私人: ノーベル賞受賞講演

  • 群像社
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  • Amazon.co.jp ・本 (62ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784905821755

作品紹介・あらすじ

詩人という現代の孤独な少数者にとって、残された最善の行為は良い詩を書くことであり、その詩の言葉に目を向けず、人びとの口をついて出る決まり文句に水準を合わせる社会は、やすやすとデマゴギーと暴政にひざまずく-。社会という名の多数派が猛威をふるう時代の中で、一人の私人であることを選択しつづけたブロツキイが、詩の言葉を読まない社会にあてて語った繰り返し取り出される遺言。

感想・レビュー・書評

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  • 北のヴェネツィアと呼ばれた旧ソビエト・レニングラード出身のヨシフ・アレクサンドロヴィチ・ブロツキー(1940~1996年)は、1987年(47歳)にノーベル賞を受賞しました。

    「私人」と題するノーベル賞受賞講演録は、文庫本以下のサイズでわずか50ページ程度のものですが、彼の人となりや芸術文学への愛惜の念が伝わる素晴らしいものになっています。

    1963年(23歳)、ブロツキーは、旧ソビエトで定職につかない有害な「徒食者」として逮捕され、裁判にかけられました。その文学裁判なるものが、当時無名だった彼を一躍世界的に有名にしました。ちょっと紹介しますと……

    裁判官 「いったいあなたの職業はなんです?」
    ブロツキー 「詩人です。詩人で、翻訳もします」
    裁判官 「誰があなたを詩人だと認めたんです? 誰があなたを詩人の一人に加えたんです?」
    ブロツキー 「誰も」(挑戦的ではなく)「じゃあ、誰がぼくを人間の一人に加えたっていうんです?」
    裁判官 「でも、あなたはそれを勉強したのですか?」
    ブロツキー 「何を?」
    裁判官 「詩人になるための勉強ですよ。そういうことを教え、人材を養成する学校に、あなたは行こうとしなかったでしょう……」
    ブロツキー 「考えてもみませんでした……そんなことが教育で得られるなんて」
    裁判官 「じゃあ、どうしたら得られると思うのです?」
    ブロツキー 「ぼくの考えでは、それは……神(=天賦の才)に与えられるものです」

    ***
    いや~事実は小説より奇なり! 国家や政治が人間の高邁な精神活動、芸術や文学を裁こうとする、このいたって真面目な不条理劇は、ギリシャ古典のアリストパネスやルキアノスも顔負けの滑稽さと愚昧な喜劇性を帯びていますね。

    「もしも芸術が何かを教えてくれるとすれば、それはまさに、人間存在の私的性格でしょう。芸術はもっとも古い――そしてもっとも本来的な意味で――私的活動の形態であるがゆえに、どう転んでも結局、自分が個別で独自な、二つとない存在であるという感覚をもつように人間を鼓舞し、人間を社会的動物から個人へ変身させるのです」

    ブロツキーの放つ言葉は、はがねのようにかたく、羽のように軽い♪

    「文学に対する様々な犯罪の中で、作家の迫害、検閲による規制、焚書といったことが、一番重い犯罪というわけではありません。もっと重い犯罪があるのです。それは本を軽視すること、本を読まないことです」 

    先の文学裁判で5年間の強制労働を言い渡されたブロツキーは、サルトルら世界の著名人の猛抗議などに助けられ、その後は米国に亡命して執筆活動を続けました。

    ……とここまで読んでみて、ふとチェコから亡命した作家ミラン・クンデラを思い起こします。もともと詩を書いていた彼と詩人ブロツキーとの共通性や繋がりに驚きを覚えたからです。そういえばクンデラはこんなことを言っていたのを思い出して驚くのです。

    ***
    「……奇妙なことですが、詩人の眼には、「歴史」は詩人自身の位置とパラレルな位置にあります。それは何かを勝手に作り出すのではなく、発見するのです……それは人間の何たるかを「遠い遠い昔」から人間の裡にあるものを、人間の様々な可能性であるものを開示するのです
      詩は詩人たちが勝手に作りだすものではありません
      詩は遠い遠い昔からそこに
      そのうしろのどこかに存在しています
      詩人は詩を発見するだけなのです(チェコ詩人:ヤ  ン・スカセル)」
          (ミラン・クンデラ『小説の精神』)

    文学のみならず、音楽や絵画や彫刻や……迂遠な言葉やまわりくどい説明を割愛して、人間の精神や魂の奥に深く入り込んでいける資格を有する人たち……きっとそのような稀有な人を芸術家と呼ぶのでしょう(^^♪

  • 言葉が持つ力というものへ強い信頼を持つ人の言葉だけが、本当に強い力を持つのだなあと思いました。

  • 私もブロツキーになりたい


    たいそうなことを言うつもりはありませんが、少なくとも、ディケンズの小説をたくさん読み耽った者にとって、いかなる理想のためであれ自分と同じ人間を撃ち殺すことは、ディケンズを読んだことのない者にとってよりも難しいだろうと、私は-経験からではなく、残念ながら理屈の上だけですが-考えます。

