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感想・レビュー・書評
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1. 好きなものを飽きるほど飲んでみたい、そして飽きたい。そんな願望をもったことはないだろうかと自分に問うてみた。
2. お酒は20代でこそ浴びるように友と飲んだが、今では量よりも質になり味を嗜む程度になった。しかし飽きていない。
3. 握り寿司は飽きるほど食べてみたいと思っていた一つだ。20代では高かったのでそんなに機会がなかったが、今では良質の食べ放題が楽しめる。握り寿司も不思議と飽きず、食べ終わってもまた食べにきたいと思う。
4. こう考えてみると、時代が違うのではないかと感じた。昔は階級制度がありなかなか口に入らない馳走があったに違いない。今はお店に行けば何でも食べることができよう。
5. 時代が便利になった一方で、好きなものを飽きるほど飲んで飽きてみたいという願望自体は、案外贅沢な願望なのかもしれないと思った。 -
平安時代の摂政・藤原基経に仕える侍(某小役人)は、四十過ぎの風采のあがらぬ男(背の低い、赤鼻で、目尻の垂れた、口髭のない)である故か、職場ハラスメントの餌食となり、周囲から蔑まされる毎日でした。その某侍の生き甲斐は「芋粥を飽きるほど飲んでみたい」という欲望だけでした。ある年の正月、基経主催の饗宴の席でのこと、某侍の夢を叶えてやろうという上役(藤原利仁)が、好き放題山芋が口に入る敦賀の里へと誘うのでした。某侍は「芋粥」への飽くなき欲求に負け都を後にします。さてさて、有り余る山芋を目の前にした某侍は・・・。
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これは分かりやすい。最後に著者自身の解説まである。今の時代だと一つの欲望が叶ったら、それよりも高い次の欲望が生まれる。それを繰り返して、最後には失望を味わう。そんな世の中になっちゃったね。それにしても藤原氏の権力は狐にまで及んでいたとはスゴい。
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人はどんなに追い詰められていても小さな希望や夢を持っていれば生きていける。
その反面その夢を他人の手で簡単に叶えられてしまうと興ざめしてしまう。
そんな人間の複雑な感情を描いた短編。
夢を叶えようとしてくれた男は善意からなのか悪意があったのかを語り合いたい。 -
「鼻」と對を成す作品といはれるのは分かる、納得。
强引に芋粥を埀らし込み嘲笑ふ仕打ちはアンマリだけど、「シッカリせんかいっ!」と云ひたい。
莫迦にされるのに慣れてしまへば、それは樂なんでせうけれどもね。
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楽しみは取っておく間が楽しいのかもしれないと考えました
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夢は夢として残しておく方が幸せなのか
手に入れると色褪せてしまうのが世の常