- Amazon.co.jp ・本 (421ページ)
- / ISBN・EAN: 9784872339451
作品紹介・あらすじ
明治三六年、夏目漱石の教え子・一高生の藤村操が日光華厳の滝に投身自殺して空前の自殺ブームを巻き起こして以来、一九八六年の岡田有希子現象、そしていじめ自殺に至るまで。自殺者たちが死をもって提示した「生への窮極の問い」を、近代という時間のなかで追究し、自殺の思想領域を切り拓く類例なき力篇。今を生きるすべての人に。
感想・レビュー・書評
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日本での話題になった自殺にまつわる大きな事件を追っていく。
自殺の正体は掴めないものの読んで得るものは大きいと思う。
報道が「死にたい思い」から「実際の死」への小さな、しかし越えづらい壁を越えさせてしまうという指摘は正しかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
切羽詰まれば人を殺してでも何でもして自分が助かろうとするだろうが、自殺することだけはないという評者である。
しかし、統計によればとりわけ女性ではかなりの割合で、思春期・青年期に自殺を考えることがあるのだという。思春期においては自殺はロマンティックなものであるかも知れない。
他方で、ロマンティシズムとはまったく関係のない、身も蓋もない自殺もある。景気がよくなりゃ自殺も減るだろうという話である。
つまり、極めて哲学的でありながら、物凄く卑近であったりするのが自殺である。また、動物にも自殺的行動はあるが、人間のような自殺はしないという点で、極めて人間的なことでもある。そうはいっても、自殺の9割以上が何らかの精神疾患で、治療の可能性があるという論者もおり、厚生労働省は重い腰を上げて、自殺対策に予算を計上し、自殺者が3万人を切ったが、それが自殺対策の成果なのか、他の要因なのか、それはわからないんじゃないだろうか。
著者の朝倉喬司氏は犯罪関係の仕事の多いルポライターであり、『自殺の思想』は「近代以降の日本の自殺思想史」ともいうべき書物で、その時代をにぎわせた自殺の当事者の思想を時代の思想に絡めながら読み解いた労作である。自殺のほとんどが臨床的問題だとすると、自殺に思想なんてあるの、ということになるのだが、あるのである。そのうえ流行まであるのだ。
明治以降の自殺の「創始者」は漱石の教え子でもあった藤村操の華厳の滝への投身である。それがまるで哲学的に最高に崇高なことのように新聞で書き立てられ、追随者が現れる。で、結局そんなことの繰り返し、三原山への心中の流行や、1986年の岡田有希子の自殺への共感まで、自殺にはその時々の社会情勢を反映した思想があり、その思想に追随者が現れる。もちろん本書に言及はないが、数年前には、集団一酸化炭素中毒死の流行があった。
ひとはなぜ自殺するのか。自殺というギリギリの選択をするという状況を空想すると、ついつい、哲学的な問題として捉えそうになってしまうが、案外、社会的な現象なのだという勉強になった。思い詰めて自殺を考えるそのとき、そこには極めて個人的な思想がなければならないが、なんだ、結局のところ流行なのかと思った途端、自殺する気などなくなりそうだ。なんてことは、そもそも自殺する気など起こらない評者の世迷言だろうか。