時計じかけのオレンジ [Blu-ray]

監督 : スタンリー・キューブリック 
出演 : マルコム・マクドウェル  パトリック・マギー 
  • ワーナー・ホーム・ビデオ
3.89
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感想 : 35
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988135806475

感想・レビュー・書評

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  • 傑作「2001年宇宙の旅」から3年後の1971年に撮影されたキューブリック作品。実験的な性格を持った映画であることから話題になった。封切り当時も含め、「ぴあ」という雑誌ではよく取り上げられていたことが懐かしい。とはいえ、犯罪を誘発するとの訴えから1973年から1999年まで上映禁止とされ、見たくても見れないという問題作でした。主演のマルコム・マクダウェルの目が閉じられないシーンは本当に怖い。

    『時計じかけのオレンジ』(A Clockwork Orange)は、アンソニー・バージェスが1962年に発表した同名の小説を原作とする1971年公開の映画。スタンリー・キューブリック監督。
    暴力やセックスなど、欲望の限りを尽くす荒廃した自由放任と、管理された全体主義社会とのジレンマを描いた、サタイア(風刺)的作品。近未来を舞台設定にしているが、あくまでも普遍的な社会をモチーフにしており、映像化作品ではキューブリックの大胆さと繊細さによって、人間の持つ非人間性を悪の舞踊劇ともいうべき作品に昇華させている。皮肉の利いた鮮烈なサタイア(風刺)だが、一部には暴力を誘発する作品であるという見解もある。原作同様、映画も主人公である不良少年の一人称の物語であり、ロシア語と英語のスラングで組み合わされた「ナッドサット言葉」が使用されている。
    この映画は、史上初めてドルビー研究所が開発したドルビーノイズリダクションシステムを使用し、ステレオ録音された映画である。ただし、劇場公開用のフィルムはモノラルである。
    主演のマルコム・マクダウェルは公開から37年後にこの作品について「アレックスを演じた後の10年間、あの役を嫌っていた。作品を観ようとも思わなかったし、人前で語ることさえも嫌だった。それは、人にいつもあの映画の話をされ、与えられた新しい映画でわたしが演じるキャラクターは、すべてアレックスをイメージして作られたものばかりだったからね。だが、今となっては自分もそれを受け入れて感謝しなければならないと思えるようになった。あの作品は誰がどう観たって傑作だからね。」と語っている。
    アレックスが二度目に作家の家を訪れたときに登場するマッチョな男は、『スター・ウォーズシリーズ』でダース・ベイダーの中身を演じたデヴィッド・プラウズである。
    本作は、松本俊夫が監督した映画『薔薇の葬列』に影響されているとも言われている。しかし、キューブリック自身や彼の関係者が『薔薇の葬列』について言及したことは一度もない。
    評価・影響:
    暴力的表現が多く、論争を呼ぶ内容であったにも関わらず『時計じかけのオレンジ』はヒットし、製作費220万ドルに対しアメリカでの興行収入は2600万ドルにも上った。『俺たちに明日はない』『ワイルドバンチ』『ダーティハリー』『わらの犬』とともに映画における暴力的表現の規制緩和に一定の役割を果たした作品である。アカデミー賞やゴールデングローブ賞などにノミネートされ、ヒューゴー賞をはじめ様々な賞を受賞している。承認されたレビュアーによる映画評価サイト、ロッテン・トマトにおいて2014年の時点で89%のレビュアーが高評価を下している。アメリカ映画ベスト100では47位、アメリカ映画ベスト100(10周年エディション)においても70位を獲得している。同じくアメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)が公表したスリルを感じる映画ベスト100では47位、10ジャンルのトップ10ではSF部門で4位を獲得している。また主人公のアレックスはアメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100で悪役として12位となっている。タイムは「 Top 10 Ridiculously Violent Movies 」の9位にこの作品を挙げている。2008年に投票が行われたエンパイアの「 The 500 Greatest Movies of All Time 」においては37位となっている。
    公開当初、アメリカの鑑賞制限は17歳未満の鑑賞を禁止する、X指定(1971年当時、後のNC-17)であった。キューブリックは自発的に30秒ほどの性描写が強いシーンを差し替え、1973年にR指定で再公開した。1980年代初頭に発売されたVHSでは、このR指定バージョンが存在する。DVDについては全てがX指定されたオリジナル版となっている。ただしレーティング自体は制度の変更によりR指定となっている。
    露骨な性描写、暴力表現によりアメリカ合衆国カトリック司教協議会の映画審査部門はレーティングをC(Condemned、有害)として鑑賞を禁じている。後にC指定そのものが無くなったが、やはり許容範囲を超えた性・暴力表現とされ、O(Morally Offensive、反道徳的)と指定されている。
    イギリスでも1972年1月に米国と同じオリジナルバージョンで公開された。1972年3月、同級生を殺害した14歳の少年の裁判中、検察はこの事件と『時計じかけのオレンジ』について言及した。バッキンガムシャー、ブレッチリーに住む16歳の少年が浮浪者の老人を殺害した事件でも関係性が取りざたされた。勅撰弁護士は彼が友人からこの映画のことを聞かされた後で犯行に及んだ事実を示し、「過激な作品、特に『時計じかけのオレンジ』は疑いようもなく、この事件に関係がある」と弁護した。キューブリックのもとには多数の脅迫状が寄せられ、自身と家族の安全を危惧したキューブリックの要請により1973年全ての上映が禁止された。英国での再上映が始まったのは、ビデオが発売されキューブリックが他界した後の1999年になってからである。
    また、主演のマクダウェルは「映画を真似た犯行があったからと言って、それはこの映画に出演した私が悪いのでしょうか? そんなこと、私は知ったことではありません、私の責任ではありません。」と講演で語っている。
    この映画が公開された1972年、アメリカ人のアーサー・ブレマーという男は5月15日に民主党から大統領選挙出馬を狙っていたアラバマ州知事ジョージ・ウォレスの暗殺を謀り、逮捕された。ブレマーは自らの日記に「『時計じかけのオレンジ』を見てずっとウォレスを殺すことを考えていた」と書いていた。ブレマーの日記は後に出版され、日記を読んだ一人にポール・シュレイダーがいた。シュレイダーはブレマーの日記をモチーフに映画『タクシードライバー』(マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演)の脚本を書いた。
    デヴィッド・ボウイが1970年代初期に演じていた「ジギー・スターダスト」はこの映画の影響を受け、そこには『時計じかけのオレンジ』を気に入っているボウイからの皮肉が込められている。ボウイはウォルター・カーロスの第九を1972-1973年のジギー・スターダスト・ツアーと1990年のサウンド+ヴィジョン・ツアーで使用した。またボウイの楽曲「サフラジェット・シティ」(Suffragette City)には「ドルーギー」(droogie)が引用されている。(ウィキペディア)

