NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2014年 12月号 [雑誌]

制作 : ナショナル ジオグラフィック 
  • 日経ナショナルジオグラフィック社
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感想・レビュー・書評

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  • インドから来たイスラム教徒がユダヤ教徒と方を並べて祈る。エルサレムのシオンの丘にあるダビデの墓は、イスラエルでも数少ない、これら2つの宗教の信者がともに礼拝する場所。

  • シリーズ 90億人の食 「食べる」は喜びの源

    私たち人間は、生きるためだけに食べるのではない。人は食事を共にすることで、友をつくり、愛を育み、心と暮らしを豊かにする。

    文=ビクトリア・ポープ/写真=キャロリン・ドレイク

     食事を共にすることは、いつの時代も人の暮らしになくてはならない習慣だった。
     たとえば、イスラエルのケセム洞窟には、知られている限り最も古い30万年前の炉があり、調理の跡が残されている。太古の人々が炉端に集まって食事をする光景が、目に浮かぶようだ。火山の噴火で埋もれたイタリアの古代都市ポンペイの遺跡からは、分けやすいように切れ目を入れた丸いパンが見つかっている。

    「パンを分け合う」という言い回しは聖書の時代からあり、食事を共にすることで親愛の情が生まれ、怒りが消え、笑いがはじけることを表している。食べ物の思い出は愛情と結びつき、生涯にわたって心の支えとなる。食べ物はときに、死者と生者を結びつける役割も果たす。ごちそうを墓に供える風習は、残された者が死者を忘れず、死者と共に生きていることを伝えるためのものだ。

     厳しい環境に置かれたときでさえ、人は食べる喜びを共にすることで活力を得る。
     1902年、英国の南極探検隊は、一年で夜が最も長くなる日に極地で饗宴を催した。この日のために、45頭の羊をはじめ大量の食料を船に積み込んでおいたのだ。準備を終えてごちそうを囲んだ一行は、ひとときとはいえ、寒さや暗さ、孤立感を忘れることができたという。
     この日のことを隊長のロバート・ファルコン・スコットは、次のように記している。「素晴らしい晩餐を囲むことで、南極地方にいても生きる喜びを実感できた」

    ※この続きは、ナショナル ジオグラフィック2014年12月号でどうぞ。
    編集者から

     今回の特集を編集しているとき、ふと頭に浮かんだのが、アメリカの作家トルーマン・カポーティの短編「クリスマスの思い出」です。村上春樹さんによる翻訳があるので、ご存じの方もいるかもしれません。バディという7歳の少年が仲の良い親戚の老女と過ごした、最後のクリスマスを描いた作品です。二人は毎年この時期になるとフルーツケーキを何十個も焼いて、友人や知人、そして見知らぬ人に配ります。食べ物を通して人との距離を縮めていくストーリーが、特集と共通しているように感じました。
     この短編でいちばん印象に残っているのは、二人が草原に寝転んで、空に舞う凧を見ながら温州みかん(英語でsatsuma)を食べる場面です。凧とみかん。物語の舞台はアメリカですが、日本の正月を思い起こさせる組み合わせに、私と作家との距離もぐっと縮まったことを思い出します。(編集T.F)

    アフリカ南部の海 保護と漁のはざまで

    世界有数の豊かな海を誇るアフリカ南部。水産資源が枯渇に向かうなか、環境保護派と地元漁師の思いが対立している。両者が共存する道はあるのか。

    文=ケネディ・ウォーン/写真=トマス・P・ペシャック

     魚を食べるのも釣るのも大好きな南アフリカの人々にとって、漁獲量の減少や種の消滅は深刻な問題だ。だが危機に直面しているのは魚だけではない。漁で生計を立てる地元漁師の半数が、生活の基盤を脅かされ、食料不足に陥っているといわれている。
    漁業権の割り当てに殺到した南アフリカの人々

     1994年、南アフリカは民主化を果たし、ネルソン・マンデラを大統領に選出。政権を握った与党のアフリカ民族会議(ANC)は、社会の不平等を是正し、貧困層の生活を向上させる鍵として、漁業に着目した。数千人にのぼる“歴史的に不利な立場に置かれてきた人々”、つまり黒人や有色人種(主にヨーロッパ人とアフリカ人の混血)の人々が漁業権を取得した。2004年までには、商業的な漁獲割り当ての60%以上を彼らが獲得。10年前の1%未満から大幅に比率を高めた。

