Pina / ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち コレクターズ・エディション [DVD]
- ポニーキャニオン (2012年8月23日発売)
- Amazon.co.jp ・映画
- / ISBN・EAN: 4988013167667
感想・レビュー・書評
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ピナ・パウシェのことは全く知らず、ダンスもわからないのだが、ヴィム・ヴェンダース監督ということと、このなかの「リリー・オブ・ザ・バリー」(三宅純)という曲がフィギュアスケートで使われるので観てみた。
私が外国映画を意識したのは、『スターウォーズ』で「アメリカって楽しむだけの映画を大々的に作ってるのか!」と思ったことと、『ベルリン天使の詩』で「ヨーロッパってストーリーのない”観る”映画を大々的に作っているのか!」ということだった。
役所広司がヴィム・ヴェンダース監督映画でカンヌ主演男優賞を撮ったので、ヴィム・ヴェンダース監督を観よう実施中。
…ですが、すみません、私には現代アート、ダンスがわかりません_| ̄|○
舞踊家ピナ・パウシェの死後に、ピナのヴッパタール舞踊団の踊り、団員が語る踊るということやピナのこと。
踊りを「身体言語」として、観客としては「考えるな、感じろ」なんでしょうが、すみません、ちょっと怖いというか苦手…
舞踊団による舞踊は、舞台だけでなく、街の中や山の上などで行われる。舞台でも土や水を巻きまくって踊る、身体のすべてで語る。
すみません、現代アートっぽいのはやっぱり怖い…
他のレビューが素晴らしい物が多いのにこんなレビュー並べちゃってすみません_| ̄|○
三宅純"Lilles of the valley"
映画
https://www.youtube.com/watch?v=dWIs89Pub0w&ab_channel=JahanChannel
フィギュアスケート 男子ジェレミー・アボット選手
https://www.youtube.com/watch?v=uvIVKrsSpzY&ab_channel=uzdfs詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ピナの映画、2本目。
最初はダンスの数々が、よく分からない。普段とは違う身体の動きを目の当たりにして、ちょっと引いちゃってる感じかもしれない。
でも、段々と目を離せなくなってくる。なぜか、脈絡ないように見えるダンスを、心が読み取ってくれるような、そんな感じになってくる。ピナと関係のあった人たち、一人一人のダンスはどれもずっと観ていたくなるようで。
見終わったあと、いつもの道を歩くと、風でふくらむお店ののぼりや、秋の虫の音が妙に気になってしまう。人間だけじゃなく、風や、光や、虫もダンスを踊りながら、何かのメッセージを交換し合っているんだ、と思う。私も、複雑な動きではないにしろ、食べたり眠ったり、自分のメッセージを放っているんだと思う。顔が見える相手に対して、何かを伝えようとしているのではなく、自分が感じた今の世界を、自分のことばで、ただ表したい、という風に。 -
◆きっかけ
池澤夏樹『終わりと始まり』 -
2011年公開
監督 : ヴィム・ヴェンダース
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伝説的なコレオグラファーの作品と、彼女の没後、関わったダンサーたちに行ったインタビューの記録映画。
「圧倒的な才能に身をゆだねること」がどれだけ贅沢で得難いことかを、半ば宗教のような陶酔し切った様子で振り返るダンサーたちの表情と言葉が最も印象的。バウシュがどれだけすごい人かは、作品を見ていると理屈を超えたところで感じることだけど、彼女の表現の一部であれたことを語る人々の顔つきが、ちょっと怖いくらい、印象的でした。才能とはかくも残酷なものなり。
生で見たかったですけどねえ、新作をとってだしのときに。それは今や叶わぬ故、さらに神格化されるのやもしれませんが。 -
舞踏団のメンバが話しているシーンはほとんどなく、躍っていています。ひとりひとりをクローズアップするときも声をあとからかぶせているので、口の動きがなく、黙って画面を見つめています。怯えたりしているように見えるダンサーはピナ・バウシュから課題を与えられて苦悩している人のようにも見えます。月になってといわれて…
