- Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
- / ISBN・EAN: 9784865282566
作品紹介・あらすじ
池澤夏樹氏、阿部公彦氏、推薦!
知られざる英語辞書の世界とその秘密。
アメリカの伝統ある辞書出版社メリアム・ウェブスター社の編纂者が、「英語とは何か」にさまざまな角度から光を当てる14章。
“it's”は文法的に「正しい」のか?
“nude”は「白人の肌の色」?
“marriage”は同性婚を含むのか?
“bitch”は女性蔑視か?
“OMG”は英語の退化?……
など、辞書編纂を通じて見えてくる英語の謎を、英語にまつわるトリビアや逸話も織り交ぜながら、専門的かつ軽やかな筆致で描き出す。
言葉の常識をひっくり返し、言葉と社会の繋がりを再発見する、普遍的なヒントがちりばめられた一冊。
感想・レビュー・書評
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2018年までメリアム・ウェブスター社で辞書編纂者を務めていたコリン・スタンパー氏が、英語という言葉と、辞書、そこに載せる言葉の解釈(語釈)を考える仕事への愛憎を、博覧強記とも言える知識を散りばめながら語ったエッセイ。
とにかく面白い。
英語という言語に興味がある人、そして辞書編纂という業務に興味がある人、また、特定の分野に関係なく、自分が携わる仕事への誇りと、不安について他人の声を聞きたい人、必読。 -
英語辞書編集者たちの産みの苦しみと面白さを内部から書いた本。
究極の英語geekたちが繰り広げる静かだが拘りのあるやりとりが興味深い。
辞書は言葉の正しい意味が載っているのではなく、その言葉がその時々でどのように使われているのかを説明しているという視点はとても新鮮だった。
この視点を持たないユーザーとの間に生じる衝突もまた面白い。 -
いつどこで目にしたのかも思い出せないような真偽不明な話だけど、エッセイを募集すると『広辞苑によれば』という書き出しではじまる作品が多数寄せられるらしい。テーマを得て、まず『それはそもそも何なのか』を確認してから論旨を展開する。確認する術として辞書を手にとる(辞書といえば広辞苑である)。辞書を引くことで、ある種”間違いのない”出発点に立てるという信頼がある。
そうした辞書の信頼がどのようにして支えられているのかを、辞書編纂の内側の視点で語る本、英語を母語とする人が英語辞書の編纂をしているその世界の話。
筆者によると、辞書というものは、語の規範的な意味を記しているのではなく、その語が現実の世界で如何なる意味で使われているのかを記すものだという。つまり、辞書とは自分たちの社会、制度、思想、感情の縮図であり反映だ。
そして辞書編纂者はそれを知るために、日々、世に放たれる無数の文章に目を通し、そこに現れる語と意味の関係に注意を払い、それをまた適切な語で表現する。膨大な仕事量、的確に表しつつも誤解を招かないようにする繊細な注意、押し寄せる変化、そして寄せられる"ご意見"、など、彼ら彼女らの仕事はこうした困難さや葛藤と戦っている。
辞書を作るというのは、閉じられた世界で真理・深淵を追い求めるものではなく、むしろ開かれていて対話的でそして止めどないものだということが分かる。
アメリカでは、辞書に記された内容に"ご意見"が届くらしい(日本ではどうなのか知らないけど)。
思想信条に合わない記述に対して、語の乱れだとか、社会を混乱させるとか、政治的な意図があってやっているのか、など。しかし辞書とは、社会における語の立ち位置を反映している。"ご意見"者の隣人が、今まさにそうした意味で語を使っているということだ。こうした"ご意見"が届くのは、辞書出版社自身の過去のマーケティングにも原因があるらしい。シェアを伸ばすために、"皆さんによりフィットする"辞書であろうとした、つまり権威的になることで売れようとした。"ご意見"とはその落とし子だった。
加えて彼ら彼女らは、辞書が営利目的であることにも自覚的だ。辞書とて存続するためには売れなければならない。売れるためには版を改めるし、版を改めるためには締め切りが生まれ、締め切りがあると人はいつも苦しくなる。
辞書と営利活動との関係は、他ではなかなか目にすることが無いような視点だ。(当たり前といえば当たり前だけど)そこには締め切りもあるし、お客様の声もある。
