クシュラの奇跡: 140冊の絵本との日々

  • のら書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784931129092

作品紹介・あらすじ

これは、複雑な重い障害をもって生まれたクシュラという女の子の"生"のたたかいの記録であり、その成長にかかわった数多くの絵本の物語です。生後四か月から、母親がはじめた絵本の読み聞かせによって、クシュラは、豊かな言葉を知り、広い世界へ入っていきます-。子どもの人生に、本がいかに大きな力をもつかを実証して、深い感動とともに長く読み続けられてきた本の普及版。

感想・レビュー・書評

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  • 何年か前から気になっていた本書。図書館の書庫から借りた。ブクログの画像とは違う背景色が黄色のもの(1984年5月初版発行、1988年5月第21刷 のら書店)。クシュラとその妹を育てながら、多くの絵本を読み聞かせ、手をかけ、こんなにも細かな記録を取っていたその努力に脱帽。こんなふうに子どもに向き合っている家族がいたのだと、圧倒される。そして後記にあるように、その後父親は自宅で陶器を作り、母親はオークランド市の企業に勤めつつ会社のすすめで大学の研究科(数学)で論文を仕上げているという、その自らの人生も活き活きと進んでいく姿に、尊敬とあこがれの気持ちを抱いた。私も細々と勉強中の身。下の子が入園する来春には、稼ぎ始めたい。
    紹介されている絵本は既読のもの、気になっていたものも多数あり、当時の名作はやはり今も名作なのだなとしみじみするとともに、そこから現在までにさらに多くの素敵な絵本が生まれていることを感じ、絵本や本との出会いはご縁だなあと改めて感じた。娘、息子らにも本、音楽、人、場、その他多くの素敵な出会いがあるよう、出会いの場と環境を、できれば適切なときに提供していきたいと、改めて感じた。そのために、よく子どもらを、そして自分と家族と時世を、よく観察したいものだ。2020/7/10
    ◆引用
    (後記)
    p119…
    夫婦(略)二人はまた、友人は物より大切であり、お金は物をふやすためにではなく、興味の対象を維持しひろげていくために使われるべきであるという信念を分かちあっています。
    p123…
    しかし私はまた、すすんで子どもと本の仲だちをする人間がいなければ、そもそも本が子どもにわたらないことも知っています。
    (訳者あとがき)
    p126…
    私が参観したユニークで楽しいバトラーさんの読書学習については、いずれ別の機会にご紹介したいと思います。
    →Amazonで百々さんの著書を検索したところ『赤ちゃんの本棚 0歳から6歳まで』『5歳から8歳まで-子どもたちと本の世界』があった。この2冊かな。読んでみよう。
    →図書館で調べたら、『5歳から8歳~』は無かったが、『赤ちゃんの本棚 0歳から6歳まで』『子ども・本・家族』『みんなわたしの 幼い子どもにおくる詩集』の3冊があった。全て読みたいな。
    p127…「本を子どもの周囲におくこと。いきなりストーリーに入らず、表紙や見返しをゆっくり見せて想像をふくらませ、本に注意を向けさせること。怒らずにほめること。」家庭での読書教育のこつはこれだけです、とバトラーさんはいいます。バトラーさんの読書学習に参加した子は、集中力がつくし、本好きになって、兄弟や友人をさそってまたやってくるそうです。
    p127…
    著者は、本書のなかで孫娘クシュラにおける本と知能の発達のかかわりを詳細に述べ、七章では二点を強調しています。第一に、子どもはピアジェらの理論にあるように行動が制限されていても、他の経験、とくに読書が障害の代償手段となり得る。第二に、本は乳幼児の言語発達を促し、幼い魂と外界との幸せな関係を築く力をもつ。けれども幼い子は自分で本を手にできないため、本にふれさせてくれる大人が絶対に必要であり、大人は子どもと本をつなぐ輪でなくてはならないということです。

  • 読み手のとらえ方によって色々な受け取り方があると感じた。
    たくさんの絵本との出会いもあり、障害児との生活もあり。

  • 少し昔のお話だけれど、大型本で図書館で借りて読みました。
    絵本が子どもに与える可能性の大きさを感じました。
    もちろん大人にもいろんな影響を与えてるのだとおもっていますが。

  • 図書館で借り。
    3年くらい前、子どもの言葉が遅かった時にこの本を知った。子どもの言葉が遅いことを認めたくなくて、なかなか手が出せなかった本。もっと早く読んでおけばよかった。

    心打たれるのは、クシュラの両親の姿勢。本当に聡明で愛情あふれてるんだな。どうすればいいのか、最善を考えて行動していく姿には心打たれる。柔軟な姿勢とクシュラの成長・自立を第一に考えた行動。強くて柔らかい。母・パトリシアさんみたいな親に、私はなりたい。