     だがラインフィッシュ(釣り糸を使って捕る魚)の枯渇が深刻化するなか、政府は過ちを犯した。「用意した料理が足りなくなるほど大勢の客を立食パーティーに招いた」うえ、ある漁業者グループを丸ごと「招待者リスト」から外してしまったのだ。新しい漁業政策が適用されたのは、商業、レジャー、自家消費が目的の漁業者で、それ以外の小規模な漁業者は含まれていなかった。

     割り当て制度からの排除は、彼らにアパルトヘイト時代の苦い記憶をよみがえらせた。疎外感の原因はもう一つある。本来なら彼らのためになるはずの海洋保護区(MPA)の存在だ。
    南アフリカ周辺の海では、カツオドリが勢いよく海中に飛び込み、空腹のサメが集団を作って、イワシの大群を襲う。

     生き物をはぐくむ海洋保護区は、海洋生物の保護と漁業管理の両面から不可欠なものと考えられている。海洋国家の大半が、2020年までに地球の海の10%を保護することを目標に掲げた国連条約に署名している。
     だが多くの小規模な漁業者にとって、海洋保護区は“不公平”という傷口に塩をすり込むような存在となる。

    「政府は海をわかっていないやつらに割り当てを与えてしまったんだ。おかげでこっちは密漁するしかない。俺たちが違法行為をする羽目になったのは、割り当て制度のせいさ」
     過去に4回逮捕されている漁師は言った。
    「許可証なんかなくても、死ぬまで漁はやめないよ」

    ※この続きは、ナショナル ジオグラフィック2014年12月号でどうぞ。
    編集者から

     冒頭に登場するのは、袋いっぱいのアワビを背負って浜辺を立ち去る男たち。彼らが通う“密漁ハイウェー”と呼ばれる道から、毎年数百トンにのぼるアワビが運び出され、香港をはじめとするアジア各地に向かいます。また、キャリア17年目のベテラン漁師は、日々の暮らしをまかなうため、4回逮捕されてもなおイセエビの密漁を続けています。南アフリカ産のアワビとイセエビ。いずれも流通している高級食材ですが(特にイセエビ)、南アフリカの「地元漁師の半数が食料不足に陥っている」と知った後では、とても食べたいとは思えなくなりました。(編集M.N)

    人類の旅路 「約束の地」レバントを歩く

    人類の拡散ルートをたどる旅の第3回は、人々の生活様式に大変革をもたらした肥沃な三日月地帯へ。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地をめぐる。

    文=ポール・サロペック/写真=ジョン・スタンマイヤー

     人類の拡散ルートを徒歩でたどるプロジェクト「アウト・オブ・エデン・ウォーク」。アフリカの大地溝帯を出発した私は、続いてアラビア半島を北上してきた。今回歩くのは、エルサレムとヨルダン川西岸に至る、ヨルダン渓谷。古来、征服と布教の野望が幾度となく刻まれた道だ。
    悪臭漂う下水をたどる“巡礼の旅”

     雲一つない早朝、私たちは地中海東岸のレバント地方にいた。東エルサレムから流れ出た、未処理の下水に沿って歩く。毎日約4万5000立方メートルの汚水が、36キロを流れた末に死海へと注ぐ。悪臭漂う下水をたどって歩くのも、いわば巡礼の旅だ。旅の道連れ、イスラエルの考古学者ゴレンはそう考えている。

    「町が築かれて以来、エルサレムで起きた戦いの数は700に及びます。それでも比較的長く戦争が途絶えた時期もあり、その間、人々は平和に共存していたのです」。エルサレム旧市街の雑踏を歩きながら、ゴレンはそう語った。

     私たちが下水に沿って歩くのには、理由があった。ゴレンはこの流れを浄化し、約5000年前にエルサレムの町が築かれた由緒ある谷に、全長数キロの、環境に配慮した遊歩道を造りたいと考えているのだ。すでにドイツが水処理施設の建設に協力を約束している。

     遊歩道はエルサレム旧市街を起点に、聖書の舞台となった砂漠を越えていく。下水はイスラエルとヨルダン川西岸地区を隔てる分離壁をまたいで流れているため、遊歩道が実現すれば、中東の和平にも貢献できるかもしれない。ゴレンは語る。「遊歩道は古代の文化や宗教ゆかりの地をめぐる巡礼路であると同時に、パレスチナ人とイスラエル人を結ぶ懸け橋となるのです」