辞書とは、時代が移ろうとも泰然自若で構えているものと思っていた(現に重いし)が、そんなことはない、変化に挑むものの象徴だった。 -
何気ない会話の中でも、日本人の特定の年代である私が発することにより何かの含意が生まれうるし、また受け取る側の人にどんなバックグラウンドがありどうそのことばを理解しているのかによっても、意味が変わってしまう可能性すらある中で、誰もが答えを求めて参照する辞書のことばを定義するとはなんと難儀なことか。
面白くも、スリリングに読んだ。
どの章も興味深いが、語釈の宿命と、よろしくない言葉の章に考えさせられた。
また、英語について英語で考察した文章を、日本語でわかりやすくよめる翻訳も素晴らしくて日本語の豊かさも感じることができた。 -
2021.5.1市立図書館
英語辞書編集者の打ち明け話。
辞書編纂の歴史や舞台裏を知れば知るほどに、規範か記述か、方言の扱い、わかりやすい新語・流行語もさることながら文法や用法の地味な変化を捉えることの重要さ、コーパスの功罪…英語の世界も日本語と変わらず(あらゆる言語の宿命として)なかなか複雑なのだなとよくわかる。
日本語だったら今は辞書編集者の飯間浩明さんがあれこれ書いてくれているし、佐々木健一『辞書になった男 ケンボー先生と山田先生』などもある。サンキュータツオや辞書部屋の人々の啓蒙もあって、その方面が好きな人なら、言葉は違えど何処も同じ、と楽しめること請け合い。
また、辞書にたいして関心がなくとも英語(言葉)大好きというならやはりおもしろいし辞書編纂に目覚める(というか沼にハマる)かも。 -
〈ことば〉に並々ならぬ興味を持ち、世界で一番有名な辞書『ウェブスターアメリカ英語辞典』を出版するメリアム・ウェブスター社で辞書編纂者を務めていた著者が、英語とことばにかける情熱をユーモアたっぷりに語り尽くす辞典エッセイ。
面白かった〜!文章を読むかぎりではコーリーはとても冗談好きで陽気だが、辞書編纂者は無言のオフィスで粛々と仕事をし、社内パーティでは中心で談話する営業部などから離れて隅っこにいる、という生態にまず共感(笑)。しかし文章でなら饒舌で、その語り口にぐいぐい引き込まれる。
本書で取り上げられている英語にまつわるトリビアや仕事の愚痴(「この言葉を初めて使ったのは自分だ」と言い張る一般人のクレーム対応など)の面白さを挙げていけばキリがない。たとえば「言葉を差別しない」と言いながら、コーリー自身"irregardless"は一単語中に二重否定が起こっているなんて正気じゃないと思っていると、本書のなかで何度も語る(笑)。それでもこの単語の語釈担当になったコーリーがだした結論は、個人の好悪ではなく辞書編纂者としての使命に忠実にことばと向き合うことだった。
本書全体を覆うテーマに、辞書を取り巻く思想「規範主義」と「記述主義」の対立がある。「規範主義」は、辞書は〈正しい〉ことば、〈正しい〉文法を記載し規範を示すべきであるという考え方。「記述主義」は、辞書がことばをジャッジするのではなく、〈使われている〉ことばをできるだけ多く収録するという現代辞書の中心的な理念である。近代〜20世紀中盤までの辞書出版業界は各々の〈正しさ〉を喧伝することで自社の商品を買わせようとしていたため、率先して「規範主義」を広めていた面もある。そのせいか、今も辞書には〈正しい〉ことばのみを載せるべきだとする権威主義的なクレームが絶えないという。その一例が、同性愛に関する用法を載せたことで白人の保守派団体から集団攻撃を受けた日々のレポートである本書の最終章「Marriage」だ。この章は辞書というものの面白さとアメリカの今がよくわかる、本書の特徴がギュッと詰まった章になっている。
〈正しい〉ことばはマイノリティを排除しようとする。「Nude」の章では肌色の違う人びとを、「Bitch」の章では女性を。コーリーが勤めていたある時期までウェブスター辞書の「bitch」の項には「侮辱語」を示すラベルがつけられておらず、それを見つけたコーリーは同僚の女性と一緒にとても驚いたという。調べてみると、過去にそのラベルをつけるべきだと進言した二人の辞書編纂者はどちらも女性で、却下したのは2回とも男性だった。このことを本書に記したコーリー自身も往来で、あるいは母に向かって投げつけられた〈暴力〉として、bitchということばの記憶はある。「われわれは手を使って言葉を書き、口を使って言葉を話し、言葉がつけた傷跡を体に持つ」という内省と、固く握り締められた少女の拳のイメージで終わるこの章の最終段落が私はいちばん心に残った。