僕の孤独癖について

著者 :
  • FsGrg (2012年9月14日発売)
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  • 『さびしい人格
    さびしい人格が私の友を呼ぶ、わが見知らぬ友よ、早くきたれ、
    ここの古い椅子に腰をかけて、二人でしづかに話してゐよう、
    なにも悲しむことなく、きみと私でしづかな幸福な日をくらさう、
    遠い公園のしづかな噴水の音をきいて居よう、
    しづかに、しづかに、二人でかうして抱き合つて居よう、
    母にも父にも兄弟にも遠くはなれて、
    母にも父にも知らない孤兒の心をむすび合はさう、
    ありとあらゆる人間の生活の中で、
    おまへと私だけの生活について話し合はう、
    まづしいたよりない、二人だけの秘密の生活について、
    ああ、その言葉は秋の落葉のやうに、そうそうとして膝の上にも散つてくるではないか』
    萩原朔太郎の詩に、のめり込んだことがある。それは、この詩だった。
    そして、『僕の孤独癖について』を読みながら、この詩をおもいだした。
    萩原朔太郎は、「僕は比較的良家の生まれ、子供の頃に甘やかされて育ったために、他人との社交について、自己を抑制することができない」と言っている。そのため、子供の頃から、学校でいじめられていた。そのために、孤独であろうとした。みんなと遊ぶことができなかった。非社交的で、強迫観念が強かった。誰も見えない運動場の隅に、息を殺して隠れていた。幼年時代は全ての世界が恐ろしく、魑魅妖怪に満たされていた。
     一番困ったことは、意識の反対の衝動に駆られるのだった。「私の愛する親友」と言おうとして、「この馬鹿野郎」と言ってしまうのだ。このような衝動に常に駆られていた。
     ドストエフスキーの『白痴』に同じような白痴の貴族がいたのでびっくりしたという。
    自分の持つ孤独癖が、自分のものだけでないことに、安心したのだ。
     ふーむ。子供のまま、大人になったんだ。

  • 孤独の冷静な分析と正当化と憂いと、そしてやっぱり人との交際は楽しいという現代の自分とまったく同じ考えを筆者と共有した。筆者はカメラやギターなどかなり多趣味だったそう。

  • この孤独癖については、うなずく人が多そうだなあ。

  • タイトルに惹かれて読んだが、大いに期待はずれ...。
    「多く一般の人々は、僕の変人である性格を理解してくれないので(中略)孤独を強いられている」など、視点の確かさはあるものの、詩情なくただぼやいているだけだ。これはきっと量をこなすためにやっつけで書いた、つまらない雑誌の仕事だったんだろうなと想像してしまうものだった。詩情溢れる素敵な随筆もあるのに、残念。

    しかし一体、何が“違う”んだろう、と他の作品を矯めつ眇めつしていたら、気がついた。他の作品では、『孤独』と言うとき、それは「ふるへる孤独」なのである。(私の言葉で言えば)真っ暗闇で何も聞こえなくて、そんな中に一筋の光がごくたまにかすめる、はかない、孤独、それが朔太郎の『孤独』だったはずだ。しかし、この随筆では若い頃の辛い病的感覚や強迫観念のために交際が難しかったのだとの報告になっていて、孤独が「どういふ工合」だったのかが全く伝わってこない。強迫観念の恐ろしさと孤独の恐ろしさとは別物のはずである。
    この随筆で取り上げられている“孤独”とは、現代の“おひとりさま”レベルである。詩作の天分と心身の健康とを引き換えにして「 自己の孤独癖を治療し得た」から、もはや「ふるへる、わたしの孤独のたましひ」を忘れてしまったのだろうか。

    人間、年をとると、たいがいはまるくなる。
    今日の私は昨日の私とは違う人間である。
    そんなことを考えさせられた。

    精神疾患についてはさすがにうまく書かれているが、私は『孤独』を読みたかったので、☆ひとつ。

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著者プロフィール

萩原朔太郎
1886(明治19)年11月1日群馬県前橋市生まれ。父は開業医。旧制前橋中学時代より短歌で活躍。旧制第五、第六高等学校いずれも中退。上京し慶応大学予科に入学するが半年で退学。マンドリン、ギターを愛好し音楽家を志ざす。挫折し前橋に帰郷した1913年、北原白秋主宰の詩歌誌『朱欒』で詩壇デビュー。同誌の新進詩人・室生犀星と生涯にわたる親交を結ぶ。山村暮鳥を加え人魚詩社を結成、機関誌『卓上噴水』を発行。1916年、犀星と詩誌『感情』を創刊。1917年第1詩集『月に吠える』を刊行し、詩壇における地位を確立する。1925年上京し、東京に定住。詩作のみならずアフォリズム、詩論、古典詩歌論、エッセイ、文明評論、小説など多方面で活躍し、詩人批評家の先駆者となった。1942年5月11日没。

「2022年 『詩人はすべて宿命である』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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