  • 1987年ノーベル文学賞受賞講演。

    「詩を書く者が詩を書くのは、何よりもまず、詩作が意識や、思考、世界感覚の巨大な加速器だからです」
    と最後に語っている。

    この部分を読んで、文学系をぞんざいに扱おうとするその原因の一つは、これなのかなと感じた。

    言葉は生き延びる。

  • ユダヤ系ロシアの詩人で米国に亡命したブロツキイのノーベル賞受賞講演。
    文学はいかなる社会組織の形態よりも古く、不可避で、また永続的で、国会の哲学も倫理も美学も、常に「昨日」なのに対し、言語や文学は常に「今日」であり、しばしば「明日」にもなると語るブロツキイ。
    友人や恋人よりも書物が最も頼りになる話し相手と言いきり、小説・詩は独り言ではなく、作者と読者の会話であり、他の全ての人達を閉め出す極めて「私的会話」=「相互厭人的会話」と位置づける。
    沼野充義先生による解説も素晴らしく、「言語が生き延びて行く手段として」詩を書き続けたブロツキイが敬愛するオーデンの死を悼んで書いた詩「ヨーク」からの引用で閉じている。
    小から大を引けばーーつまり、人間から時間を引けば
    そこに残るのは、白い背景に生前の肉体よりも
    くっきりと浮かび上がる言葉・・・

  • 芸術は人生の唯一性を保証するんだな。まさに科学の反対だと言える。
    だから大衆の支配者は芸術を嫌う。

    <以下印象に残った箇所>
    ・人間に課せられた仕事は自分自身の人生を生き抜くこと。外から押し付けられた人生、指示された人生は、それがどんなに上品に見えても駄目なんです。人生は一度限りのものであり、そのチャンスを他人の外見、他人の経験の模倣のために、つまり同語反復のために浪費してしまったら、さぞかしくやしいことでしょう。
    ・人間は倫理的存在である前に、まず審美的存在です。
    ・支配者を選ぶときは政治綱領ではなく読書体験を選択の基準にしたなら地上の不幸はもっと少なくなるでしょう。
    ・もっとも思い犯罪は本を軽視する事。本を読まないこと。

  • わたしにはロシアの詩人ブロツキイの詩がなじめないが、散文は心に響く。

    このノーベル賞受賞講演は詩人たちは何ものか、その核心をを簡潔に語っている。

    川端康成の受賞講演も感動的であったが、迫力という点ではブロツキイが圧倒的である。亡命詩人ゆえの力であろう。

    彼を主人公とする「文学裁判」を紹介しておこう。

    1963年12月、詩人ブロツキイは定職につかない有害な「徒食者」として逮捕され、レニングラードで裁判にかけられた。

    裁判官「いったい、あなたの職業は何です?」
    ブロツキイ「詩人です。詩人で翻訳もします」
    裁判官「誰があなたを詩人と認めたんです?誰があなたを詩人のひとりに加えたんです? 」
    ブロツキイ「誰も。じゃあ、誰がぼくを人間のひとりに加えたっていうんです?」
    裁判官「でも、あなたはそれを勉強したんですか?」
    ブロツキイ「何を?」
    裁判官「詩人になるための勉強ですよ。そういうことを教え、人材を養成する学校に、あなたは行こうとしなかったでしょう・・・・」
    ブロツキイ「考えてもみませんでした・・・・そんなことが教育で得られるだなんて」
    裁判官「じゃあ、どうしたら得られると思うんです?」
    ブロツキイ「ぼくの考えでは、それは・・・・神に与えられるものです」
                                  (引用 沼野充義訳)

  • ノーベル賞受賞者の講演、演説はしばしば書籍化されているらしく、今回このヨシフブロツキーの受賞講演が自分にとって初めて手にとった講演記録となった。
    そもそもヨシフブロツキーとは誰なのか?
    簡単に言えばロシアの詩人、としか言いようがない。例えば祖国であるソ連からアメリカへ亡命し、急変する時代のさなかをしなやかに生きた芸術家と言ってもいい。
    しかしこの講演記録を読み終えて思う事と言えば、そんな個人的背景よりも詩人として煮詰まった彼の言語選択の卓越性や芸術にかける献身的な愛を思わざるを得なかった。
    ブロツキーの言うロシア語の重要性をまさかこんな所で直感的に認識してしまうのか、という後悔と共に、ロシア語という言語を理解できない自分の薄学が悔やまれた。

    芸術と詩を隔てる明確な線引きをあえてすることで確実な政治介入を構想し、互いが引き合う関係を築く、全ての面において前進的なプロセスを導きだした。
    ナボコフの詩が我々に何かを与える過程を口にするならそれは「読む」というよりも「体得」と言う方が賢明だろう。

    この本を読む事によって詩の重要性を理解できるだけでも、それはそれで素晴らしい。

  • たった60ページの講演であるが、これを読んで色々と考えさせられた。
     国家という社会保障や再分配の仕組みが無くなって、先鋭で審美眼に優れた詩人が置き換わることを夢想しました。これは詩による革命を謳った書といえるものだと考えます。
     国家は成立した時点でレガシーな存在であるのに対し、詩人はミューズの声を聞き、詩作が意識や、思考、世界感覚の加速器であるのだから常に現在であり明日であり続ける。
     

  • ノーベル賞を受賞したロシア(アメリカへ亡命)の詩人の受賞講演。

    大衆よりも己も含む其々の個にこだわり、国家や社会に弾圧される個の怒りを想う。その中での変わらぬものとして、詩人が発する言葉の絶対を言い、それらが読み継がれて行くこと、結果心に根付くことを切望していた。
    時として、書物(とりわけ詩)を読む者は悪人にならない等の飛躍的発言から、いささか高慢で偏屈な匂いもするのだが、誇り高い実直さも伺え、言葉は違えどその先にある想いは同じなのかもしれない。

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