    読書習慣は一生ものなので、これからも二人の子どもと絵本を楽しむ生活をしたいな。自分自身も好きな本をたくさん読んで、本を楽しむ姿勢を子供に見せたい。

    この本でおすすめされていた絵本はなるべく読んでみたいな、と思った。英語ならではの韻を踏んだ文章が面白いものもあるので、翻訳版でもその面白さがそのままかどうかはわからないけど。

    ---
    つまり、クシュラを愛し、クシュラが自立する日に備えて、喜んで「クシュラの目となり、手となった」人々と絶えず親密な接触を持った経験こそ、未来の最も力強い希望の源なのだ、両親ともこのような深い直感的な信念を抱いていたのである、と。(p190)

    いまの私は、活字と絵が、原因は何であれ、外界から隔絶された子供に何を与えるかについて知っています。しかし私はまた、すすんで子どもと本の仲立ちをする人間がいなければ、そもそも本が子供にわたらないことも知っています。(p210)

    この一家は、昼夜の看護、聡明な行動、愛情に裏付けられた粘り、そして困難な状況のたびに下した、健全で、前向き、かつ現実的な判断でもって、専門家たちの悲観的な予測を乗り越えてきた。(p212)

    「本を子どもの周囲におくこと、いきなりストーリーに入らず、表紙や見返しをゆっくり見せて想像を膨らませ、本に注意を向けさせること。怒らずにほめること。」家庭での読書教育のこつはこれだけです、とバトラーさんはいいます。(p215)

    著者は、本書の中で孫娘クシュラにおける本と知能の発達のかかわりを詳細に述べ、七章では二点を強調しています。第一に、子どもはピアジェらの理論にあるように経験(行動)によって精神発達を遂げるが、クシュラのように行動が制限されていても、他の経験、特に読書が障害の代償手段となりうる。第二に、本は乳幼児の言語発達を促し、幼い魂と外界との幸せな関係を築く力を持つ。けれども幼い子は自分で本を手にできないため、本に触れさせてくれる大人が絶対に必要であり、大人は子どもと本をつなぐ輪でなくてはならないということです。(p216)

    クシュラを自宅におかないで、公的援助のもと障害者どうしの共同生活をさせると決めたのも母親でした。自分の翼の下にクシュラを永遠に保護しているわけにはいかないと考え、自立させたのでした。(p230)

  • 1981年4月1日にボローニアで開催された「本と障害児」に関するセミナー(ボローニア児童図書展主催・ユネスコ協賛)で、
    トーディアス・ウーリアセーター氏が行なった基調講演の翻訳『本は友だち』
    (原題“The Role of Children's Books Integrating Handicapped Children in to Everyday Life”)を読んだ。

    この基調講演は、国際障害者年の頃の29年前の講演なのであるが、少しも色あせたところがなく、刺激的でさえある。

    このことは、彼女の講演が時代を超えた深みのある理念に
    裏打ちされたものであることを証明していると同時に、
    障害のある子どもたちのための本の現状が、
    彼女の提唱した理念に未だ追いついていないという事実の現れでもある。

    彼女の講演の中で、大きく取り上げられていたのが、
    ドロシー・バトラーの『クシュラの奇跡―140冊の絵本との日々』
    (原題“Cushla and Her Books")だった。

    著者であるドロシー・バトラーは、クシュラから見ると祖母に当たる。

    謝辞に、本書がどういった性格のものであるかが書かれているので引用したい。

       本書の刊行は、クシュラの母親、パトリシア・ヨーマンの努力のたまものである。

      パトリシアは娘の誕生以来、その発達を忠実にしかも効率よく記録した。

      さらに彼女の夫、スティーブンの配慮と支援に、
      またオークランド大学教育学部のジョハニス・エバーツに感謝したい。

      彼の励ましおよび正確さに関する主張は、論文の執筆に大きな影響をおよぼした。

    本書は、もともとドロシー・バトラーの教育学の学位論文だったのである。

    本書は、1984年5月に出版された本と2006年3月に出版された普及版とがある。

    大型本は、「クシュラの本棚より」の部分で紹介されている原書絵本の見開きがカラーで紹介されている。

    普及版は、この部分が白黒である。

    原書絵本の味わいをよりリアルに感じられるのは、大型本の方である。

    一方、普及版は、1600円という手にしやすい金額であること、
    そして、「訳者あとがき2 その後のクシュラとバトラーさん」の部分が追記されている。

    この部分は2006年1月に書かれている。

    著者、そして、クシュラの両親とクシュラ自身の重ねられた時の重みが感じられる。

    私が『クシュラの奇跡』の大型本を読んだのは、
    持っている本の奥付が2001年5月第37刷となっているので、
    今から9年ほど前になる。

    また、普及版があると知ったのは、実は今年偶然本屋で見かけた時だった。

    クシュラのその後は自分も興味があったのと、
    縁があったらもう一度書評を書けるような気がして、購入してもっていたのだった。


    再読して、より本書を味わえたように思う。

    本書は、障害児が絵本によって自らの可能性を最大限に開いていった物語としてだけでなく、
    一般の絵本論としても、また、子どもが絵本の言葉を使ってどうやって語彙を増やしているのか
    という意味でも興味が尽きない1冊である。

