「発達」心理学者の著者が,現在の子どもの置かれている状況を深く見つめた内容の本です。
今,子どもの生活の場である学校や家庭は,子どもが巣立っていく(社会に出て行く)ために,何か準備をできているのでしょうか。
人が「巣立つ」とき,それは,完全な独り立ちを意味するわけではありません。一個人としての自立を意味するわけでもありません。著者の言葉を借りていえば,
「巣立つということは成熟するということではないこと。形容矛盾を覚悟していえば,人は未熟のまま,しかし巣立つ。そういうものかもしれません。」(本書240ページ)
「飛ぶ準備がととのって,安心して飛び出すというものではなくて,むしろ時が来て未熟なままに飛び出す。そして,飛び出すことによって,飛べるようになる。逆説的なようですが,それが実際です。」(245ページ)
巣立つというのは,これまでの,親を中心とした人間関係の網の目からはなれて,自分を新しい人間関係の中に入り込ませることでもあります。そのとき,すでに親以外の人間とのつながりを持っているかいないかで,その巣立ちが成功するかどうかに大きな影響を及ぼす可能性もあります。
さらに,未熟な人間が巣立つためには,当然,後押しがいるでしょう。巣立った後のサポートも必要でしょう。これらもまた,自分が社会と関わっていく中にあるし,それに支えられて生きていくのでしょう。(経済的に,あるいは精神的に)親元を離れたとき,新しく広がる社会の中にも,後押しやサポートがあると感じることができれば,彼,彼女らは,石橋をたたいて堂々と渡っていくことができるような気がします。
自分一人で生きていくことはできない。「巣立ち」という自立の現場を切り取ってみただけでも,そこには,沢山の人とのネットワークとその影響があるわけです。
「自立は,孤立ではありません。とすれば,子どもたちの自立を考えるうえで問題となるのは,自分の力で生きるという時の,その力をどう高めるかという以上に,むしろ子どもたちを囲む関係の網の目をどう作っていくかにあるのではないでしょうか。」(40ページ)
「子どもに学力つける」といって,学力調査の点数をあげることに血眼になっている学校現場に,以上のような発想はまったくありません。
生きてはたらく力にさえなっていない「学力」の向上を目指すことをやめ,友だちと,あるいは先生と共に生きている楽しさに気づく学校。そんな学校ができればいいな。少なくとも,子どもが疎外感をもち,自信をなくしていくような学校現場にはしたくありません。
本書には,犯罪を犯してしまった若者の実例(著者が相談に関わっている)が出てきますが,その事件の原因を,加害者になった若者の個人的な資質に求めることの危険性もよく分かります。
これまで,自分たちの社会の〈内〉にいたはずの少女や青年を,犯罪を犯した途端に〈外〉に追いやり,そして,犯罪を起こした原因をその子の精神状態や障害のせいにする。それは,同時に,自分たちの社会を〈外〉から守るために,〈内〉に新たな障害者差別の意識を広げることにもなりかねません。彼女らが,犯罪を犯すまでは「自分たちの〈内〉にいた」ことを思えば,その「自分たちの〈内〉の構造」こそ,見直すべきだと気づくはずなのです。
とても読みやすい本でした。そして,著者の主張もよく理解できました。