現在、子どもたちが求めているもの: 子どもの成長と物語

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  • キッズメイト
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  • Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784907822019

感想・レビュー・書評

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  • この本で、子どもについて書かれていることは、すべて重要。タイトルが「現在…」となっているが、おそらく出版当時だけでなく、"いつの時代においてでも"の現在なのだと思う。

  • 斎藤惇夫さんの講演録

    P11
    われわれ自身は無関心だったり、軽蔑している事柄で、相手を楽しませることはできないように思います。その子はそんなことはすぐに見ぬいてしまうにちがいないのです。どんな人間関係においても、相対する二人は影響しあいます。

  • まさに物語ることによって、物語の意味を伝える講演録。理屈でなくて、心に情熱の火が灯るお話しだ。絶版なのが惜しい本。

    アンケートデータや事象の引用や利用に強引さがあることは否めないが(著者もその限界を断っている)、子どもに向かう姿勢の真剣さはひしひしと伝わってくる。これでもまだまだなんだよ、と言われているようで、怖いくらいだ。でも、だからこそ、世界で児童文学は発展、深化してきたのだな。

    ガンバシリーズを始め、斎藤さんの作品はどれも素晴らしいが、確固たる哲学と姿勢から生まれたものだったんだな。

    ・(日本の子どもの本の未熟さは)、編集者の努力不足、ずさんさ、曖昧さ、つまり、子どものことが分かっていると思い込む軽薄さ、あるいは子どものことなど分かる必要がないと考える傲慢さによる。
    ・個人差はあるにせよ、10歳以下の子どもたちは、一緒に物語を体験してくれる人、いざとなったら逃げ込むことのできる人を必要とする。
    ・遊びが楽しければ楽しいほどに、文章などと言うものは書けない。書けない子はどうぞしかっり抱きしめて、この子は何と精一杯子ども時代を生きているのだろう、なんと感受性の豊かな子どもなのだろうと誇りに思ってください。
    ・祖母から昔話を聞くことは、毎日、祖母=語り手から、自分=聞き手がまるごと愛されているという実感をもつことだった。子どもはとても親には言えないことを体験している。・・・いわば、日常生活での体験を全て抱擁しながら超えていくと言ったらいいのでしょうか。
    ・養老:「テレビの中の世界の動きは、子ども自体の行動に一切関わりがない」
    ・「それからどうなったの」=ストーリー、「どうしてそうなったの」=プロット
    ・谷川俊太郎:子どもに絵本を読んでやろうという声はよく聞くけど、子守歌や童歌を歌ってやろうという声はあまり聞こえてこないなあ
    ・絵本:絵と文章の対位法=独唱者とピアノの関係ではなく、全く異なった旋律:センダック
    ・子どもたちの成長は、物語と、読んでくれる人に、促されると同時に、しっかりと二重に守られている。
    ・石井桃子:でも、子どもたちにとってはどうかしらね。(ピーターラビットの日本発刊に対して)
    ・ヤンソン:大洪水でみなが流されたら、「そこに突然いかだが流れ着きました」という文章を入れる。
    ・聞く、語る、読む、書くの順序。逆転することはない。
    ・堀内誠一:自分には誇れるものなど何一つ無いが、かつて、自分が子どもだったということだけは誇れる。
    ・息子さん:うれしくってたのしくなっちゃうやつ!
    ・(『幼い子の文学』に対して)「あれはたいへんな本ですね。僕にはまだ読みきれていない」

  • 子どもの発達と物語に対する目は確かです。

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著者プロフィール

斎藤惇夫 1940年新潟市生まれ。小学校一年から高校卒業まで長岡市ですごす。長年子どもの本の編集に携わり、現在は、著作と、子どもの本の普及活動を続ける。著書に『グリックの冒険』『冒険者たち』『ガンバとカワウソの冒険』『哲夫の春休み』(以上、岩波書店)、『おいで子どもたち』(日本聖公会)、『現在、子どもたちが求めているもの』『子どもと子どもの本に捧げた生涯』(以上、キッズメイト)、講演録に『わたしはなぜファンタジーに向かうのか』(教文館)などがある。

「2017年 『河童のユウタの冒険(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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