- Amazon.co.jp ・本 (70ページ)
- / ISBN・EAN: 9784907105051
作品紹介・あらすじ
ジョルジュ・バタイユの恋愛論。
「聖なるもの」を求めて、ミシェル・レリス、ロジェ・カイヨワとともに〈社会学研究会〉を立ち上げたバタイユ。恋人・運命・偶然・共同体・神話……これらの概念を交差させ、失われた実存の総合性への回帰を探る。
【目次】
魔法使いの弟子
1 欲求がないことは満足がないことよりも不幸だ
2 人間でありたいという欲求を失った人間
3 学問の人間
4 フィクションの人間
5 行動に奉仕するフィクション
6 行動の人間
7 行動は、人間の世界によって変えられ、この世界を変えることができずにいる
8 分裂する実存
9 完全な実存と、愛する存在のイメージ
10 愛する存在の幻影的な特徴
11 恋人たちの真の世界
12 ひとまとまりの偶然
13 運命と神話
14 魔法使いの弟子
原注・訳注
訳者あとがき
感想・レビュー・書評
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恋愛、人の世、絶望そういった感覚が交差するバタイユの恋人論。真に肯定的な人間関係を問い直す時の視座として貴重。とても有意義なテキストだと思う。コンパクトだし。バタイユのリハビリ、入門にもいいと思う。
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まず、はじめに、何よりも哲学的な一冊でした。宇宙と恋愛が接続し、かつ、それは禍々しく神々しい怪物のさまである。バタイユによる恋愛論。一筋縄でいかない繊細で同時に暴力的な手触りが、やはり、ありますね。男女が出会い、ほとんど原始的宇宙を露出する様にして、生の、いや宇宙の歯車を回転させる。地上の神話として賦活されるアダムとイブは、実は今、本を紐解いている凡庸な読書子なのである、という、この驚くべき核心のやいばを突きつけてくるのですよね。凄いな。何よりも哲学的ですよね。
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「行動は、人間の世界によって変えられ、この世界を変えることができずにいる」
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《だが人間の意のままになる神聖さなどたいした神聖さではないのだ。本来の聖なるものは、宇宙と同じような諸力の自由な戯れであり、人間の知も力も嘲笑って、暴威をふるいだす。しかしまた、宇宙がその戯れを気ままに続けているのと違って、人間との接点で生じる「聖なるもの」は、たとえ祝祭の場で激しく発露しても、持続しない。破壊の武器のごとく存続させようと人間が思っても、あっけなく沙汰やみになってしまうのである。》(訳者あとがき)
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読後、自身を省みて、私もまた政治家であり、芸術家であり、学者であることを思い、わすかばかりの機能を果たすために日々を汲々とし、実存を奪われているなと思い当たる。
「恋愛」を諦めずに生きたい。 -
『眼球譚』のバタイユが1938年に発表した恋愛論。
この論文が書かれた背景については巻末の解説に詳しいのだが、恋愛論というよりごく真っ当な人生論であるように思える。真摯な文章にも圧倒された。 -
はじめてのバタイユ、おまけに時代背景にも暗いわたし。
そんななかでも、喚きたてるような自分に言い聞かせるような訴えかけるようなこの文章の熱と、望みと、諦めのようなものを覗き見したような気がしたりしなかったり。