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感想・レビュー・書評
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生き方、考え方が書かれた本。
仏教的な中道の考え方が多いように感じる。
著者の考え方が図になって示されているので、視覚的にわかりやすかった。
新しい視点があって、人生の方向性に迷った時に何度も読み返したくなる本だった。
・言葉の裏にある価値観を取り除いてみるというのが参考になった。本当にそうなのかという疑問を持つことが大事。
普通には「いいこと、幸せなこと」「多数派」「標準的な、社会適応している」という価値観があるのでは?
・マジョリティ≒普通はみんなが行っていている大通りを歩いている感じ。安心。自分で判断しなくてもいい。
マイノリティは自分で判断しながら道なき道を行かなければならないけれど、自由がある。
人はそれぞれ違うのだからそれぞれの道があるはず。大通りは不自然。
大通りの不自然、不自由を打ち消すのにマジョリティは徒党を組んでマイノリティに対して「私たち正しいわよね。あの人はちょっと変よね」
・善も悪も、心=身体も頭も、自分のうち。矛盾していてもいいし、どちらも愛すべき存在。それぞれバランスをとっている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【背景】
①なぜ読むか
特別支援教育に関わる中で「普通」が何かと悩むから。
②何を得たいか
いわゆる「普通」とは何かの概観
③読後の目標
自分なりに「普通」を言語化する
【著者】泉谷閑示
【出版社】講談社現代新書
【感想】
この本の背景には、フランス現代思想を感じる。
とはいえ、脱構築などに明るい訳では無い私は、それを言語化することもできない。非常に残念だ。
我々は「普通/狂気」のような二項対立をイメージしているのでは、なかろうか。その二項対立そのものもを破壊し、言葉によってがんじがらめになっているクライアントの心を整え、自立させる姿勢に感銘を受けた。
私は、大学を卒業して以来、特別支援教育を中心に教育活動を行っている。
その中で「普通」というものをひどく疑うようになった。この本の中で、マジョリティを大通りに、マイノリティを小径に喩えるところがある。
この比喩を借りるならば、現代特別支援教育の根底には“大通りに戻す”ことが暗に是とされている。それも「生徒のためを思って」という枕詞を付してだ。
果たして、この大通りはどこへ向かっているのだろう。日々加速していく流れに身を任せ漂っていく私たちは、どこへたどり着くのだろうか。
少なくとも、極楽浄土へと繋がる道ではないだろう。 -
壁に向かって話しているようだったってめっちゃわかる
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もう一回読み返すと、理解度が深まりそう。
また何年後かに読みたい。 -
著者さんの経歴が興味深い。
古典文学?の引用や解釈が私には難しく、すんなりとは読めなかった。
自分が自分であるシンボル、じぶんの宝であるはずの「角」。私自身も特に学生時代は、角を見せないように無くさないようにしていた。今もその気は多少ある。
子育てにおいても参考となった。 -
■「愛」とは相手(対象)が相手らしく幸せになることを喜ぶ気持ちである。「愛」は無償であり見返りを期待することがないもの。
「欲望」とは相手(対象)がこちらの思いどおりになることを強要する気持ちである。「欲望」はたとえ僅かであっても give and take というか駆け引き的要素が含まれている。そこには相手を操作しようとする意図が込められておりコントロール志向であるということもできる。
・「親の愛」として偽装された「欲望」ほど子供を歪めるものはない
・「愛」と「欲望」の区別がつかない人は「良かれと思って」というものを「愛」だと思い込んでいて、相手を窮屈にしていることに鈍感
・「良かれと思って」の裏には相手から「感謝されたい」という自分の「欲望」が潜んでいることを自覚していない
■「メメント・モリ」とはラテン語で「死を想え」「死を忘れるな」と意味の言葉。死というものを隣に置いてみて初めて今の自分の生き方が本物なのか偽物なのかが照らし返され、明らかになる。だから、よりよく生きるために、いつも死を忘れてはならないという古くからの警句である。 -
「普通」ってなんだとお考えですか?
改めて聞かれると、答えに窮してしまいそうな問い。「普通ではない自分」に苦しんでいるクライアントに対し、精神科医である著者はそう尋ねるのだそうです。本書の副題には「自分を取り戻す」とあります。普通であろうとすることは病で、自分を失ってしまうことがその症状だ、ということでしょう。著者に助けを求めるクライアントが、そうであるように。
さて、「普通」とはいったい何でしょう?本書はこれを「多数派の信奉する価値観・ファンタジー」と指摘しています。そして、それが盲信されがちであるとも。例えば民主主義の多数決原理。あれも一種の方便に過ぎないハズです。マーケティングの原理でたくさん売れているものも、ただたくさん売れているという事実があるだけ。ところが人は、その結果をあたかも本質的に正しいとか、価値のあるものだとか思い込んでしまうところがある。
多数派の原理に流されるというのも、合理的なのだとは思います。自分で感じ考える手間がかからないですから。ただし逆説的にみれば、自分で感じ考えることから遠ざけられてしまうことでもあるでしょう。これこそ、本書が指摘している最大の問題点です。
「普通」というモヤッとした概念をズバズバ言語化しているさまは、読んでいて気持ちがいいです。多様性とかダイバシティといった概念を考えるとき、そして社会の同調圧力に息苦しさを感じでいる方にオススメの一冊であります。 -
病気や苦しみは天からのギフトで良いものが入っているが,不幸印のラッピングをしているので受け取りたくないし開けたくもない。1人称と3人称(西洋)。0人称と2人称(日本)。感情のoldとfresh。愛と欲望と偽善。人の為に善いことをするのは偽善(みつを)。即興は本質の表れ。生きている経験と死んでいる体験。
普通は集団があって決まる。性(本質)を活かす生き方を。 -
普通という言葉と病との関係を精神科医が書き綴っている。分析というほど精緻ではないが、具体的でおもしろかった。