があるということなのだろう。

  • 【目次】
    目次 [i-iii]

    序章 001

    第1章 科学の正しいやり方とは?――創造科学論争を通して 011
       1 創造科学のしぶとさ 012
       2 帰納と反証 023
       3 創造科学と進化論の比較 040

    第2章 科学は昔から科学だったのか?――占星術と天文学 059
       1 占星術と科学の微妙な関係 060
       2 蓄積的進歩からパラダイム論へ 073
       3 科学の変化と疑似科学 087

    第3章 目に見えないものも存在するのか?――—超能力研究から 107
       1 超心理学とは何か? 108
       2 科学的実在論と反実在論 119
       3 超能力なんかなくても超心理学はできるのか? 134

    第4章 科学と疑似科学と社会――代替医療を題材に 151
       1 代替医療と機械論的世界観 152
       2 科学社会学と相対主義 169
       3 合理主義からの相対主義批判と社会への影響 180

    第5章 「程度」 の問題――信じやすさの心理学から確率・統計的思考法へ 197
       1 信じやすさの心理学 198
       2 統計的に有意とは? 214
       3 「程度」 思考の有用性 230

    終 章 249

    参考文献・ウェブサイト表 [263-273]
    あとがき(2002年9月 伊勢田哲治) [275-278]
    索引 [279-282]

  • 読書録「疑似科学と科学の哲学」3

    著者 伊勢田哲治
    出版 名古屋大学出版会

    p145より引用
    “超能力という目に見えないものの存在を主
    張するなら,せめて超能力の実用化につなが
    るレシピを示せ,とこういう答えである。”

    目次から抜粋引用
    “科学の正しいやり方とは?
     科学は昔から科学だったのか?
     目に見えないものも存在するのか?
     科学と疑似科学と社会
     「程度」の問題”

     哲学博士である著者による、科学と疑似科
    学を区別する境界を探る手法を記した一冊。
     帰納法から統計的手法まで、科学的に正し
    く判断する方法を、具体例をあげて記されて
    います。

     上記の引用は、超能力と介入実在論につい
    て書かれた一文。一部の人だけが使えるだけ
    だと、その他の人にとっては脅威になりかね
    ないでしょうから、積極的に誰にでも使える
    ようになる方法を示してほしいものです。
    そういう事が出来る世界を舞台にした、ライ
    トノベルがありますね。
     物事をしっかりと見つめて、何が本当で何
    が間違っているか、慌てること無く対処でき
    るようになりたいものです。

    ーーーーー

  • 科学と疑似科学の境界設定問題(demarcation problem)を題材に、科学の本質についてたいへん分かりやすく説明している本。科学哲学の入門書の中でも良書だと思う。

    本書で扱われている話題は次の通り。第1章は、創造科学と進化論の境界設定を手引きに、帰納法に対するヒュームの批判、仮説演繹法、ポパーの反証主義などの科学的方法論が第2章は、占星術と天文学の境界設定を手引きに、クーンのパラダイム論、Ⅰ・ラカトシュのリサーチ・プログラム論、L・ラウダンのリサーチ・トラディション論が、第3章は、超能力に関する研究を題材に、科学的実在論と反実在論との対立が、それぞれ取り上げられている。

    第4章は、代替医療の立場からの機械論的世界観に対する批判を紹介した上で、科学と社会との関係にまつわる諸問題を扱っている。ここでは、マートンの科学社会学、ファイヤーアーベントの認識論的アナーキズム、エディンバラ学派などの社会的構成主義が紹介されているだけでなく、科学に関する政策決定の問題も考察の対象とされている。

    第5章の主題はベイジアニズムである。あくまで入門書である本書は、数学的な説明に立ち入ることは避けつつも、仮説の確からしさを扱うベイジアニズムの立場によって、ラカトシュのリサーチ・プログラム論のアイディアを定量的な形で生かすことができることを分かりやすく解説している。

    ベイジアニズムに関する話題は京都大学系の科学哲学者の十八番という印象があるが、本書も入門書であるにも関わらず著者自身の立場としてベイジアニズムが前面に押し出されている。さらに科学と疑似科学の境界設定に関しても、「程度」の観点を導入することで、それぞれの疑似科学がどの程度科学的でどの程度非科学的なのかを総合的に判定することが可能だと著者は主張している。

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著者プロフィール

1968年生まれ
1999年 京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学
2001年 メリーランド大学よりPh.D.(philosophy)取得
    名古屋大学大学院情報科学研究科准教授等を経て
現 在 京都大学大学院文学研究科教授

著書:
『動物からの倫理学入門』(2008年、名古屋大学出版会)
『科学技術をよく考える』(共編、2013年、名古屋大学出版会)
『宇宙倫理学』(共編、2018年、昭和堂)他

「2022年 『宇宙開発をみんなで議論しよう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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