日本を一番愛した外交官: ウィリアム・キャッスルと日米関係

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  • 芙蓉書房出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (300ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784829508565

作品紹介・あらすじ

「日本とアメリカは戦ってはならない!」
昭和初期、日米間に橋を架けることを終生の志とした米人外交官がいた! 駐日大使、国務次官を歴任したキャッスルの思想と行動、そしてアメリカ側から見た斬新な昭和史


《はじめて紹介される事実の数々……》
✺排日移民法(1924年)のきっかけを作った埴原駐米大使の失言は実はヒューズ国務長官の示唆によるものとキャッスルが証言
✺パリ不戦条約(1928年)の実質的作成者はキャッスルだった
✺スティムソン国務長官の「満洲国不承認宣言」(1932年)に対しキャッスルは「満洲は日本が統治したほうが一番いい」と主張
✺日中戦争の時代、対日非難の動きに対しキャッスルは「中国を助けるべきではない。それは中国をソ連に明け渡すことを意味する」と主張

ウィリアム・キャッスル(1878-1963)とは
ハワイ王国生まれ。ハーバード大学卒業後、同大学で英語講師と新入生担当の副学部長を務め、1917年ワシントンDCにアメリカ赤十字局を開設、欧州派遣軍将兵とその家族の支援活動に従事。1919年国務省に入省、国務省西欧部長(ハーディング政権)、国務次官補(西欧問題担当、クーリッジ政権)。1928年パリ不戦条約の制定に関わる。1930年日本特別大使を務めた後、国務次官補、国務次官(フーバー政権)。1933年国務省を退き外交評論家として活動。1936年共和党大統領候補・ランドンの選挙参謀。1940年アメリカ第一委員会に加盟しアメリカの参戦反対の活動に従事。戦後1948年アメリカ対日協議会の名誉会長となり、1960年日本から勲一等旭日大綬章を授与される。

◎目次

序 章 ハワイという橋脚の島
第1章 外交官になるまで
第2章 ハワイにおける大ストライキ
第3章 国務省西欧部長・キャッスル
第4章 キャッスル、日本特別大使となる
第5章 大恐慌の時代
第6章 満洲事変の勃発
第7章 スティムソン長官の不承認宣言
第8章 キャッスルによる満洲事変の総括
第9章 ブロック経済、自給自足経済体制の深化
第10章 在野において旺盛に外交を論ず
第11章 アメリカは戦争に関わらず中立を維持すべきである
最終章 第二次大戦中の雌伏、そして戦後の日本の再生

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著者プロフィール

1952年福岡県生まれ。慶應義塾大学文学部卒。日本近現代史研究家。著書に『優しい日本人、哀れな韓国人』(WAC出版)、『中国共産党の罠』(徳間書店)、『日本はいかにして中国との戦争に引きずり込まれたか』、『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』(以上、草思社)、『満洲国建国の正当性を弁護する』(G.ブロンソン・リー著、翻訳、草思社)、『暗黒大陸中国の真実』(R.タウンゼント著、共訳、芙蓉書房出版)、『続・暗黒大陸中国の真実』(R.タウンゼント著、共訳、芙蓉書房出版)、『日米戦争の起点をつくった外交官』(P.ラインシュ著、訳、芙蓉書房出版)ほか。

「2023年 『日本を一番愛した外交官』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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