- Amazon.co.jp ・電子書籍 (209ページ)
感想・レビュー・書評
-
「蜜蜂と遠雷(下)」の感想を書くにあたって、ふと思いついたのが、宮沢賢治の詩「春と修羅」のパロディで書けないか、ということだった。作中で新曲「春と修羅」を演奏したのだから相応しいだろうと思ったからだ。
もちろん、賢治の科学と感性に支えられた奇跡の語彙に敵うはずもないし、何よりも彼の志にたどり着くはずもない。お遊びであり、やってみると、恐ろしく恥ずかしいものが出来上がった。言いたいのはそのことではなくて、やってみてわかったことがある。
「春と修羅」の一部抜粋
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾しはぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ )
砕ける雲の眼路をかぎり
れいろうの天の海には
聖玻璃の風が行き交ひ
Z Y P R E S S E N春のいちれつ
くろぐろと光素を吸ひ
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
(かげろふの波と白い偏光 )
まことのことばはうしなはれ
あの詩及びにこの詩集は、単なる「詩」ではなかったということだ。私は単に賢治がリズムをもって詩を作っていたのだと思っていた。違う。賢治は「言葉によって」ひとつひとつ「曲」を作っていたのだ。賢治の中は、明確に世界を鳴らしていた。(と思う。私には曲調まではわからない)
特に「春と修羅」はそうだし、「小岩井農場」は明らかに交響曲だし、「永訣の朝」に始まる三部作、ならびに「オホーツク挽歌」シリーズはレクイエムやそれを超える交響詩だし、「真空溶媒」や「原体剣舞連」などは、もう音符付き曲が出来上がっている気もする。オペラもある。
賢治の住み込んだ花巻の「野原ノ松ノ林ノ䕃ノ小サナ萓ブキノ小屋」には、当時では珍しいレコードが豊富にあり、賢治は毎日のように聞き、それを全く新しい言葉にしたのだ。資産家の息子だからできたのだと言われればそのとおりかもしれない。でも、そこから紡がれた詩は、言葉の神様に愛されたのだ。私は40数年前中学生のとき、写真付き賢治詩集を買って貰って擦り切れるほど読んだ。そのおかげか知らないけれども、思春期の間、その純粋性、理想家、知性に当てられて、ぐれることなく理想家或いは夢想家に育った。文学が人を変える力を持っているかどうかは知らない。けれども、成長期に出逢うそういう本は大きい。
その詩の多くは、意味が全てはわからない。だからいい。人生の大きな謎として、ずっと胸にしまいながら生きていける。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体 )
「序」の冒頭のことば -
「俺は一人の修羅なのだ」と宮沢賢治が語る時、修羅とは何をあらわしているんだろう。詩はすべて難解。今のところ言葉に身をゆだねて詩を追っている。
-
【由来】
・
【期待したもの】
・
※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
・
【ノート】
・
【目次】
-
自然と人間が等価である。ひょっとしたら作者の視線では自然が優位に見えていたのかも(序列をつけるつもりはないが…)。
北国の厳しい自然も、作者に語りかけてくる何かがあったのかもしれない。小さい頃は私もそれが見えていたような気がする。都会に住んでいるときっとまた、すぐ忘れてしまうだろうけど。 -
詩情と科学とが渾然一体となった、言わずと知れた名作。難解な部分もおおいが、『無声慟哭』以降の感情の流れは何度読んでも素晴らしい。最初に読んだときは、解離性障害の病理の部分ばかりに目がいってしまったけど、やっぱりこれもひとつの(稀有な)個性と見るべきなんだろうなぁ。
-
よくわかんないけどかっこいい
-
「ー」
ところどころにドイツが出てくる。
私には難しかった。
そうなんですよね、"リズムをもって作"られている。
そのリズムは声に出すと掴みやすいし、...
そうなんですよね、"リズムをもって作"られている。
そのリズムは声に出すと掴みやすいし、掴んでしまったらとても読みやすい。
そうなってくるとkuma0504さんの仰る"「小岩井農場」は明らかに交響曲"等もストンと腑に落ちます。
「序」も好きです。
共感覚を持っていたという賢治ですし、"第四次延長のなかで主張されます"と「序」でも本人が記しているので、
言葉(の並び)は音、音は音楽、というお考えに納得です。
私ももっと沢山の本を読んで、kuma0504さんのように踏み込んだレビューを目指せたらなぁと思います。
こちらこそ、フォローありがとうございました。
宮沢賢治は、作家でのファン1号なんです。
私の読み方は、だいたいその人...
こちらこそ、フォローありがとうございました。
宮沢賢治は、作家でのファン1号なんです。
私の読み方は、だいたいその人の刊行物の8割以上読んでおかないとファンと名乗ってはいけない、というマイルールを設けています。そのぐらい読んでおかないと、その人のことを語っちゃいけないと思っていた時期があったんですね(今は違います)。
だから、ちょっと思い入れがあるのかもしれません。
「序」は好きなんです。だって最初に読むところだから、何度も読んでいる。でもいまだにわからない。例えば「仮定された」ということだって、どのように仮定されたのかよくわからない。明滅する青白い電燈はイメージできるけど‥‥。その他わからないことだらけ。「銀河鉄道の父」が人口に膾炙されて、賢治は困ったニートだったというイメージが広まっているのは、ちょっと困ったことだなあとも思っています(そういう面もあると言うだけの話)。
いかん、取り止めのない事を書いている。よろしくお願いします。