定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)

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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784904701089

感想・レビュー・書評

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  • 国民ってなんなの?
    その正体にちょっと驚き。

    正体は本の題名にある。
    じゃあ、
    この世界中の人々の頭に普遍的に(みんな自分の国がどこでどういうものなのか知ってる)しかし個別的に(日本とイギリスは国という意味では同じだけど、異なるもの)ある、
    この「国民」という概念は果たしてどうやって生まれたのか?

  • 宗教や王国といった想像の共同体から「近代国家」という想像の共同体に転換してきた理由を、資本主義の発展に伴う、印刷技術の発展(=出版資本主義)と共通文語(ラテン語)主体から地域別の俗語口語(英語、フランス語、ドイツ語など)の共通語化によって誕生したとの仮説を説いた著作。

  • ナショナリズム論の新古典。その論旨は、いろいろなところで紹介されているので、読む前から、知っている気になってしまう。が、一応、確認のため、読む。

    基本的には、タイトルから想像されるような内容で、タイトルだけで、言いたいことを言い切っているかな。タイトルの明快さは、ドーキンスの「利己的な遺伝子」に匹敵するか?

    内容的には、「そーなんだろーな」と思うのだろうが、なんだか、これだけで良いかなという疑問は残る。

    つまり、ナショナリズムの起源として、言語とか、知識の重要性を強調しているわけだが、経済とか、政治の重要性というような「下部構造」的なものも大切なんじゃないの、なんてことをガラにもなく言いたくなるわけだ。

    例えば、国民国家の成立として、ウェストファリア条約みたいなのに言及がないというのもどんなものだろうか?と思った。まあ、そういうのは常識に属することで、この本は、そうした国民国家の成立のなかでの、知識の重要性という本だと割り切って読めばよいのかな?

    ちなみに、知識と権力という観点は、フーコーの影響が極めて大きいと思う。日本でのフーコーって、どちらかという哲学者という受け止めなのかなと思うが、英米圏では、ポストモダーンな歴史学者、政治学者と言う感じで、受け止められていて、フーコー的な問題意識をストレートに継承した研究がこうしてなされているのかなという気がした。

    最近、読んだサイードのインタビューで、「ディスクール」という言葉を使ったあとで、苦笑まじりで、「あのころ(70年代)は、フーコーの影響は絶大であった」みたいなコメントをしているところが、すごく印象的だった。なるほど、今読み直してみようとしている「オリエンタリズム」や「イスラム報道」は、もろ「知識と権力」だからなー。

    もうすこし、まっとうなナショナリズムの本も読んでみよう。

  • たぶんこれまで3回以上本書を読んでいる。そして今回別の本で本書の引用があったため再々々読したのだが‥。本書の中身は何度読んでもすんなり頭に入ってこない。それだけ幅広く奥深い。
    本書は既に古典的名著と位置付けられるだろうから、本書に書かれた内容に興味があるのならば、本書の影響を受けた後発の関連書籍を読むことをお薦めする。

  • 1987年版を読んだ。40年もたっていないものであるが、ベトナム戦争のことは書いていない。南アジアのことはかかれている。日本についても明治維新から北一輝の思想まで書いてはいるが、明治の初めの書物といってもおかしくはない書き方である。
     学生が歴史の書物として読むにはいいのかもしれない。

  • ナショナリズムの本質を歴史的・理論的に探究する論考として1983年ベネディクト・アンダーソンによって上梓された。1987年彼の教え子によって最初に日本語に翻訳され、2006年時点では30カ国27言語に訳され、ナショナリズム論の名著として社会科学系の研究者に広く読まれ、大学ゼミなどの課題書としても使われている。表題の書は1997年に一部加筆修正されて出版されたもの。
    著者は第二次大戦後東南アジアの社会主義国間の紛争に直面し、マルクス主義理論にとっても「やっかいな変則であり続け、無視されることのほうが多かった」ナショナリズムの問題にフォーカスし、人類学・社会学・歴史学・政治学等々幅広い学識を駆使して分析・思考し独特の立論を試みたものである。著者はイングランドで生まれイートン校、ケンブリッジ大を経て渡米、コーネル大学でインドネシアなど東南アジア研究を長く続けた、その分野の権威である。生涯を学問研究にかけた筆者の文章は経験・知識や発想の豊さに満ちて読み手に緊張を強いる。生い立ちやキャリアがなせるイギリスの引喩や凝った文体で専門語や脚注も多く、読者向きの文章に慣れた身にはついていくのが大変であった。繰り返しなぞりながらも終章になると朧げに浮かび上がってくるナショナリズム像に何とも言えない達成感に満たされる。今まで無意識に使っていた「ナショナリズム」という言葉が恐ろしく新鮮な概念として再現され、従来の表面的な理解が次元の違う新しいものに変わっていく快感である。
    読解不足と雑駁な浅慮を省みず、あえて纏めてみると以下のようか。
    想像の共同体 Imaged community とは
    近代の印刷技術、言語、教育によって形成される。
    地図・人口調査・博物館・歌謡などで範囲が策定され、新聞などで同時性を確認し共同性が意識される。聖書の絶対性(宗教)・王権の絶対性(政治)・時間的宿命性(哲学)の旧社会が印刷・出版技術や資本主義の発達によって、人間は従来の制約(限界)を超えて「考える」ようになり、想像の共同性=ナショナリズムが発現する。

  • 翻訳書にありがちな意味不明な持って回った言い回しが多くて結局何が言いたいのか分からない。まあ要は、言語・印刷出版・王族の保身・行政官僚の意識等極めて具体的なものにより”想像の共同体”は形成されていったとそういうことなんでしょう。言われてみればそりゃそんなところでしょうという現実に目を見開かせてくれる点ではさすが新古典と言われるだけのことはあるか

  • 本書の目的は、ナショナリズムの実態と理論との乖離に対して、ナショナリズムの理論(どのような意味なのか?どのような歴史的背景があるか?)を提供することである。その背景には、中国とベトナム、カンボジアという社会主義体制の国同士の戦争がある。
    本書では、国民という存在が人々の間でイメージされ、心に想像された共同体であるという。僕らは、大勢の日本人と会うことも聞くこともないが、心の中に日本人を想像することができる。

  • とりあえず読了。知識不足過ぎて、情報量が多く感じてしまった。各章で言っていることはどれも同じようなことなんだろうけど…。「記憶と忘却」の話は面白かったと思う。

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