背骨のフルート (マヤコフスキー叢書)

制作 : 高橋 睦郎 
  • 土曜社
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本棚登録 : 67
感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (64ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784907511036

作品紹介・あらすじ

よろしい! ぼくは出て行く!
よろしい! きみの女は残る。

《声の力で世界を完膚なきまでに破壊して、ぼくは進む、美男子で二十二歳》と言い放った詩人は、その年に奇妙な夫妻と知る。のちに秘密警察 OGPU の工作員として働くオシップとリーリャのブリーク夫妻である。詩人と妻の関係を知りながら、あろうことか、夫のオシップは詩人の作品を一行50カペイカで買いとり、『ズボンをはいた雲』『背骨のフルート』を出版する。『フルート』初版600部が世に出たのは1916年2月。来る5月に詩人は《ロシア式ルーレット》を実行し、幸い、弾丸は不発に終る……。

――全体が不実の恋人リーリャへの「弾丸の終止符」であるとともに、ソビエト政府と人民と自分との三角関係の終止符への予告ともなっている
高橋睦郎(詩人)

――一九一六年。これはマヤコフスキーにとって惨憺たる一年だった。……殺戮の報道にうんざりした詩人はこんな作品を書いている……。《モスクワ市に言ってやってください、/勝手に死守しやがれって! /そんな必要ないんだ! /武者ぶるいはやめときな! 》
小笠原豊樹(詩人・翻訳家)

感想・レビュー・書評

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  • マヤコフスキーは20世紀前半、ロシアで活動した詩人である。『背骨のフルート』は愛と酒に酔っぱらった愉快な詩だ。詩なんて退屈な文章だと思わずに読んでもらいたい。
    (LA学群卒:湯けむり山荘)

  • ぼくは天才の足どりできみの脳髄を破壊した。

  • ・思い出よ!集めてくれ、脳髄の広間に

    ・あそこに高くよじのぼり、疲れて、裸で待つ月、あれはぼくだ。

    いいっすなー
    ロシアっすなー

  • 声に出して読むマヤコフスキー気持ちいいわー!そして失恋したぼくのためにマヤコフスキーはこの詩集を書いてくれたと思う!(笑)世界観が次々に変わっていく楽しさがマヤコフスキーの言葉にはあるなぁ・・・。次も速攻で読む!

  • ソ連政府への絶望。

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著者プロフィール

ロシア未来派の詩人。1893年、グルジアのバグダジ村に生まれる。1906年、父親が急死し、母親・姉2人とモスクワへ引っ越す。非合法のロシア社会民主労働党(RSDRP)に入党し逮捕3回、のべ11か月間の獄中で詩作を始める。10年釈放、モスクワの美術学校に入学。12年、上級生ダヴィド・ブルリュックらと未来派アンソロジー『社会の趣味を殴る』のマニフェストに参加。14年、第一次世界大戦が勃発し、義勇兵に志願するも、結局ペトログラード陸軍自動車学校の設計士として徴用。戦中に長篇詩『ズボンをはいた雲』『背骨のフルート』を完成させる。17年の十月革命を熱狂的に支持し、内戦の戦況を伝えるプラカードを多数制作する。24年、レーニン死去をうけ、長編哀歌『ヴラジーミル・イリイチ・レーニン』を捧ぐ。25年、世界一周の旅に出るも、パリのホテルで旅費を失い、北米を旅し帰国。スターリン政権に失望を深め、『南京虫』『風呂』で全体主義体制を風刺する。30年4月14日、モスクワ市内の仕事部屋で謎の死を遂げる。翌日プラウダ紙が「これでいわゆる《一巻の終り》/愛のボートは粉々だ、くらしと正面衝突して」との「遺書」を掲載した。

「2014年 『ズボンをはいた雲』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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