- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784845921133
感想・レビュー・書評
-
ざっと読んだ。
サスペンスフィクションの構築に関する本のなかでぶっちぎり面白かったのは、フランソワ・トリュフォーによるヒッチコックへのインタビュー『ヒッチコック映画術』だ。
本作はヒッチコックの傑作『見知らぬ乗客』の原作者であるパトリシア・ハイスミスによる創作術の本。
著者自身書いているが本書はハウツー本ではない。
泡のように消えてしまいそうな、けれども書き手にとってはかけがえのないアイデアの芽をいかに発展させ、それをプロットに仕立てあげ、編集者にリジェクトされてもへこたれず、ときに身を切る思いで苦労して書いた文章を大幅に削除に、あるいはいちから書き直し、メリハリをつけ、最終的には出版社に買い取ってもらうまでの(たいてい)長い道のりを、パトリシア・ハイスミスの実体験にもとづいて追体験できるように書かれている。
後半はより具体的に、長編『ガラスの独房』をもとに、作品を手放すまでのプロセスが語られる。
フィクションの膨らませ方というのはほんと誰ひとり違っているもの。とはいえ本書に書かれた思考プロセスというのは、かなり実践的な内容だけど、わりと普遍的なことを語っているのではないだろうか。
ひたすらすごいなと思ったのは、彼女の「捨てる勇気」。膨大な文字数を捨てている。惰性で書いてるなと気づくと容赦なく捨てる。編集者に捨てさせられる前でさえも。
あと細かな話で、個人的にたしかに!と思ったのは、自分の知り合いをそのままモデルとして用いるのはほとんど不可能だという指摘。
ヘンリー・ジェイムズのエピソードが印象的だった。
友人が「物語」を聞かせ始めると、彼はほんの数語で制止したという逸話。パトリシア・ハイスミスいわく、
「もう十分聞いたから、残りは自らの想像力に任せることを望んだのだ」
氏はやわらかな想像力にとって「サスペンス小説」というカテゴライズが馬鹿げたものであることもちゃんと認識している。新しいものは枠組みの外にある。普遍的と書いたのはそういう意味で、だ。 -
村上春樹は、毎日机に向かって書く習慣をつけることだと言っていたような気がする。パトリシアハイスミスも似た感じのアドバイスを行なっている。執筆に適した環境が重要であること。執筆した部屋対しての圧倒的な感情。もちろん古い本なので、ゲラ刷に対しての修正が作家にどのようなコストを発生させるのか?とか、タイプライターとカーボン紙といった失われたテクノロジーのディテイルも出てくるのだが、パラグラフの構成や描き始め、全体のボリュームとその失敗、第二稿ではなにを行うべきなのか、などの技術は書くという行為にとって本質で変わりがないように思える。二子玉川の蔦屋にて購入。書店でなければこのような本には出会えない。コラボラティブフィルタリングでは無理なのだ。書店というメディアがなければ僕の読書遍歴は起こらない。歩くという身体的運動と視覚と触覚を使ったインタラクションこそが重要なのです。
-
ハイスミスが好きです。
もう新刊など読めないと思っていたのに、このような本が出版されたことがうれしい…
最終章とあとがきに心を打つ内容が。
最終章にある別の作家とは誰なのか…わかる人もいるんですよね。まだまだ勉強不足です。
さらにデイジーミラーを読まなくては!
いろんな側面から、とても楽しめる、そして役にたつ1冊でした。
後日談
某図書館でこの本の返却時、この本をすれ違いで借りる方に遭遇!
私の返却本ではないですが、そういう場面はさすがに初めて…良書なだけに、うれしくなりました!
-
パトリシア・ハイスミスの小説はいずれ読んでみるつもりでいた。それがなぜか小説よりもこの本を手に取ることになってしまったが、作家という存在がどのようなことを考え、自分の作品と向きあうのかを知ることができて有意義だった。気になるタイトルが何作かあったので、これからぜひ読んでみたい。
-
摂南大学図書館OPACへ⇒
https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50296068 -
「本を書くにあたって喜ばせるべき最初の人間は、自分自身だ」という一文で本書は始まる。
著者が一貫して強調しているのは、"書くことの喜び"である。
それがどんなに辛く孤独で重苦しい作業だったとしても、結局のところ執筆とは、自らの経験や人生を整理する方法であり、たとえ読む者がいなかったとしても、その欲求は誰にもあるものなのだ。
ゆえに小説とは、作者の五感によって形づくられた、感情を揺さぶる経験の記録であり、それがどんなに小さなものであっても、優れた芸術家なら喜んで飛びついて、思うままに使える形に変換していくはずだ。
「結局のところ、小説とは感情的なもの」であり、「良い短編小説は作家の感情だけから作られているもの」だとする。
読者が知的であればあるほど、専門的な知識やら、衝撃的な結末やトリックやらといったギミックで読者を愉しませる薄っぺらいエンターテイメントではなく、作者の感情から書き綴った物語を、そして直接的で、実際に本の中にいるように感じられる経験を含んだ作品を読みたいと思うはずだ。
そのために作者は、自らの打ちのめされるような経験や印象を素材に変換し、全人生をかけて自分が持っているものを脱ぎ去っていく必要がある。
どこからアイディアを得ているのですかとよく聞かれるが、アイディアは「作家に訪れるものであり、作家が探すものではない」と。
同様にテーマも、「主題は探し出せるものでも、追いかけられるものでもない。現れるものなのだ」。
面白いのは、友人・知人から聞いた話というのは、物語の萌芽になりにくいと言っていること。
たとえそれがどんなに「最高に刺激的な物語」であったとしても、作家の想像力を必要としていないという一点において、なんの価値もないものだと。
「作家の想像力と脳は、芸術家としてこういった話を拒絶するようにできている」。
...
https://honyakumystery.jp/19787