ダイアローグ――対立から共生へ、議論から対話へ

制作 : ピーター M センゲ 
  • 英治出版
3.70
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感想 : 58
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784862760173

作品紹介・あらすじ

偉大な物理学者にして思想家ボームが長年の思索の末にたどりついた「対話(ダイアローグ)」という方法。「目的を持たずに話す」「一切の前提を排除する」など実践的なガイドを織り交ぜながら、チームや組織、家庭や国家など、あらゆる共同体を協調に導く、奥深いコミュニケーションの技法を解き明かす。

感想・レビュー・書評

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  • デヴィッド・ボームは、アインシュタインと共に研究をしていた20世紀を代表する物理学者の一人ですが、そんな人が晩年に提唱したのが「On Dialogue」,「対話」でした。



    彼のいう「対話」をまとめてみると、参加する人々の背景に小川のように存在する「意味」の流れを汲み取りながら、「想定」(バイアスのようなもの)にとらわれずに、新たな意味をつくりあげる営み、という感じでしょうか。



    私は大学生の頃からファシリテーターのような役割を経験してきましたが、2013年頃にこの本を読んでから、姿勢が変わったように思います。なんというか、本当に、話し合いの場に参加するときには「小川」をイメージすることから始めています。



    7年以上経ったいま、読み直してみましたが、うなずきが止まらないというか。熟練のファシリテーターにとっては当然のことが滔々と書かれている本だと思いますが、何度読んでも色褪せない、原点回帰できる本だと思いました。



    人々の行動や発言の背景には必ず、ボームのいう「想定」があると思います。人々が個別にもつ「想定」をぶつけ合い、それを認めさせようとする話し合いはディスカッションであり、それは対話とは明確に異なるものである、とボームはいいます。



    そうではなくて、対話にはそもそも、特定の目的や議題などは存在しない。お互いがもつ想定の意味(どうしてそう思うのか?)を導き出し、共有し、(小川の流れに意見を乗せていくように)その意味をつなぎ合わせながら、そのグループにおける新たな意味をつくりあげること。



    いわゆる「ブレインストーミング」と呼ばれる場で、おしゃべりな人がバババーっと喋ったことがそのままグループの意見になることや、付箋に書かれた意見を見た目だけで機械的に並び替えて「グルーピング」して「グループの意見がまとまりました」ということがたまにあります。



    というよりは、「どうしてそう思ったのか」「それについて、あなたはどう思うのか」を(もちろん、言葉による発言を強要するのではなく、その人に合う表現方法で)導き、つないでいく、という感じかなあ、と。



    無目的、かつ言葉の意味を拾いながら雑談する場を大切にしたいものですね。

  • タイトルから期待していた内容と違くて、あまりすっと入ってくる本ではなかった。

    要するに、個人は集団からの影響を受けながら自分の想定、つまりバイアスや思い込みを持っている。それを自覚していることがまずは大事なのではないか。その上で、目的のない対話をすることによって、共有される意味の流れを見つけ出す。
    それが「断片化」されている社会をつなぎ合わし、機能させるために重要だ。

    ということを伝えたい本何なのかなぁと思った。

    日本的な感覚として『空気の研究』という本を思い出した。

  • ただ話す場を継続的につくってみようかなという気持ちになった。この本でいうところの対話グループ、インコヒーレントからコヒーレントに向かう場、何も起こらなかったり単に同調したりするのではなく、対話をしたことによって何らかの変化(干渉の結果)が起こる場を体験してみたい。

  • カバーの色が黒と白で、同時発売のジャウォースキーの「シンクロニシティ」と対になっている「コミュニケーション論の名著」だそうだ。

    著者は、物理学者のデヴィッド・ボームで「シンクロニシティ」にも、印象的に登場している。「シンクロニシティ」が、個人的な経験談、自伝であるのに対して、こちらは対話に関する理論的な考察で、かなり難しいというか、読みにくい。

