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感想・レビュー・書評
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2020年6月
大人になって、むしろもうマシュウやマリラとのほうが近いだろう年齢になって読んだら、見える景色が全然違う。
以前はアンにふりかかる"事件"にいちいち心乱されていたものだけど、今読むとなんだか全部可愛らしいたわいもない出来事のような気がしてくる。
一方、この本の終盤、クイーン学院からアンが戻ってきてからの話は、大人になった今だからこそグッとくるものがある。子どもの頃はこんなに素晴らしいエンディングであると気づかなかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2008年の新装版にて、10数年ぶりの再読。
その昔、アヴォンリーの景色に憧れすぎて、日本の自分ちの窓から見える景色があまりにくだらなくて、広告のポップにすらうんざりした思春期を思い出す。
そのころ流行った安っぽいファッションより、こげ茶のパフスリーブと麦わら帽が素敵すぎて、どうしてこの時代に生まれることが許されなかったのだろうと嘆いたことを。
アンの頑固な生き方に憧れて、アンの言葉を座右の銘にしながら10代を耐えてきた気がする。
5年間口をきいてもらえなかったギルバートの献身については、それでもギルが誇り高く、卑屈に見えない男気に改めて感心する。ヘコヘコしてもプンスカしても情けないわけだけど、ギルはそのどちらでもない。そして、アンが5年も口をきかなかったわけは、ギルへの愛だったと。
マリラの子育ても見事だ。例えばリンド夫人に謝りに行く話。レイチェルも悪いとこっそり認めつつ、そのことはアンには伏せて、「レイチェルはあんたの知らない人で、年上で、私のお客様だよ。それだけできちんとしないといけない理由が三つある」と諭す。
マリラのこういうところが好きだ。
感受性が強く、思い込みが激しく、客観性にかける年頃の少女にとって、保護者の言うことは絶対的だと言うことをよく知っている。
ここで全面的にアンの味方をすれば、アンは増長しただろう。無論、昨今は私の世代を含めて、そういう辛抱のない子育てが増えている(部分的には過度に教育熱心だけど、基本的な教育面では口を慎まない親は多い)。
いくら少女が「より良い人間になりたい」と願っていても、「お母さんの嫌いな人は私も嫌い」だし、そうして憎むことが「より良い人間」への第一歩だと、本気で信じ込むものなのだ。
マシュウが甘やかし役として、リンド夫人は子育てのプロとして、チームでの子育てがとてもうまくいっている。
そしてアンは、利発で快活で想像力と愛情の豊かな子に育っていく。
利発で、快活で、愛情豊か。
その、なんと難しいこと。しかし私もそうありたいと強く憧れる。
ところで、初めてアンを読んだ時、理想の翻訳を求めていろんなバージョンを読み比べた末、最終的に村岡花子訳に戻ってきたのを思い出す。
村岡訳が抄訳だったことを初めて知ったので、また読み比べがてら完訳を手に取りたいものだ。 -
名作だけあって面白い。
意外とすんなり運命を受け入れていくアンのスタイルに感心する。 -
・人物の描き方がうまいなー。それぞれの人物がそれぞれの持ち味でそれぞれの人生を生きているのが、そのまま物語になっている。作者が自分を投影しているのは、やっぱりアンなんだろうか(別に「投影」してなくてもいいけど、誰っぽい人物なんだろうか)。
・アンは孤児で、幼いころから苦労をしてきたという背景があるけれど、想像力豊かで、独創的で、芸術的センスや文学的才能にあふれ、激情的。なんだけど、かと思えばピンチに際しては実は冷静だったりする(「たゆとう小舟の白ゆり姫」で、船が沈みかけた時の対処の様子など)。また、「悲劇的な」ことがあってさんざん泣きはらした後は意外とけろっとしてしまうところなんかも、うまいなーと思う。
・そんなアンと、いっしょに空想ごっこや名づけごっこや物語作りをしたりして遊んでいるダイアナ。この子はまたまっすぐで、アンほどロマンチックでも「特別」でもないけれど、アンを尊敬し、でも卑屈にもならず、いいなあ。アンがおおげさに、「汝への永久の愛を~」とか言うのに対して、「あたしだって、あんたを愛してるわ」とシンプルに迷いなく言い切るところなんか。
・マシュウにマリラにリンドさんに、ミス・ステイシーやミス・バーリーといった、アンを取り巻く大人たちもそれぞれ素敵。特にマリラの変化は泣ける・・・!
・アンが大きくなってしまうことに対して、喜ばしいんだけど、寂しく思ってしまうマリラの気持ちが、痛いほど伝わってきて共感する。
・つづきもいつか絶対読もう。 -
愛読書は太宰治の「人間失格」なのだけどそれを正直に言うと厄介だと思われそうな相手によく「赤毛のアン」って言ってる!L.Mモンゴメリが紡ぐ言葉の美しさを原語のまま受け取りたいと思って英語の勉強を頑張っていたのが中学生時代。(途中で諦めた)そんな私と英語の思い出の根幹にあるモンゴメリの作品は、村岡さんの翻訳が一番好きです。あ、いつぞやの朝ドラ「花子とアン」の花子さんよ!そばかすと茶髪がコンプレックスだった幼い頃、母がよくアンみたいで可愛いじゃないと言ってくれて、感情の起伏が激しいところもそっくりだと、よ<自分とアンを重ね合わせました。久しぶりに読んだら、まじクレイジーガールすぎてついていけなかったわ、私も大人になったなぁ。優しい表現に溢れて、めちゃくちゃ心地よい、大好きだ。
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赤毛のアンの自由奔放な生活とマシューとの関わり方がとても人間味溢れる物語であった。
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オーディブルで本を聞きまくっています
100分で名著でマシューのアンに対する接し方(堅物なのだけれども誠実な姿)が今の年配者の若者に対する接し方・・というコメントを聞いて聞き始めました。名作だけど確かに女の子が読む本だと思ってまだ読んでいませんでした。
初老の男性マシューカスバ―トは、”そうよのう””そうかもしれんな”といいつつ黙って話を聞く、それが楽しみ。そしてハフプリーズの袖の服をかったり、そして農作業で働きながらばったり死ぬ。そんな老人になりたいと思った。
目の前の幸せを幸せと思い、通常生活をしながらばったり死ぬ。そんな人にあこがれた。
テンポが速くわくわくさも今の小説に劣らない。私と同じような男性にもおすすめしたい本です。 -
赤毛であることがアンのコンプレックスだったけれど、それも含めて愛してくれる家族のあたたかさを感じた。
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赤毛のアンと若草物語好きなやつは大体友達