- Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
- / ISBN・EAN: 9784877587673
感想・レビュー・書評
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若菜さんの山への親しみ方がゆったりしていてとても素敵だと思った。標高の高い山や難しい山に登るだけでなく、低山の魅力や楽しみ方を教えていただいた。
言葉の選び方、感性がすごく好きで、何度も読み返したいお気に入りのエッセイとなった。
3部作ということがとても嬉しい。
ガスで展望がない場面
「よく見えるのもいいけれども、なにもかも見えなくてもいい。なにもかも見えることが、必ずしもいちばんよいことではない。見えない時にこそ、よく見えるものもある。」
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雑誌『山と渓谷』の編集をされていた方の、山と街を行き来する随筆集。どの話も静かな山の中でふと空を見上げるような、山登りの足を止めて風に吹かれるような、静かでやさしいお話でした。
街での忙しい生活の中、山の爽やかな風に吹かれて我に返り、自分は自然の一部だと思い出すような感覚になり、仕事の合間の昼休み、この本の話をひとつふたつ読んでは、山の風や空を感じてリフレッシュしました。
誰もがこんな風に感じるとは思わないけれど、私は相性が良かったと思います。
中では「今日の夕日」が良かったです。串田孫一さんをこのお話で知りました。早くもハマりそうな予感がします(笑) -
内容はもちろん、近年のベスト装丁!
判型、質感ともに最高。
ずっとページをめくり続けたくなる。 -
カレンさんのレビューに刺激されて読んでみる。冒頭の「美しい一日」でやられる。旅先で読むのもいいな。
日常生活につながっている山というか生き方に組み込まれている山というか、実によくわかります。街と山という物理的な間の話でもあるし、山登りをしたこともない人と山登りスペシャリストといった隔たったスキルの間の話でもあるのだろうとも感じられました。
自分は海派なのですが、海に関してこんな本がないのはなぜだろう。完全にアドベンチャーよりのものが多いような気がします。釣りがテーマだとあるのかな?歴史が浅いのからなのか?日常生活につながっている海とか、生き方としての海もありだと思うのだけれど・・・
書影ではわかりにくいけれど、カバーなしのすてきな装幀で大きさも普通の単行本よりは小さめ。まさに旅のお供にぴったりな感じ。あー、まったく旅に出たい。-
diverさん、こんばんは。
お名前の通り海派だとはお察しいたしますが、一度、山にもお出かけください。
若菜さんが書かれている通りのこと...diverさん、こんばんは。
お名前の通り海派だとはお察しいたしますが、一度、山にもお出かけください。
若菜さんが書かれている通りのことが実感していただけると思います。
是非!!
2019/05/18 -
2019/05/19
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「人生に山があってよかった」という随筆集。
やわらかい文体で登山とその周りを記す。
「山って楽しいよね」とか「山に登ることの理由探し」にもなるのかもしれない。 -
まず、装丁が良いです。カバーが付いてない本って最近あまり見かけません。大きさも小さくて、色合いや手触りもほっとする感じです。もちろん内容も良い感じで、山への想いに満ちています。特に前半の数編は面白くて一気に読みました。登場するのは有名どころの山は少なくて名も知れない低山がメイン、語り口は静かで、情感に溢れ心に沁み入りました。山頂のお話しや短い話などはもっと長く読んでみたいと思いました。
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登山専門出版社への入社後に山を愛するようになった著者の登山家としての半生から綴られる回想録とエッセイです。一部、印象に残った山々も紹介されています。タイトルでは「街と山」とされていますが、街について触れられる部分は少なく、山と人にまつわるお話がほぼ全てです。爽やかで飾り気のない文章が内容によく馴染んでいます。山を愛す人びとに向けて贈られた一冊を通して、普段あまり関わることのなかった世界を垣間見させて頂きました。
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著者は、山雑誌の編集者を経て独立、主に山に関する執筆を続けておられます。
なので本書も山に関するエッセーです。
誰もが知っている山、あまり知られていない山、登場する山はいろいろですが、山の紹介ではないのでそれはいいのです。
その山に行くきっかけ、どんな状態の時に行ったのか、その時考えていたこと、周りの出来事など、まさに著者のその時々の様子がうかがえるエッセーです。
その時の山の様子、吹いていた風、咲いていた花、それらにどれだけ癒されたかなど、読んでいてもその情景の中に身をゆだねるような、実に気持ちの良い本です。
そしてまた言葉の選び方、表現の仕方、ちょっとした小説家よりも豊かです。-
2019/05/18
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diverさん、お久しぶりです。
参考にしていただいてありがとうございます。
この本で受けた感動を、ぜひ山に出かけて実感していただきたいです...diverさん、お久しぶりです。
参考にしていただいてありがとうございます。
この本で受けた感動を、ぜひ山に出かけて実感していただきたいです。2019/05/18 -
今、いい季節ですよね。久しぶりに山行ってご飯食べようと思い山道具屋をうろうろし始めました。笑今、いい季節ですよね。久しぶりに山行ってご飯食べようと思い山道具屋をうろうろし始めました。笑2019/05/19
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若菜さんの本を初めて読んだ。兵庫県神戸市生まれとのこと。素晴らしいエッセイストが近くに住んでいるなんて、なんか嬉しい。自然や山、とにかく自然が好きな人にお勧めします。この本の中で、特に人生を感じたのは「木村さん」というタイトルのエッセイ、これは良かった。
(本から)
人は自分にとって大切な言葉は決して忘れないものだ。(よく見て描く)
私は今生きていて、こうして初夏の夕方の光の降りそそぐ森の美しさを目にすることができる。
人生はやはりすばらしい。人生に山があってよかった。
私はそのことに心から感謝して、山を下りていった。(誕生日の山) -
街と山、そのあいだを行ったり来たりする人は多い。
その境目は曖昧で、山を楽しむ人はよりそう感じるんだと思う。
そのあいだにあるもの、日常のささいなことや山への思い、街の人々の体の温度、
いろいろなものが詰まっていて、宝石のような文章が綴られている。 -
自然と対峙することにより
湧き出る感覚、
敬意、悦び、畏怖、
そういったものに気づける人でありたい -
山での小さくて壮大な美しさと、山での言葉にならない貴重な時間を共有させていただきました!