    物理学者による対話論ということで、まずイメージしたのは、ニルス・ボーアなどのコペンハーゲン学派が、自由な対話、議論ということを重視していて、その自由な風土は、さまざまな物理学の研究所の模範とされた、といったところ。しかし、この本には、そういう話はほとんど出てこない。でてくるのは、そのボーアとアインシュタインが、お互いに理解しあうことができず、次第にお互いに嫌い合うようになった。つまり、対話が成立していなかったという悪い事例だけ。

    で、この本になにが書いてあるかというと、まずは、対話のやり方、始め方みたいな手法論から始まるのだが、最後のほうでは、なぜ、対話が重要なのか、なぜ対話がなりたちにくいのか、進化論とからめた大脳生理学とか、観察者は観察物に影響を与えるといった観点とか、私たちの思考は精神的なものではなく、物質的なプロセスであり、より大きなものの一部である、など、最近の私の関心事(=ポジティブ心理学、大脳生理学、量子力学、スピノザ、人類学)に近い哲学的主張となって、エキサイティングだった。

    とはいっても、やっぱり難しくて、到底、分かったとは言いがたい。とくに、前半の手法的な部分には、なんだか著者独自の理想的な状況が前提としたうえでの議論になっているような気がする。 具体的な方法論として、「使える」感じはすくない気がする。

    あと、この本は、エッセーやレクチャー、即興のコメントなどを編集したものらしいけど、それぞれの章が、いつどこで発表されたものなのか、が分からないのもやや気になった。編者のイントロダクションによると、この本の各章の書かれり、話された時期は、1970年代の初めから1990年代のはじめまでと幅があり、ボームの語っている社会的な問題を理解するときのコンテクストとして、「いつ」というのは、結構、大切な気がした。

    「対話の目的は、物事の分析ではなく、議論に勝つ事でも意見を交換する事でもない。いわば、あなたの意見を目の前に掲げて、それをみることなのである」

    ここのところは、やっぱ肝かな?

  • 最近自分の「対話力」が低下しているのではないかとの危機感から、4年ぶりに再読。単なるディスカッションではなく、Win-Winを実現するための「対話」に必要なスキルとプロセスを解説した一冊。

    人は自分が所属する社会・集団の中で身につけた「思考と感情」により、事実をありのままに見ているつもりでも無意識の「想定」を行っており、他人が異なる「想定」から述べた意見に対して「守り」の姿勢を取ってしまうことが、対話を阻む障壁となる。著者はその背後に、現代社会に浸透した「科学的思考」があり、人々が”唯一絶対の真実”を追求する姿勢が社会の「断片化」を招いたのだと指摘する。

    これらの課題を克服して「対話」するためには、一切の判断や行動を「保留」し、自己の感情をひたすら観察することにより、自分の「想定」を意識するとともに、科学的思考の対極である「参加型思考」を用いて、自分も相手もより大きな「全体」の一部であると認識する必要がある。「勝ち負け」を競いがちな文化とは真逆の価値観を組織的に許容することの大切さと難しさを再認識することとなった。

  • ・対話とは、共通理解を探し出す行為
    ・古い脳が主に活動しているのは現在に関してであり、本質についてではない。新しい脳は主に本質に関する活動をしている。
    ・参加型思考と具体的思考

  • 人とのやり取りになやんでる方
    対話とは相手を説得するのではなく、共通理解を探し出す行為
    詳しくはこちら
    https://takeoido.hatenablog.jp/entry/2023/06/17/200000

  • 230415021

    なぜ人は対立するのか。対話とは共通理解を探し出す行為だと理解できれば、議論とは違うということを認識できれば、分かるのだろう。
    サステナブルという言葉を目にすることが多い現代において、対話の重要性は増している。

  • [出典]
    「学習する組織」 ピーター・M・センゲ

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著者プロフィール

1917-1992。アメリカ、ペンシルヴァニア州に生れる。1939年ペンシルヴァニア州立カレッジにてB.S.を、1943年カリフォルニア大学(バークレー)にてPh.D.を取得。ブラジル、イスラエルなどで教鞭をとったのちロンドン大学バークベックカレッジ教授。

「2019年 『量子論 【新装版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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