     私たちは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれの聖地である嘆きの壁と聖墳墓教会、岩のドームのある旧市街から旅を始めた。そして炎天下のパレスチナ人居住地を汗だくになって歩き、下水に沿って荒涼とした丘陵地を抜けた。下水は6世紀に造られた修道院の周囲をめぐり、軍の射撃演習場を流れていった。2日後、私たちはイスラエルとヨルダンの国境に広がる塩湖、死海に到着した。

    「一神教はこの地で、生まれるべくして生まれました」
     死海を見下ろす崖の上で、ゴレンは私にこう語った。
    「農耕を始めた人類はもはや、一つひとつの泉に宿る自然の精霊たちに祈らなくてもよくなったのです」

     この数週間後には、パレスチナとイスラエルの間で新たに戦闘が始まってロケット弾が飛び交い、イスラエルはガザ地区へ侵攻した。「これで計画は2年逆戻りです」とため息をつきながらも、「でも、待ち続けますよ」とゴレンは言った。きっと太古の人類もこんな調子で、約2500世代にわたって失望や後戻りを繰り返し、災難や信仰の危機に見舞われながらも、遅々としたペースで新たな土地へと進出していったに違いない。

    ※この続きは、ナショナル ジオグラフィック2014年12月号でどうぞ。
    編集者から

     人類の拡散ルートを、7年がかりで徒歩でたどろうという「人類の旅路」シリーズ。アフリカからの旅立ち、アラビア半島の北上に続いて、3回目の今回は「肥沃な三日月地帯」へと足を踏み入れます。
     聖地をめぐる宗教間の対立、度重なる戦火と、重苦しいニュースを見聞きすることの多い地域ですが、遺跡にたたずみ、貧しいベドウィンの家族と一夜をともに過ごす筆者ポール・サロペックの旅は、これまで知らなかったこの土地の風のにおいや、人々の素顔を伝えてくれます。深刻な状況に変わりはありませんが、ニュースの見出しの向こう側に、これからはちょっと違う景色も見えてきそうです。(編集H.I)

    未来の形を変える3Dプリント

    プリントの概念が今、大きく変わろうとしている。3D(三次元)プリンター周辺の技術革新が急加速し、ものづくりの門戸が広く開かれつつある。

    文=ロフ・スミス/写真=ロバート・クラーク

     このごろ話題の3Dプリントは、実は30年ほど前からある技術だ。最近の急速な進歩で注目が集まり、今後の期待も大いにふくらんでいる。

     3Dプリンターの原理は普通の二次元プリンターとおおよそ同じだが、インクの代わりに使われるのは、プラスチックやロウ、樹脂、木材、コンクリート、金、チタン、炭素繊維、チョコレート、生体組織など。これらを液体、ペースト、粉末などの形状にして1層ずつ重ねていく。自然に固まる素材もあれば、熱や光によって固まる素材もある。

     素材を少量ずつ必要な場所に配置していく3Dプリンターは、複雑な形のものも作れるし、強度を落とさず、重量を大幅に減らせるケースも多い。また、入り組んだ構造のものを一体成形することも可能だ。たとえば、米国のゼネラル・エレクトリック(GE)社が3Dプリンターで製造するチタン製燃料ノズルの一部は、従来の方法だと、少なくとも20点の部品を組み立てる必要がある。
    3Dプリンターで作製した古人類ホモ・ハビリスの頭骨レプリカ。完成まで15時間を要した。
    3Dプリンターで家づくり、生体組織や拳銃も?

     だが、3Dプリントに関心を寄せているのは、こうした大企業ばかりではない。

    「3Dプリントが将来大きな役割を担うことは、誰もが認めています」と、オランダの建築会社DUSの共同経営者、ヘドウィグ・ハインズマンは語る。同社は現在、アムステルダムを流れる運河の岸辺に、1軒の家を“プリント”している。高さ6メートルのプリンター「カマー・メーカー」を使い、素材や設計、コンセプトを検証しながら、壁や軒、部屋などを造っていく3年がかりのプロジェクトだ。

     米国ハーバード大学の研究チームは3Dプリンターを使い、血管が縦横に走る生体組織の作製に成功した。いずれは患者自身の細胞でプリントした臓器の移植が実現するかもしれない。

