ダンサー・イン・ザ・ダーク [DVD]

監督 : ラース・フォン・トリアー 
出演 : ビョーク  カトリーヌ・ドヌーブ  デビット・モース  ピーター・ストーメア  ジョエル・グレイ 
  • 松竹ホームビデオ
3.64
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988105016170

感想・レビュー・書評

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  • ビョーク主演で、ミュージカルシーンがさすがにすばらしい。
    ラストのトラウマが残るという処刑シーンは、前もってストーリーを知ってからのぞんだのでショックは少なかった。
    ビルを殺したあとからすごくファンタジーだなあ。みんながセルマに好意的なミュージカルシーンは、セルマの脳内・セルマが望む世界だろうな。冷たい現実との対比が切ない。

  • 名前だけ聞いて気になっていたので落ち込んで何もやる気がでないときに見た。
    失敗だった。
    予備知識を入れようと少しでも調べれば「鬱」とか「悲しい」とか出て来るのに。でも感動映画の中にもリストアップされてたな。観終わった後に賛否両論なのも頷けた。

    全体的に暗い。暗くて退屈。
    浮かれるようなミュージカル調の展開が無理矢理でついていけない。インド映画をちらっと見た時には感情場面をダンスと歌で表現するようだけど、愉快さや楽しさはあちらの方が振り切っていて気持ちいい位だ。
    ここで描かれるミュージカルは現実の延長線上に設けられているから滑稽さが抜けない。職場の同僚が加わり、線路沿いの川辺や屋敷の人が参加する。そこでビョークという主演女優のどこか拙さが残る耳障り(と言ったら失礼だとは思うが)な歌声がその「愉快」で「明るい」様子とミスマッチに感じて不気味さを誘う。

    でも、結末まで見ると印象が、がらりと変わる。
    マツコ・デラックスはこれを母と子の愛の物語だと解釈したみたいだ。(youtubeより)
    私には愚かな女の惨めな最期にしか感じられずに恐怖した。

    一旦、余りの暗さに中断してしまったものの、ネットで調べると鬱映画だと知って興味を持って再開した。
    一本丸々見る元気はなかったので、仕方がない。

    印象的だったのは、逃げている中、息子は「母さんは悪くない。しかたなかったんだ」と繰り返し、家主の妻は「仕方なかった。警察が来るから逃げなさい」と導き、いましがた殺した家主の夫も踊り始めたことだ。
    その瞬間、私は困惑した。そして、結末を見て、置いてきぼりにされていると感じた理由を理解した。

    彼女は逃げるためにあのミュージカルを見ていたからだ。
    全ては妄想の中で、失明への恐怖も、上手くいかない仕事への辛さも、人を殺めてしまった苦しみも、全て歌とダンスでとやっと理解した。吹き荒ぶ嵐の中で雨風に打たれながら、身を縮めて、それでも胸躍ることを夢見ていたにすぎない。
    誤って殺めてしまったことによって裁判にかけられ、死刑宣告をされたセルマは、同じように息子を持つ女性看守の力を借りながら、死への107歩を歩む。
    その瞬間のなんと楽しそうなことか。同じように捕えられた囚人たちと触れ合いながら、笑顔を見せる彼女。その直前には死への恐怖で脚が踏み出せないと震えていたというのに。それなのに無常にも数えていく矛盾を抱えながら、看守の優しく囁くカウントダウンは余りに慈悲に溢れていた。

    最期のシーンは最悪だった。
    恐怖で立つこともままならないセルマ。板に拘束され、かけられたフードは息苦しいと泣き喚くさまが壮絶で息を飲む。看守の好意で盲目だからとフードを外してもらい、その許可をとっている間、親友がもってきてくれた息子の眼鏡で手術が成功したこと知る。そうして”最期から二番目の唄”を口ずさむ中、床が落ちる。

    実際にはこのラストシーン、監督が用意していたものは、手術も成功せず絶望の中、執行されることになったらしい。あまりにも救いがないからと主演のビョークが抗議して変更になったとか。

    解釈は人それぞれに割れるのも頷ける。これは正邪と二分して語られる映画ではない。母と子の愛の物語だと言っていた人も、「この映画に出て来る人はみな身勝手」と評する。中にはセルマの無知さに怒りを感じる人もいるだろうし、彼女の周囲にいた善良な人のように同情を感じる人もいるだろう。

