人工知能が「生命」になるとき

著者 :
  • PLANETS/第二次惑星開発委員会
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感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784905325161

感想・レビュー・書評

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  • 志の高い本で、西洋的な人工知能と東洋的な人工知能って違うんじゃないの?というところを掘り下げていく。確かに、私も、理性的な構築をしていけば森羅万象が明らかになるという理性第一主義みたいな一神教の人たちの考えはなかなかしんどいよなあと思うところがあって、とてもよくわかる。それに対して、コネクショニズムは東洋的なアプローチだからいいよなー。と感じていた。自己言及による不完全性定理を根本原理に据えるのがこの本における東洋アプローチであると考えています。人工生命に接近していくのもよくわかって、福岡伸一さんの西田哲学への接近ととても近いものを感じた。そこらへんの話は、本当に最後の方にちょこっと書かれていて、それらの話と、途中で出てくるアニメ関連の話は、一冊の本の構成としてはあまりよくないかもなと感じてしまった。まあでも、とても楽しい読書体験でした。そして、萌家電アプローチだなやっぱりとそこを突き詰める勇気をもらった。

  • 人工知能の将来についてはこれまで機能論で語られることが多かったが、この本では、そのような西洋的な機能論と東洋的な存在論を対比させることで将来の発展の方向性を異なった観点から捉え直している。

    人工知能は、目的を定義しそのための機能を磨くという、科学的な積み上げの中で発展をしてきた。人間と自然・環境を対比的に捉え、そのための情報を自然から取り出し、処理をすることで結果を得る。

    しかし、人間を含む生命の知能とは、必ずしもそのようなものではないのではないかという考え方が、この本の背景にあるのではないかと感じた。

    生命は自らも含めて環境の中の一部であり、その全体から自己という一部だけを切り出して、自然と自己を対比的に考えるというのは、知能というものが生起するプロセスやその可能性を十分に捉えきれていないということが、筆者の発想であると思う。

    また、筆者は知能に目的を定義するということについても、疑問を呈している。環境という混沌の中から創発的に生まれてくる知能を想定すると、そもそも目的が最初からあったのではなく、環境の中で周囲と行われる相互作用の結果自体が知能という考え方もあるのではないかということであろう。言い方を変えると、存在自体が目的であるといった考え方である。

    そのような考え方は、東洋、特に仏教思想において「無」や「無一物」といったかたちで、昔から言及されてきた。

    このようにして西洋的な知能の考え方と東洋的な知能の考え方(本書では「人工知性」とも表現されている)を両方持つことで、人工知能についてより幅広い将来像が想定できるという。

    筆者は主にそれを3つの方向性に整理している。自律型人工知能、人間の拡張としての人工知能、そして場としての人工知能である。

    自律型人工知能を作るためには、人工知能が目的に対して整合的な活動をするだけでなく、環境との総合作用の中でその存在意義を自己創発的に見つけていくことも必要になってくる。いわゆる「フレーミング問題」を乗り越えるアーキテクチャが必要となるということである。

    人間の拡張としての人工知能については、現在、画像の判別や碁などの頭脳的な情報処理に偏っている人工知能に対して、感覚器官や運動期間に相当するものを連携させ、外部環境や人間の動きなどとの相互作用をしながら考えていく機能を組み込んでいく必要がある。

    そして、場としての人工知能は、スマートシティなどとして現在展開されている取り組みについて、根本からその概念を考え直す必要性を提起してくれる。つまり、環境の中の様々な情報が相互作用している「場」そのものが人工知能となっていくということである。

    筆者は、ゲームのデザインを専門にしており、ゲームを作る中で、環境(ゲームの中のマップやその中に組み込まれる様々な要素)や登場人物のキャラクターを考え、それらの相互作用を考える仕事をしてきた。また、ユーザーとそれらのゲームの世界のインタラクションも現場で数多く見てきた。

    そういった経験から、人工知能というものは、あらかじめ定義された課題の最適化といった範疇で捉えるだけではなく、より創発的で環境と一体となった存在としても考えうるのではないかという発想に至ったのではないかと思う。

    人工知能の研究は、その知能としての主体の部分に主にフォーカスが当たることが多かったが、実際には環境との相互作用や身体性なども、我々の知能には大きな影響を与えている。そういった意味で、知能をより広い視野から捉え直している本書の視点には、改めて考えさせられる点が多かったと思う。

  • 2021.03.28 ツイートが流れてきた。

  • #flier
    人工知能について興味のある人におすすめ

  • AI、人工知能というものがなんなのか表面上の知識だけしか知らなかったことと、PLANETの会員ということもあり読むことに。

    人工知能を語るにあたり東洋哲学、西洋哲学の対比から始まるとは思いもよらず、しかし読み進めると歴史的な側面もあり人工知能に対する東洋と西洋の考え方の違いに納得が行き、何故筆者がそんなに入念に東洋と西洋の哲学を語るのかが腑に落ちた。
    知能というものに関して分かっていないことの多さと、通常人々がイメージしているような人工知能を生み出すことの難しさと奥深さを痛感した。

