年をとると書くことが難しくなる。書き続ける意志を保つのが厳しくなる。書けること、話題と言えば、病気のことをひたすら書くか妻への愚痴ぐらいになる。あとは、若い頃の恋愛の思い出か、老いの恋と失恋。作者はそれが時々作品内で現れるものの、意識的にそうならないようになんとか格闘していて、持ち前の精力と筆力で、その壁を突破しようとしている。それが伝わってくるのが面白いのだ。
これから純文学をどう書いていくのか。里見弴のような熟練の、もうこのへんにしておきましょうかみたいな落ち着いた味わい深い筆致になるのか、どうするのか、彼の判断は違ったものだった。
優しい脅迫者をのぞいて全作品に言えるが、読んでいる内に、いったい自分がどこにいるのかわからなくなる。作者は、やけくそで書いていると冗談めかしていうが、あながち間違いではなく、読む方もやけくそで読んでいくのが正しいような、そんな純文学を書いているのだ。つまり、読み手も書き手もやけくそになって、文字の世界にひたすら突っ込んで入りこんでいくしかないのだ。
不思議と、著者の書くやけくその世界は、飽きが来ない。がんがん話が飛ぶので飽きないというわけでもない。底が見えて、これから書かれることも全部見えてしまうということが決してないのだ。何が飛び出すか、どんな展開になっていくか、全く予測不能なので、なぜか読み進めてしまう。
この本で、特に評価できるのは、本の表題にもなっている漱石『満韓ところどころ』を読む、だ。なぜ評価できるかというと、一本筋が通っているからで、天皇を認めない左翼という、本当の左としての意見、リベラルとして一言かましているからだ。これぐらい強烈でないと、その反対側もはっきりとならない。天皇を認める左という形ではない、中途半端じゃないところがいい。色々反論はあるかもしれないが、一つの意見となっている。迷い無く、ごまかしているところがないのが良い。ただ、唯一足りないところは、彼がその思想をキリスト教と國學院での研究から来ているという、立場のルーツ、思想的土台の公開をしていないところだ。それを明確にすれば、より鮮明になったが、それは評論前の小説群で十分わかるだろうとも思う。
優しい脅迫者も良い一編だと思う。特に「いいいん、いいいん、いいいん……」の場面は圧巻。建設会社の資材課で働く主人公のもとに、無言電話が何度もかかってくる。その正体は、深水という主人公と同じ資材課の男。不況でレイオフの対象になった深水だったが、組合には入っておらず、孤独に抵抗していたが、土木工事部にうつされた。それでも何もせずに抵抗していると、今度は屋上の物置に机をうつされて、そこで深水は働かされることになる。追い詰められた深水は、言葉をまた失ってしまい、デモに失敗して、泣き声と無言電話しかできなくなってしまう。企業小説としてとんでもなく暗いけれども、不況の中での会社の空気の沈鬱さがよく描写されていて、読みやすい。