ケンブリッジ・サーカス (SWITCH LIBRARY)
- スイッチパブリッシング (2010年3月19日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784884182915
作品紹介・あらすじ
オースターに会いにニューヨークへ、かつて住んだロンドンへ、兄を訪ねてオレゴンへ、ダイベックと一緒に六郷土手へ。柴田元幸初!旅のエッセイ。
感想・レビュー・書評
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私の好きな翻訳家の1人柴田元幸のエッセイ集
自分の家の一階に行けば中学生の自分に出会えるという話
イギリス滞在中に偶然出会い覚えられていた話
表題作は、ケンブリッジ・サーカスでバスを降りるときにごろごと転んでしまった過去と現在あのときこうだったら…未来が変わっていたのかいないのか
そして、子供の頃の思い出(1番最初の思い出)が何だったかをポール・オースターと対談、
シカゴ育ちの作家スチュアート・ダイベックと同じような路地育ちを共感しながら一緒に歩く話。小学生の頃に路地をうろついていた頃の自分と散歩中に出会う。
などなど。
どの話も柴田元幸の軽妙な文体で語られ、楽しい。
ここに出てくる話で、ポール・オースターの自伝的エッセイ『トゥルー・ストーリーズ』の後日譚がある。「鉛筆を持っていなくて野球選手のサインをもらい損ねた話」を読んだ友人の作家が実はその選手の近くに住み、サインボールをもらうことができるという52年という歳月を挟んだ話。
いろんな偶然が結びついている。
また読みたくなる芋づる式読書。
ところで、最初の記憶、何かな⁇詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
エッセイはサラサラ読めるけどすぐ内容を忘れてしまうのでたまにしか読まないが、この本はとてもおもしろくて一つ一つのエピソードが印象に残った。この前『ガラスの街』を読んだこともあってポール・オースターとの対話も興味深かった。いろいろな作品が出てきたので読みたい本も増えた。新潮文庫版を読了したが本が出てこなかったのでこちらに感想を書いた。
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言わずと知れた英米文学翻訳者の柴田さんである。
旅のエッセイなどと帯に書いてあるけれど、しかし旅にしては未知のものが少なすぎる。
これは彼の仕事場の通勤物語だろう。
とはいえ、人の仕事場はいつも企業秘密とやらで
なかなか見えるものではないから、それ自体興味深い。
さすがに歴戦の翻訳者であるから文体はなめらかで読みやすい。
その引っ掛かりの薄さが、未知より既知につながってしまうのかもしれないが。
この中でのハイライトはオースターとの対話にあるように思う。
ここのテキストの導き方は彼の仕事の作法ではないかと思える。
よい聴き手であるのは、今までとても多くの声を聴いてきたしるしだと思う。
大きな声の人に疲れたら開くのにちょうどいい。
「やれやれだ」と思った日の寝る前でもいいかもしれない。
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ちゃんと段取りを踏めば、亡霊に出会えるはずだという気さえしてきた。そのことを想像してみると、出会うのは亡霊だけではないだろうということが僕にはわかった。(p.21)
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この本は亡霊についての本でもあるけれど、
文学についての本ということを別様に言ったのだとも言えるし、
もう少しそこからにじんだ部分まで含んでいるかな。
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ここはダウンタウンにある文学カフェの二階。みんなビールを飲んだり軽食を食べたりしながら作家たちの朗読を聴いている。今夜はマラソン朗読会と称して、いろんな作家が入れ替わり立ち替わり出てきて自作を朗読する。日本のトークショーみたいに、拍手に迎えられて舞台裏から出てくる、なんて大げさなことはやらず、隣でビールを飲んでいた人が「じゃあ次アタシね」という感じですっと立ってマイクに向かう。この調子で行くと、実は客のほとんどみんなが出演者じゃないだろうか。最後まで行って、朗読しなかったのは僕だけであることが判明し、「あれ?お前まだ読んでないの?」とじわじわ詰め寄られて、なぶられ、撲殺されるのでは……と妄想がふくらむ。(p.83)
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どこから妄想か分からないという書き方も全編にまき散らされている。
それはともかく、こういうカフェが成り立つんならやってみたい気もしないでもないね。 -
これから、私も旅した時は日記みたいなエッセイみたいなものを残していこうと思った。
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翻訳家としても著名な柴田元幸による場所に因んだエッセイ。
過去に住んでいた土地、または訪れた土地に立つことによって、過去の自分と対峙する。過去の自分を見て、過去の自分から見られる。時間をひょいと交差させながら、虚と実も交わらせる。その筆遣いが実に心地好い。
またそれぞれの場所によって小説風になったり、日記風になったり、対談形式になったりと語り口が変えられているのも面白い。特別付録にいたっては、原稿用紙に書かれた直筆そのものを印刷したものなのですから。これは様々な文体を自分の筆で表わし直す翻訳家としての成せる技なのでしょうか。でも全体に流れる空気は同じような感覚で、少し自分を引っ込めて描くため、その場所その場所にいる人々が浮かんで見えてきます。しかしそれでいながら、その他者の中に過去の自分を紛れ込ませて、最終的には自分をも浮かび上がらせていることに気付かされるのです。 -
なにが素敵って、表紙がステキ。
魚眼レンズを覗いてるような、場所の記憶集でした。
名翻訳家は名エッセイストでもあるのでした。
おれごん・ぽーとらんど、いってみたい。 -
柴田元幸「ケンブリッジサーカス」読んだ。訳本ではなく彼自身の作品は、いつも、エッセイに創作のオチがついて、ちょっとパラレルワールドが展開してる。柴田元幸は翻訳家なんだなあと、創作を読むたびいつも思う。とはいいつつ、抑えた郷愁と、翻訳業にまつわるエピソードを読むのは楽しい。
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翻訳家、柴田元幸さんの「ウソの様なホント」と「ホントの様なウソ」が混ざった、カフェオレみたいなエッセイ。
エッセイの様であり小説の様である、カフェオレみたいなエッセイ。