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公式サイト:http://pina.gaga.ne.jp/
舞踊と演劇を融合させた舞台芸術を創出し「タンツテアター」と自ら命名したドイツの舞踊家・振付家ピナ・バウシュ(1940/7/27~2009/6/30)。彼女の作品では、ダンサーたちは踊るだけでなく、時には台詞を語り、歌いもする。激しいアクションから突然泣き叫び、笑い転げることさえある。それらの作品のシーンを観客として客席に、またダンサーたちと共に舞台や町中に出て演じているような身体の感覚を覚えさせられる。3D映像でなければ、観ていて自分の身体が疾走し、浮遊しているような錯覚に陥っただろうか。「踊りなさい。自らを見失わないように」と教えたピナの魂が、ダンサーたちの踊りをとおして観るものを鼓舞する。
ベンダース監督は、随分前からピナと共同で映画をつくる企画をすすめていたが、タンツテアター作品を映画化する手法に悩んでいたという。そして2007年に3Dでの映画化に見通しをつけたのだが、ピナの急逝。一時は映画化を諦めかけたが、作品の完成を待ち望む声がベンダース監督の背中を押した。
クラシックバレーの研さんを積んでいるヴッパタール舞踊団のダンサーたちが、コンテンポラリーダンスの舞台セットで、街なかで、また原野へ出て行き、ピナが選んでいた「春の祭典」(1975年)、「カフェ・ミューラー」('78年)、「コンタクトホーフ」('78、2000、'08年)、「フルムーン」('06年)4作品の様々なシーンを脈絡なく踊り、ピナの魂を演じていく。
近年は、賛美歌とタンバリンダンスで聖書の神を賛美するムーブメントが浸透しつつあるキリスト教界。喜び踊りなさいを与えられている身体で表現し、神のものへと証ししていく。映画では、各国から集まっているヴッパタール舞踊団のダンサーが、ピナから受けたことについて語っている。ダンサーの一人は「愛とは」と投げかけられ、それを表現する。作品のシーンとは別に、ダンサー各自の個性的な踊りも演じられていて、その一つひとつがピナの独自な世界にレスポンスしている。
踊りを愛する人たちを愛したピナ。この映画から受ける感動と刺激は、身体を使って踊ることの喜びと熱情を揺さぶる。それは、観るものにも心の奥底に、ある躍動を呼び起させる。
昨年の第24回東京国際映画祭で特別招待作品として上映され、舞台に立ったベンダース監督は、「これから皆さんを、東京からドイツの小さな町(ヴッパタール)……ピナが40年来活動した町へと連れて行きます」と挨拶した。その招きに素直に応じてみたい。 -
コンテンポラリーダンスというジャンルは難解で定義付けしがたい(する必要もないのかもしれない)からこそ面白い。言葉もなく、身体一つで魅了させられる、まさに「身体言語」という究極の表現世界。それを表現し続けたピナ・バウシュのドキュメンタリー。観ていて全く飽きなかった。映画だけれど映画じゃない、その場で舞台を観ているかのような感覚は、ヴィム・ヴェンダースの素晴らしすぎるカメラワークゆえでしょう。心底惚れ惚れしました。密室で、街中で、モノレールの中で、美術館の踊り場のような場所で、とにかくあらゆるところでダンサーが踊るシーンがあるのですが、ピナのこだわった「自然を招き入れて踊る」を体現する様をみて、ダンスって本能表現なんだ!と感銘。音楽も非常に好ましく、サントラを聴いて余韻に浸りたい。五感をフルに使って味わえる、素晴らしい104分。言葉では表せない高揚感が凝縮された作品でした。ダンスってやっぱり面白い。しなやかに伸びやかに動く筋肉が魅せる造形美、人が束になって初めて意味をもつ無言で雄弁な動作、演者も観客も互いに想像しあえて、全てが答えといえる正しさの許容。部活で創作ダンスをやっていたこともあり、久々に表現する楽しみを身体で味わいたくなりました。映像として、本当に面白かったです。
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言葉で表現するのは難しいことがある。
これも言葉で表現するのは難しい。
身体全体から発せられるパワー。
美しい線と動き。
ただただ、感じる。