一つ一つの山や宿や花々を読んでいる間中、まるでそこにいるような心地になる本でした。
私も今年は山や森で過ごす時間を、ノートに綴ってみようかな…! -
山と渓谷社で編集をしていた著者の山のエッセイ。
とても心穏やかになり、山歩きをしたい!と思わせてくれる。 -
山登りを始めたくなる、本だった。いつになるかちょっとわからないけど、いつか絶対に。
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街の中で生活していると、ふとした瞬間に山に想いを馳せる時があります。そう、そうだよねって、共感できる1冊でした。なかなか山登りに行けない時、少し日常から離れたい時に、読む本です。
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2019.7月。
山登りはしないけど、山登りはすごく心に良さそうだ。ヒンヤリした空気、スンとした静けさ、見渡す眺め…想像するだけで浄化されるような。厳しい世界。それでも自分の中を見つめて自然を見つめてただ登り続ける時間は他の何にも変えられないんじゃないかと思う。ひとりで低い山。歩く歩く。いつか。
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【いちぶん】
そんなふうに見つけた自分だけのお気に入りの場所は、そっととっておくといい。いつかまた、地図を開き、あそこへ行こうと思える山があるのは、人生において幸運なことだ。 -
著者は本当に山が好きなんだなあ、と思う。読んでいると、何かほっこりして、そして、山に行きたくなる。
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20180112 山が好きだという思いが行間にあふれている。ここのところ体調を理由に山にも行ってないが又行きたい気持ちにさせてくれた。近くて低い山でも自分の接し方次第で楽しめるということがこの本の教えだったと理解して、ノートと鉛筆を持って行ってみようと思う。
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とても味わいのある文章を書く人である。じわじわと身体に残る。そして山に行きたくなる!
装幀もとても美しく、旅に持っていきたくなるような軽さ。アノニマ・スタジオが気になる。 -
若菜晃子さんは私的には『murren』の人という印象が強く、この本もB&Bでつねに売れている本というのと素敵な装丁で記憶していたのですがちゃんと読むのは初めて。
なんというか地に足がついた落ちついた文章のエッセイは急いで読むのはもったいなく、一日数ページくらいのテンポで読んでいたので読了に時間がかかりました。
私の親は合コンの代わりに男女で登山をするような世代なので子供時代には家族旅行といえば山登りにつきあわされていたものの、その反動なのか私個人は特に山好きでもなく、わざわざ山に登る人の気がしれないという感じなのですが、これはきっと走る人の気持ちが走らない人にはわからないのと同じようなものなのでしょう。
「一緒に山に行く相手とは話さなくてもいい」「一緒に『山に行く』という行為が、すでにもう話をしているのと同じ意味をもっている」とか「あまりに美しくなごやかな山だったので、また行きたいような気もするが、もう行かなくてもいいような気もする」とか、おそらく「山の人」たちが読んだら共感しまくるのであろう文章がつづられています。
「山行(さんこう)」とか「山座同定(さんざどうてい)」という言葉を初めて知りました。
インスタで「山座同定」と入力したら「山座同定できない人と繋がりたい」というタグがあって笑いました。
本文中にも出てくるけれど「山の人」は自慢話が好き(な人が結構いる)。「あの山は○○山であっちに見えるのが」って語られるのが苦手な人もいるんだろうなあ。
元編集者としては、登山雑誌(『山と渓谷』と思われる)のガイドを作るために地図にトレペをかけたりする作業や、山頂で日の出を見て下山した足で編集部に戻り校了を前に呆然とする気持ちなどに勝手に共感しました。
以下、引用。
37
先輩には「登山者がこのガイドを握って遭難していることのないように」と冗談交じりに言われていたが、私には冗談に聞こえなかった。
46
一緒に山に行く相手というのは、話さないでいてもいい、話さなくてもわかり合えるとお互いが思っている相手というのがいちばん望ましい。
54
今日はもう誰もこの山に来ないかもしれない。
59
あまりに美しくなごやかな山だったので、また行きたいような気もするが、もう行かなくてもいいような気もする。
85
