成功はゴミ箱の中に: レイ・クロック自伝 世界一、億万長者を生んだ男-マクドナルド創業者 (PRESIDENT BOOKS)
- プレジデント社 (2007年1月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (386ページ)
- / ISBN・EAN: 9784833418454
感想・レビュー・書評
-
★学んだこと
マクドナルドのフランチャイズ権を購入して全世界に広めたレイ・A・クロックさんの話をもとに、やり遂げる大切さを学びました。
この世界で継続ほど価値のあるものはないと断言をして、信念と継続だけが全能であるという言葉に確かにと思いました(●´ω`●)
★実行すること
まずは自分の決めている習慣を徹底して継続させること、継続させつつも更新をしていける器の人になります!レイさんの努力量に比べたら本当に大したことなさすぎるから、このくらいのことは余裕でこなせる力をつけます!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
悪くはない。自伝で時折、信条などを語りながら、なぜそう判断したのかが書かれている。
非常に感情的な人だし、結構いろんな人をディスっていて、多分サイコパスだなとは思いながらも、考え方、マインドで参考になる部分は多かった。
まあ、テーマで言うと、
資本主義のルールに則りWIN-WINを目指せ、
顧客を見てビジネスを進めろ、
ということだろう。
ただ、線を引いたのは、本章よりも後半の柳生さんの語りの部分が圧倒的に多かったw -
世界的なファストフードチェーンのマクドナルド創業者レイ・クロック氏のマクドナルドの出会いや自身の考えなどその半生を書いた一冊。
ペーパーカッブの販売やピアノマンなどを経て、52歳の時にマクドナルド兄弟の営むハンバーガーと出会い、そこから経営に乗り出し、フランチャイズ展開で大成功を収め、世界に名だたる大企業に上り詰めるまでのアメリカン・ドリームを掴んだ氏の功績を知ることができました。
そして、マクドナルド兄弟との確執の苦悩やマクドナルド大学設立による社員教育などの時点におけるクロック氏自身の考え方も書かれていて現在の地位にまで至る苦労などを知ることができ、たいへん刺激を受けました。
また、フライドポテトのあの独特の味やフィレオフィッシュなどの誕生秘話や財団を設立して社会貢献する姿など今の姿に至るまでの経緯も知ることができ、マクドナルド社への理解も深まりました。
巻末の孫正義氏と柳井正氏の対談や柳井氏の解説も本書の内容を深掘りすることができ、興味深いものでした。
その中でも日本にマクドナルドを導入した藤田田氏のエピソードは強く印象に残りました。
現在飲食を中心に経営の1つの潮流となっているフランチャイズというシステムをマクドナルドの経営を通じて構築したクロック氏の功績を本書で知ることができました。
クロック氏のリスクを負って諦めず挑戦したことやフランチャイジーを信じて経営を行ってきたこと、サンディエゴ・パドレスを買収した際の不甲斐ない試合への謝罪のエピソードなど同社の経営のみならず顧客に対して商品やサービスに妥協しない姿勢などが現在の世界を代表する企業になった要因だと感じました。
クロック氏の半生を通じて、自分の人生にプラスになる力をもらえた一冊でした。 -
やり遂げろ。才能は違う。天才も違う。教育も違う。信念と継続。幸せを手に入れるためには失敗やリスクを越えていかなければならない。
-
マクドナルドの実質的創業者の自伝。52歳でマクドナルド兄弟の経営する店に出会い、そのシンプルさ、綺麗さ、美味しさ、安さに惚れて全国チェーンを目指しフランチャイザーを広げていく。サプライヤーとも協力し、多くの人を億万長者にする。大胆に、素早く、人と違ったことをする、これが秘訣であるが、それを実践して徹底してマクドナルドを浸透させていった。それだけこのフランチャイズシステム、各地の経営者、商品・店の強力さを信じて、磨き上げていった。
柳井正、孫正義の対談、巻頭巻末の文章が豊富。 -
1
-
10/9 落合蔵書
-
マクドナルドの創業者の自伝
こいつは面白い -
2017/08/08 初観測
-
誰もが知っているマクドナルド。そのファーストフードビジネスをチェーン化した経営者の自著伝。
彼は初めからファーストフードのビジネスに関わっていたのはない。紙コップの営業マン、ビアノミュージシャン、ミキサー営業マンと職を渡り歩いた。52歳でマクドナルドという当時は一介のハンバーガー店に出会って、成功の可能性を確信し、そこから全国展開に汗をかく。
印象に残った文章の備忘録。
・この時期(苦境の時期)、問題に押し潰されない方法を私は学んだ。一度に一つのことしか悩まず、問題をズルズル引きずらない。
・マクドナルドを安定した品質と運営が標準化されたレストランのシステムにするためには、徹底的な教育と、施設の見直し、運営への評価などが必要であり、さらに日夜の研究開発が必要だった。