     2013年5月、米国の政治活動家コーディー・ウィルソンは、3Dプリンターで拳銃を作製し、世界で初めて試射に成功したと発表してメディアの注目を集めた。「リベレーター(解放者)」と名づけられたその38口径の単発銃はプラスチック製で、素材のコストは60ドル(約6000円)ほどしかかかっていない。

     だが、信頼性の高い銃は簡単にはできないし、安く作れるわけでもない。米国カリフォルニア州のソリッド・コンセプツ社が、3Dプリンターで45口径の自動拳銃「M1911」を100丁限定で製造したときは、プリンターなどの設備に50万ドル(約5000万円)以上の費用がかかった。

     3Dプリントの拳銃が安くできないことに落胆する人は、そう多くはないだろう。だが「何でも作れる万能マシン」と期待した3Dプリンターから、できそこないの完成品が出てきたら、がっかりする人は多そうだ。英国ロンドンにある3Dプリント会社のデザイン部長、ジョナサン・ローリーは言う。
    「3Dプリンターが生み出す製品の素晴らしい話を見聞きしていると、つい自宅でも同じことができると思い込んでしまいます。でも現実は違います」

    ※この続きは、ナショナル ジオグラフィック2014年12月号でどうぞ。
    編集者から

     今回の特集で3Dプリンターを調べたところ、自分が思っていた以上に、すでに普及していたのにはビックリ。タイトルに「未来の」とつけちゃいましたが、「明日の」としておいたほうがよかったかしらと、やや反省。(編集H.O)

    パタゴニアのカウボーイ

    南米チリの最南端に生きる伝統のカウボーイ「バグアレーロ」。野生化した荒くれ牛を捕獲する辺境の旅は、想像を絶する危険と苦難の連続だった。

    文=アレクサンドラ・フラー/写真=トマス・ムニタ

     チリ領パタゴニアのアントニオ・バラス半島には辺境の原野が広がっている。入り組んだ湾に突き出たこの土地には道もなければ集落もなく、行き着くのは至難の業だ。

     この土地で牛や馬に囲まれて育ったセバスチャン・ガルシア・イグレシアスは26歳。職業は農業技師だが、心は根っからのカウボーイだという。
     先祖は20世紀初頭にこの地へ移住してきた。一家は1960年代には土地を数カ所手に入れ、大規模な農園を営むようになっていた。その一つ「アナ・マリア」は船でしか行けない場所で、もし陸路なら、馬の腹まで沈む沼地を通って10時間もかかる。一時はここに開拓拠点を設けて牛を飼ったが、あまりの不便さに牧童も居つかず、後に撤退した。
    辺境の原野で荒くれ牛を捕まえるカウボーイ

     放牧された牛のなかには、群れからはぐれ、野生化するものがいる。繁殖を繰り返すうちに大型化し、猛々しくなった牛はバグアーレと呼ばれているが、この荒くれ牛を原野から駆り集めるのが伝統のカウボーイ「バグアレーロ」だ。今ではなり手は少なく、「やりがいはあるが、きつい仕事だ」とイグレシアスは言う。

     一家はアナ・マリアの土地を売却することになった。買い手の牧場主が最後に一度、牛の駆り集めを許してくれたので、イグレシアスは近くの町で腕の立つ男たちを集め始めた。手伝いが必要なこともあったが、実はこれには別の狙いがあった。彼はいつか、バグアーレの駆り集めを観光イベントにしようと考えていたのだ。そうすれば伝統が守られる。今回の同行取材が決まったのも、こうした背景があったからだ。

     今回の遠征は、バグアレーロ4人、馬20頭、犬30匹に取材班という大所帯。牛を集めて市場に出すといっても、普通の牧畜の仕事とは大違いだ。そもそも相手の牛は、何世代も前から人間はおろか、ロープさえ目にしたことがない。そればかりか、一歩間違えば命がないような危険な道を、少なくとも2日間進まないと現地にもたどり着けないのだ。

    ※この続きは、ナショナル ジオグラフィック2014年12月号でどうぞ。
    編集者から

     カウボーイ=米国西部とイメージされる方も多いと思いますが、牛を駆り集める仕事という点は同じでも、土地によってやり方はさまざま。ちなみに私が以前に滞在したことのあるオーストラリアの農場では、徐々に水飲み場を閉鎖していくことで、牛たちが必然的に水がある農家の家の前に集まってくるという方法を使っていました。乾燥した砂漠地帯ならではの知恵ですね。さて、パタゴニアでは? (編集H.O)

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