- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784909394750
感想・レビュー・書評
-
2020年9月から今年の4月まで web雑誌「みんなのミシマガジン」に連載された往復書簡。リアルタイムでも更新を楽しみにしていたが、こうして一冊の本になると益々、おふたりの専門知識と持って生まれたユーモア感覚にコロナ禍だけのせいでなく疲れ果てていた当時の自分がどれだけ救われたか改めて思い出される。視点を変えるって大事。おふたりがお互いの手紙から影響を与え合う瞬間に立ち会えたようで読み手である私もゾクゾクわくわくしました。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
医学部分館2階書架 : 369.26/ITO : https://opac.lib.kagawa-u.ac.jp/opac/search?barcode=3410170231
-
書簡のやり取りの中で、予定調和に陥らない未踏続きのコミュニケーションは、緩慢さを感じるかもしれないが趣深い。
双方の経験の実地部分もエピソードに富んでいて、なおかつ出来事への視座がなるほどと思わせられる。 -
モヤモヤした感じがいい。何かわかるとわからないの間に挟まってしまった感じ。
-
お二人の手紙のやり取りの中でハっとさせられる表現や気付きが多くとても面白く、そして興味深い話ばかりだった。
手紙のやりとりの中から生まれる、それぞれの思い出の中にあるいろいろな人の行動や関わりの意味を、自分では到底思いつかないような言葉や感覚、感情で語られているのが、とても刺さった。
いろいろなところに付箋を貼ったが、個人的には特に村瀬さんのお母さんに対する一節が印象に残っている。
(認知症の母が夜中に起きないようにするためにという前段があって)
『僕の発する「乾杯」と「お疲れ様」には「起きてこないで」という毒が盛られているのです。実は感謝もねぎらいも込められてはいない。母は僕の小賢しい目論見を知りません。けれど、これを繰り返すうちに盛られた毒は分解されていくと思います。解毒された言葉は本来の意味を取り戻します。そして自らの力をいかんなく発揮し始めると思うのです。』 -
-
「ケアしてもらうとは体をあげること、ケアするとは体をうけとることなのではないか」と伊藤亜紗が書き、それに応えて、「ケアするとは体をあげること、ケアされるとは体をうけとることなのではないか」と村瀨孝生が読み替える。
現場に深く触れ、自らと他者の身体に繊細にシンクロすることを企て、だからこそ生じるズレにも鋭敏な二人の往復書簡。
繰り返し読むに耐える重みを持つ。 -
利他を研究する美学者の伊藤氏と認知症(ぼけ)ケアの第一人者の村瀬医師の対談本で面白くないわけがない。身近な題材から人との関係を語る伊藤氏と自身の認知症ケアの実際から人との関係を語る村瀬氏の噛み合いそうで噛み合わない対話のやり取り、ただその底には信頼感という愛情が見え隠れし、このやり取り自体が「利他」なんのかと感じた。村瀬氏、曰く、「不安定であり続けることで、安定が孕まれるように感じます」。ネガティブ・ケイパビリティを連想した。