トルコのもう一つの顔 (中公新書) [Kindle]

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  • 中央公論新社
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  •  著者は1970年代からフランスに住んでいる日本出身の言語学者。フランスから何度もトルコ各地を訪問してクルド語を含む少数民族言語の研究を行った。本書は言語学の解説ではなく、トルコ国内で研究活動を行った時の出来事をまとめたもので、国内にトルコ語以外の言語が存在することを認めない政府とのきわどいやりとりがテーマとなっている。

     多民族国家における民族政策は色々だ。マレーシアのように多様性を尊重する場合もあれば、中国のように同化を強要する場合もある。本書執筆当時のトルコは明らかに後者であり、民族はともかく言語においては少数派が存在すること自体を頑なに否定する方針を取っていたようだ。中国以上に厳しい同化政策だと言える。

     著者は純粋に学術的興味から研究を行っていたが、トルコ政府側にとってそれは政治的意図と切り離せないテーマだった。そのため彼の存在が明らかになると、警察はもちろん政府関係者からも監視や妨害を受ける。多少は研究内容に理解を示す人もいれば、トルコ政府の公式見解を盲信して著者を罵る人もいる。プロパガンダの賜物だろう。

     文面からは傲慢で不見識なトルコ政府に対する怒りと、少数民族に対する愛着が伝わってくる。文章で読むだけでもウンザリするのだから、本人はどれほどだったか。また、多種多様な言語をすぐに習得して会話できるようになったり、当事者でも知らないような地域的、歴史的な分析ができる著者の知性は私の想像を絶するものがある。相応の努力の賜物であろうが、こういう人の目に映る世界はどのような場所だろうか。

     本書は1991年に出版されたもので、もう30年にもなる。現在ではクルド語の放送局もあるようなので存在を認めないというわけではないだろうが、民族政策におけるクルド人の扱いは変わっていないと思われる。よその国の政治に口出しする気はないが、国民を幸福にするのが政府の仕事だという原点に立った政策が行われることを望みたい。

  • 出版は1991年。もう当時と現在では、実情が異なるかもしれないが、トルコの歴史、特に民族意識が読み取れる一冊。言語学者の著者がトルコの少数言語の研究を進める旅が記録されている。

    実情は多民族国家であるのにもかかわらず、単一民族国家だと宣言していたトルコ政府。厳しい同化政策や民族差別が存在しており、頭部ではクルド人の反乱もあり、旅行者にとっては危険とされていた。著者は言語学の研究として旅をしながら、トルコの実態を掴んでいく。

    本書の中で強く感じるのは、価値観や考え方の違いが溝を作り、それが負のスパイラルに陥ってしまうことだ。特に宗教や政府の権威による正しさを信じている場合、その判断根拠が自身にないため、間違いを正すことが容易ではない。これに関して著者は次のように述べている。「価値観の違いは意思の疎通を不可能にし、集団と集団の間に壁を作り、差別意識を生む。差別意識がすでに存在する社会で育った場合、ある年齢に達するまではそれに気づかず、容易に問題提起することができない。」と。

    これはトルコ特有ではなく、世界中どこにでも存在する問題だと思う。日本でもアイヌの同化政策から始まり、現在では移民問題として存在している。多文化共生や多様性のある社会を考えるとき、トルコが歩んだ歴史が参考になると思う。

  • 大学生活を送っていたストラスブールからスイス、イタリアをヒッチハイクで南下、トルコでは自転車で各地を回り、親切で人なつこく、困った時には親身に助けてくれるトルコの人々に幾度も感激する旅から話は始まる。やがて、17年に渡ってトルコ中の村々を巡り、多くの友を作りながら各地の言葉や歌を習い覚えて少数民族の言語の調査研究を進めるうちに、トルコのもう一つの顔を深く知ることになる。

    戦争と政治によって引かれる国境線、本人の意思と無関係にそこに組み込まれる被支配民族。言語学という学問分野が民族、そして政治の問題と強く絡み合い、切り離せないものだということに気づかされた。

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