  • 映画としてはナンセンス。映像はハイセンス。最高にぶっ飛んでてもはや意味不明。「ん?あ、終わり?」と思って早送りしてしまった。センスいいなー。ただ主人公が変態で気持ち悪い。居たら絶対近寄りたくないし、悲鳴あげて鳥肌立って全力で走って逃げるかな。大嫌い。これって芸術作品なのですか。私には理解出来ません。古い映画とは思えないほど斬新。だけど受け入れられないな。過激。

  • 最初の暴力シーンで結構先に行けなくてもう30年で、クリスマスだから見ましたよと。ヘブン17、ジョージボーイ、雨に唄えば、ルドヴィコ療法。この女の人の裸の描き方ってずっと変わらないねえ。

  • 名作と言われているので気になりつつも、難解とか、分からないとかいう評価もあるため観たことがなかったのですが、今回CATVでやってたので観ることができました。事前にざっと概要を読んでたのでストーリー自体は理解できましたが、伝えたいことはなんだったのか?そこが難しいかなぁ?どう受け止めて良いのか?結局人の根本は変えられないということか?ただ、この作品がずっと残っていて、いまだに名作と言われているのはわかる気がしました。古さを全く感じないところが凄いです。破壊的な若者と、体制との戦い、のような。なかなか衝撃的な作品でした。

  • 最初は何をどう見たらよいのかわからなかった。しばらくすると主人公の言語感覚に慣れ始める。本当に凶暴なのは誰なのか、恐怖とは何なのか。一人一人の表情、色使い、カメラアングルなど、ハッと心を摘まれるような感覚は記憶に残りそう。