    私は恐怖した。
    この女性の無残な一生が怖くてたまらなかった。
    きっと時間を経てからまた見たら解釈は変わるかもしれないが、少なくとも私は怖かった。
    あまりにも救いが無さ過ぎて、胸にぽっかりと穴が開いたように寒風が吹きぬけて擦りきれてしまいそうだった。
    セルマの身勝手な息子への愛情や、周囲の人に恵まれていることにも気付かない無知さへの怒りよりも、ただただ恐怖するしかできなかった。
    それでもなお、懐かしい感覚があった。

    最近、感動したいなあと漠然と思っていた私に、待ち望んでいた感覚だった。泣けるとも悲しいとも、嬉しさがあるとも違う。心を揺り動かされて、茫然とする。いま見た作品を、深く知ろうとする。自分なりに解釈を得ようとして、頭の中で反芻する。この感覚。感動と呼ぶと途端に安っぽくなってしまうけれど、それ以外に言いようもない衝撃。
    悲しみの物語とは断じたくない。愛の物語でもない気がする。弱い女性の、翻弄された一生に過ぎない。けれど、ビョークが歌う、まるで魂の叫びのような歌が、好きだとは思った。

  • 事前情報のもとに構えて観てしまったせいか、そこまで暗いとか鬱とか胸糞展開とは思わなかった。

    ちょっと長いかなと思ったが、後半はテンポよく進むので気にならない。
    カトリーヌ・ドヌーヴがよかった。

  • 何がいいって歌だよね

  • マツコが一番好きな映画って
    言ってたから観てみたけど、
    突然歌い出したりとかして
    なんかよくわからなかった。

  • 2016/10/10


    2回目。
    ビョーク以外に主役は出来なかっただろうな、
    というより、ビョークだったからあの映画が生まれたのだろうな、と思わざるを得ない感じ。

    やはりラストのシーンが好きだ。
    最期に付き添う女性が、かなりキーパーソンに感じる。
    あの人は、その他大勢の、1人の象徴なのかなって。
    心に残す?刻む?者としての。

    やっぱり購入しようと思いました。

  • ・空想のミュージカルにいつのまにか入り込むところがおもしろかった。
    ・見てる最中はたまに長くて退屈って思ったけど今はなぜかまた見たいなって思う
    ・ビョークあまり美人じゃないと思ってたけどこれみてからビョークは史上最高に可愛い美人に思えてきた
    ・特に殺した男が蘇って踊りだすらへんの演出が好き
    ・死刑になるときに着てた青い洋服がいい
    ・歌う踊る事が苦しい事の多い世界ですごく美しいものだと思えた
    ・あの終わり方は賛否両論ありそうだけど、わたしはあれがすごく好き ぱっと終わるので。

  • これだわね〜
    カトリーヌドヌーブ出てたんだ。

  • ミュージカルって得意じゃないんだけど、独特な雰囲気に抵抗感なく観ることができる。歌いながら終演に向かっていく主人公が印象的。

  • ラースフォントリアーの出世作に再挑戦。約…15年ぶり?

    一般的に、後味が悪いとかトラウマ映画として有名やけど、
    「黄金の心という名の少女」という4歳の時に読んだ絵本から、本作の着想を得たらしい。
    絵本の少女は言う、
    「心をどうぞ、私はなんとかなる」

    全てを与えるという行為。
    トリアーは笑って言う、「献身は美徳だろう?」

    そして、ビョークを見つけ、セルマを見て重ね、2人に黄金の心を表現させた。

    セルマ(トリアー)の空想世界は、現実逃避では無く、生きてく強さを見出す手段、方法のようなもの。
    その独創的で特殊なミュージカル音楽と物語の行き来は絶品。

    セルマの唄は、本来の明るく楽しいミュージカル曲とは真逆の過ち。人間を見据えた歌詞はパンクで、またそれは聖母をも彷彿させる。彼女にある包容力、強い母性も引き立て、母と息子のメロドラマな本作に、ぴったり。

    音楽は、ビョークの壮麗さ、カリスマ性を見せつけ、途轍もなく良い。実際、音楽についてはビョークが、主導権を握ったらしい。

    また本作は、ラースにとって、アメリカ映画でもあるらしい。
    彼は、死刑制度に強く反対を示してる。

    再鑑して、苦痛の昇華を、作品に観ることが出来た。もう、私にとっては、トラウマ映画ちゃう。

    「ミュージカルでは恐ろしいことは起こらないわ」。

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