    人工知能が人間社会に入り込み、仕事を奪うと言った負の側面がどうしても強調されることが多いが、人間の能力拡張として使われ、仕事の代替となり労働の普段から人間が解放される未来が提示されており、本来目指すべきであろう人工知能と共存する社会が思い描ける。

    人工知能の在り方を知ることで、知能や、限界が見えつつある世界というものをアップグレードしてくれる、そんな本であった。

  • 「AI」という言葉を聞いたときに、あなたは何を思い浮かべるだろうか。2012年、ILSVRC2012においてDeep Learningを使用したAlexNetが圧倒的に他を凌駕するスコアを叩き出したところからいわゆる第3次AIブームは到来した。

    この第3次AIブーム以降、機械学習、とりわけ深層学習の進化は論文が日本語化されるのを待っていると取り残されてしまうほどの速さで進んでいった。
    私が子供の頃、ドラクエIVに搭載されていた素朴な「AI」とは全く質的に異なる、真に「AI」たるソリューションが学術界を、そして産業界を席巻していった。いや、今もしている、といってよいだろう。

    しかし、である。
    これは果たして、私たちが思い描いていた「AI」なのか?私たちが夢見たAIはドラえもんやアトムといった、自意識を持った存在、傍らにあるものではなかっただろうか。

    この問いかけに対し頷いたあなたは、本書でいうところの「東洋的AI観」を持っている。
    そう、ここ日本においては、AIというのは「傍らにあるもの」「ともにあるもの」という認識があるのだ。
    一方、海の向こうではAIというのはあくまで人類に対しては隷属の関係にある。しからばこそ、彼らはAIの発展に対し「いつか反乱するのではないか」という恐怖心を抱き、それがターミネーター2のようなエンタメ作品にも表出しているのだ。

    そして、今発展を遂げているAIはまさしく「西洋的AI観」によるものであり、この潮流が続いたとして2112年にドラえもんが誕生する望みは薄い。

    だが、この西洋的AI観と東洋的AI観は対立するものではない。それこそが本書の主眼で、通底するテーマは
    「西洋的AI観と東洋的AI観のアウフヘーベン」だと私は解釈している。


    第零章 人工知能をめぐる夢
    第一章 西洋的な人工知能の構築と東洋的な人工知性の持つ混沌
    第二章 キャラクターに命を吹き込むもの
    第三章 オープンワールドと汎用人工知能
    第四章 キャラクターAIに認識と感情を与えるには
    第五章 人工知能が人間を理解する
    第六章 人工知能とオートメーション
    第七章 街、都市、スマートシティ
    第八章 人工知能にとっての言葉
    第九章 社会の骨格としてのマルチエージェント
    第十章 人と人工知能の未来──人間拡張と人工知能

    この全10(+1)章からなる本書は、それぞれの主題を西洋的/東洋的それぞれのパースペクティブで切り取っている。

    今は機能的なAI(つまり西洋的なもの)の進歩が目覚ましいが、第7章にある「街、都市、スマートシティ」というテーマになると、東洋的発想、「ともにあるもの」「偏在しているもの」というとらえ方が重要になってくるように思える。AIが汎神化していくようなイメージ。

    機能的側面を追及するばかりでは、いつか性能向上は頭打ちになる。それが「第3次AIブーム」の終焉につながり、また進化が停滞するのではないかという点を私は危惧していた。
    しかし、本書を通読することで、「西洋と東洋の止揚による、AIの汎神化」という未来がおぼろげながら見えてきた。AIに対し、ふたたび希望を持つことができた。

    長々と書いてしまった。まとめると、DNNなど技術的側面からではなく「社会にあるもの」としてのAIを、時に哲学を援用しながら熟考した本書はAI時代を生きる我々に大いなる示唆を与えてくれるものだ。

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著者プロフィール

著者:三宅陽一郎
ゲームAI開発者。京都大学で数学を専攻し、大阪大学大学院物理学修士課程、東京大学大学院工学系研究科博士課程を経て、デジタルゲームにおける人工知能の開発と研究に従事。博士(工学、東京大学)。2020年度人工知能学会論文賞受賞。
現在、立教大学大学院人工知能科学研究科特任教授、九州大学客員教授、東京大学特任教授・客員研究員などを務め、学生の指導にも力を入れている。
著書に『戦略ゲームAI解体新書』(翔泳社)、『人工知能のための哲学塾』(ビー・エヌ・エヌ新社)、『人工知能が「生命」になるとき』(PLANETS/第二次惑星開発委員会)、『人工知能の作り方』(技術評論社)、『なぜ人工知能は人と会話ができるのか』(マイナビ出版)、共著に『絵でわかる人工知能』(SBクリエイティブ)、『高校生のためのゲームで考える人工知能』(筑摩書房)、『ゲーム情報学概論』(コロナ社)、『FINAL FANTASY XVの人工知能』(ボーンデジタル)、監修に『最強囲碁AI アルファ碁 解体新書』(翔泳社)、『C++のためのAPIデザイン』(SBクリエイティブ)などがある。

「2022年 『ボードゲームでわかる!コンピュータと人工知能のしくみ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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