当然のことながら、雨は雲から平面的に落ちているものだが、見上げると、灰色がかった白い天の穴の一点から、私に向かって放射状に落ちてくるように見える。雨は天から降ってくる自然なのだ。
95
それらを山上から見ながら思う。よく見えるのもいいけれども、なにもかも見えなくてもいい。なにもかも見えることが、必ずしもいちばんよいことではない。見えないときにこそ、よく見えるものもある。
101
「落葉」
山路を歩いてゆくと
今落ちたばかりの
黄色い朴の葉が五六枚
支那沓のやうに反り返って
道に散乱して居た
あゝこの艶な色の目覚ましさ
まるで誰か貴い人達が
沓をぬぎ捨てゝ
素足で去った
夢のシインのあとのような静かさ
121
私は学生時代、美術史の講義にも出ていたのだが、そこで学んだのは、美術館で絵を見るときは、自分がどれがいちばん好きかを考えながら見なさい、という教授の教えだった。私はその言葉を忘れることなく、美術館で絵を見るときは、必ずどれが好きかを考えながら見るようになった。そうやって見ていくと、必ずひとつは好きなものが見つかり、また自分のなかになにかが残るのだ。
172
「犬を見かけましたら、下りるように言って下さい」
串田孫一『山のパンセ』
205
K先生はゆっくりと生徒の席を回りながら、いつも「よく見て描きましょう」とおっしゃった。また「最初の線は消してはいけません」ともおっしゃった。「最初の線は生きています。だから消してはいけません」
208
そのとき先生は、戦時中、学生だった先生のもとに戦場の友人から送られてきた手紙のことをお話しになった。「そのはがきには、『ここには野原があって、草が風にそよいでおり、その草には小さな花が咲いています』とあって、草原の絵が描いてあったんだ」とおっしゃった。
225
もしなにも話さなかったとしても、それはそれで、一緒に山に行って歩いたということだけでいい。ただ一緒に「山に行く」という行為が、すでにもう話をしているのと同じ意味をもっている。
242
その頃木村さんがおっしゃったことで今でも覚えているのが、「自分ひとりで本を一冊作れるようになるまでは、編集者と名乗ってはいけない」という言葉だった。編集者とは、自分の力で誰もが認める本を作れるようになって初めて一人前なのであって、なにもできない駆け出しや、一介の編集部員のときに、編集者などと名乗るのは恥ずべきことであると、木村さんは私に説いた。
250
「線もまっすぐに引けない人間は、人間が曲がっている証拠だ」
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大町のなすび
まずは装丁の美しさ。
先月富士山を見に行った際に、山にまつわる本を読みたいと思っていたところに偶然見つける。
斎藤茂太賞を受賞しているシリーズだと聞き、気になると思い読み始める。
軽いのんき読み口に、なんだか山登りを並走しているような気持ちになる。
読んでいる間、ずっと清涼感があり、街中で読んでいても山の自然豊かな風景にトリップ出来る。
作者の人間らしいところも、素敵だ。
私にとっては結構好きな随筆集でした。 -
ドラマ「silent」で若菜晃子さんの著書を知り
『旅の断片』を読み、遡る形で本書を手に。
山登りはしないので、活字から裾野に広がる絶景を思い浮かべる。
人見知りな若菜さんが植物の話を書かれているときは
すこしだけおしゃべりになる感じが良くて。
ご家族との関係も穏やかで
お兄様とのエピソードが好き。
「佐志岳の犬」で登場した〈ジョンという感じの犬〉
無事におじさんの元へ帰ったかな。 -
「旅の断片」が心にしみたので、前作のこちらも。山歩きエッセイ。山や草花の季節を感じる描写に、山歩きがしたくなる本。
私は山には登らないけれども、ダイビングはするので、登った山と出会った人の記憶が結びつく感じはよくわかる。潜った海を思い返すとき、見た生物や出会った人も一緒に浮かびあがる。ずーっと昔のことであっても。
風のせいかそこだけ動いている草を「てふり」と呼ぶのはすてき。まねしよう。 -
山好きの知人からもらったエッセイなのだが、2日ほどで一気に読んでしまった。
平易な文章で書かれているので、サクサク読むことができる。文章の雰囲気は…本の最後の解説みたいな、その人のクセも伝わる文になっていると感じた。
著者の登った、思い出に残る山はどれも独自の感性で感じ取ったものが鮮やかに残っている。昼寝をした時の魂が抜けてしまうような心地、月がこちらを見つめてくるような畏怖の気持ち、じっと花を見ていた時間など。繊細で感性が鋭い分、かたくなな部分も感じる、少女のような心を持った方だなと思った。
読んでいるとどんどん山に行きたくなる。それは名だたる名山でなくてもいい。遠くへの遠征から近場の山まで、自分もそこに行っているかのような気持ちになれた。山好きなら想像できると思う。