    原書絵本の選書の参考にもなりそうだ。

    クシュラは、本に興味を示した。

      クシュラは、本を見ようとする意志を示した。全身を耳にして聞いた。

      本を読んでやっているとき、母親は、建設的なことをしているのだ、という気分になれた。

      クシュラの母親は、このとき、ごく自然に本に助けを求めたのである。(p.17)

    両親も本ならば読んであげられた。

    両者が結び付いたのである。

      クシュラに外界の事物を体験させるためには、かならず大人がつきそって助ける必要があるという認識と、
      本に興味をもたせるのに成功したという事実とが結びついたのである。(p.30)

      読書という代償プログラムは、両親の言葉を借りれば、
      「クシュラと外界との接触を保つ」決意からはじめられたともいえるし、
      クシュラの世話に費やさなければならない時間を埋める必要性からはじめられたともいえる。(p.34)

      それは、教えているほうも教えられるという、相互に交流のある学習であった。

      クシュラと両親は、かたい絆で結ばれていた。(p.35)

    クシュラにとって、本がどんなに大切な存在だったのかについての著者の考察も印象深い。

      クシュラの読んだ本がクシュラに大勢の友だちをあたえたことこそ何よりも重要である。

      クシュラがたえまない苦痛と欲求不満の人生を生きていたとき、
      本のなかの登場人物とぬくもりと美しい色がクシュラをとりまいていた。 (p.200)

      クシュラしか知らない暗くて寂しい場所へお供をしたのは、
      本のなかの住人にほかならないのでは、と思う。(p.200)

    著者の絵本論も随所に展開されていて、絵本選びや原書を味わうときの参考にもなる。

    特に、訳者がインタビューに出かけたときのこの言葉が印象深い。

      「本を子どもの周囲におくこと。

      いきなりストーリーに入らず、表紙や見返しをゆっくり見せて想像をふくらませ、
      本に注意を向けさせること。

      怒らずにほめること。」

      家庭での読書教育のこつはこれだけです、とバトラーさんはいいます。

    本書は学位論文として書かれるときに、私的すぎるのではないかという助言も受けたそうである。

    だが、これがこうして書かれ、本としても出版されたのは、クシュラの両親のこんな思いがある。

      人間の手で、本と世界じゅうの障害をもつ子どもたちをつなぐ輪を、もっともっとふやしたい、
      そう希望するからこそ、クシュラの両親は、娘の話を出版することに同意しました。(p.210)

    自ら語る当事者や家族は、自分たちのことのみならず、同胞のことを思い発信している。

    このテーマに関わるものとして、こういった当事者の思いは、忘れてはならないと思った。

    この普及版で、クシュラ、両親、著者の近況を知り、なおさらその思いを新たにした。

  • どんな読み聞かせ促進本より、この本を読むべきと感じた。赤ちゃんは確実に絵本を欲してる。そして保育者は赤ちゃんに絵本に親しめるように、その道筋を導いてあげるべきである。

  • 「ロレンツォのオイル」の両親を思い出した。
    両親こそ奇跡。

  • 図書館の読み聞かせコーナーにあった。子供の障害にかかわらず本を読み聞かせることの楽しさが伝わってくる本であり、同時にクシュラの両親が幼い乳児(「健常児」であればまだ読み聞かせなんて始めないであろう時期)に読み聞かせを始めた状況を思うと胸が痛くなる。忍耐、優しさ、力強さ…すごい家族だなあ。

  • 本のもつ力が、すべてここに書かれている。

  • 児童文学翻訳者の百々佑利子さんがニュージーランドで児童書専門店を経営しているバトラーさんに出会い,本書を日本に紹介することになったという奇跡.

    バトラーさんの孫であるクシュラ.手指の奇形,黄疸,泣く,寝ない,聴覚も視覚も怪しく外界と遮断された状態.コミュニケーションを取ること,成長することはほぼ望めないと思われた状況.それでも,「専門家の意見にも屈せず、強行で思いやりに満ちた決断をいくたびとなく下した」(巻末の推薦の言葉より)様子が描かれている.

    元々,絆が強く絵本好きな家族.自分たちの気分を紛らすためにも「絵本の読み聞かせ」をしながら子育てをする.どういう事に反応を示すか/示さないか,コミュニケーションの質・語彙など,クシュラの反応をしっかりと観察しながら,当初は無理だと思われた成長を記録に留め,「教育学の論文(卒論?)」として発達理論を元にクシュラの成長を分析している.

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