  • 映像が綺麗、美味しそう

  • 面白かった!主人公含めて登場人物が基本的に全員最低最悪の行いしかしないので、見ていて逆に清々しい。老人をリンチして家を襲っては女を強姦し、悪逆の限りを尽くすアンソニー。ついに殺人を犯してしまい刑務所にぶち込まれ、そこで暴力に対して嫌悪感を抱くように洗脳するルドヴィゴ療法の被験者となる。目を強制的に開いて映像を見せつけるシーンは他の作品でも似たようなものを見たことがあるが、これが元ネタだったのか!とちょっと驚いた。それはいいとして、我々は善良かつ良識的な一般市民です、という顔をした人達が、そうやって平然と誰より野蛮なこんな行いをする辺り、皮肉が効きすぎてて最高だった。「道徳的選択のないただの身体反射を洗脳してなんの意味がある」みたいなことを言っている人がいたが正しくその通りだと思う。そして実際出所したアンソニーはかつての仲間にリンチされ、かつて虐めた老人にやりかえされ、そしてかつて家を襲撃しその妻を強姦した作家にはこの上なく手酷い報復を加えられ…と散々な報いを受け、ついには自殺未遂をしてしまう。正直それ以前の悪行の限りを知ってるのでここの描写を見ている時は妙な爽快感があった。ルドヴィゴ療法の非人道性を追求された政治家はアンソニーの「治療」に乗り出し、最後に「完璧に治ったね!」とアンソニーが笑顔で祝福されるところで終わる…のだが、この完璧に治ったねというのが「以前の暴力性を取り戻したね」ということなのが最高にパンチが聞いてる。そもそもルドヴィゴ療法前の悪逆の限りを尽くしていた非行少年時代と、完治した時の暴力性を取り戻した時の方が、アンソニーはあからさまに活き活きしていて人間的なのである。ルドヴィゴ療法の影響下にあったアンソニーにはおよそ活力のようなものは見受けられずあまりにも痛々しい。暴力も衝動性もぬぐい去ることはできない人間性であり、それを異常だ病気だと言って抑圧したところで木偶の坊のようなただ存在しているだけの人間を生み出すだけだ。ただだからといって暴力や衝動性はやはり悪だ。決して暴力を賛美しているわけではない。作中でも言われている通り「誠意のない、道徳的選択の余地のない行動に意味はない」のであって、我々はそうやって自己の暴力性と向かい合っていかなければならない…のだと思う。このアンソニーという男に関しては多分無理だけども。生来からの暴力と衝動性が多分骨身に染みているというか、多分そういう性分なのだろうな、というか。暴力と性描写があるからと聖書の一部分を繰り返し読み込んだ辺りからもそれが伺える。
    そして色々ぐだぐだ書いたけど、この映画は多分そんなに小難しいことは描いていない。というよりこうやって「自分は正常だからこんな暴力に堕さないのだ」と上から目線で見ている人間を冷笑する映画だと思う。何せ作中で一番野蛮なのは暴力の化身のようなアンソニーではなく良識的かつ善良な一般市民なのだから。ルドヴィゴ療法という非人道的な洗脳すら「秩序のため」と言って許容し、その成果を見るためとして衆目の前でアンソニーを辱めそれを平然と見守り、政治的パフォーマンスのために今度は献身的にアンソニーの「更生」に付き合う「善良な人々」。これでもかと醜悪かつ野蛮に描かれている。映画全編に渡って徹底した冷徹な視点があり、作中の登場人物全てにそれが向けられていて、翻ってそれは映画の前の私たちにも突き刺さる。ような気がする。
    あと単純に話の筋には明らかに関係ない、でもかなり芸術的で惚れ惚れするカットが多く、それゆえ映画が物凄く長い。ぶっちゃけ話の筋云々よりこういう映像がただ撮りたかったんだろうな…という気にさえなってくる。真面目に考えると馬鹿を見るような、かと言って馬鹿にするとそれは自分に跳ね返ってくるような、とにかく不思議な映画だった。今なおカルト的な人気を誇っているのもよくわかる見ていてとても面白い映画でした。

  • ツイッターでこの映画に関する呟きを見かけて、いつか観ようと思っていた映画。
    見終えてから、一体どんな呟きで気になったんだろうと思うぐらい、いやーな感じの映画だった…。
    とはいえ古い作品でも色あせないセンスはあって、見なきゃ良かった!とは思わなかった。

    やりたい放題の悪党が、仲間割れによって刑務所行きに。
    良い子のフリをして、新しい更生プログラムを受けて自由の身に!と思ったが、そのプログラムの成果で暴力もエロも受け付けられなくなってしまう…という話。

    冒頭では仲間と好き放題のシーンから。
    言葉の意味が全く分からないんだけど、スラングだったようで…日本語訳ももう少し分かるようなスラングにならないものかなぁ。

    ホームレスの男性を殴りまくったり、豪邸を襲って夫の前で妻を強姦したりと胸糞。
    しかし刑務所から出てきてからは逆に彼らに殴られまくり、かつての仲間も警官になっており復讐されたり。
    実験の成果で「良い子」へとなったからには、ちょっと可哀そうにも思えてくる流れ。

    しかし自殺しようとして失敗、大けがを負ってから最後に「治った」とニヤリとして終わるのが末恐ろしい。

  • 評価が両極端になる作品であるのはわかった。
    見て、無駄だとは思わない。
    けど、再度観たいかというと、もう観ることはないだろう。

    私の感性がないからなのか、何を感じ取れば良かったのかが、全く分からなかった。
    ただ、なんとなく、アルジャーノンに花束を、を思い出した。内容は全く違うんだけどね。

  • 元気がないと堪能できない。もっと若い時に観れば良かったな。

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