- Amazon.co.jp ・電子書籍 (291ページ)
感想・レビュー・書評
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小林章夫訳フランケンシュタインの電子書籍版です。
創造主ヴィクター・フランケンシュタイン博士と被造物、どちらの立場に皆さんは共感できるでしょうか。
双方の主張は平行線でありながら間違いはなく、故に共存か死しかありません。
実際に人間が知性を持つ生命の創造主となる可能性を、現代科学は大いに高めています。
色褪せない内容であり、これからを生きる人類に警鐘を鳴らす一冊。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ホラーの古典を読みたくて読了す。物語うんぬんよりもメアリー・シェリーの人物像やフランケンシュタインができる過程の怖い話友だちが気になる。
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非常に面白い。
翻訳者の解説にも書いてあるが、フランケンシュタインと言うと怪物のことだと思っている人も多いようだ。実際には、怪物を生み出した人物がフランケンシュタインなんだ。そういった誤解を解くためにも、ゴシックホラーの好きな方や、映画が好きな方は是非一読してみてはどうだろうか。
この作品が、江戸時代に書かれたものだと思うと、驚愕せざるをえない。それは、この小説が人造人間を扱っているということもあるが、ストーリーが非常に現代的なのだ。いや、現代の物語が、僕が、神話を下敷きにして作られていることを考えると、その点は現代的とは言えないかもしれないか。
怪物を含めた登場人物たちの深い人間性の表現が素晴らしい。悲劇に直面した人間たちの感情、心の動きはさることながら、怪物が人間を観察して感じる様々なことなど、著者のメアリーシェリー自身、素晴らしい観察力に恵まれた人物だったのだろう。
また、風景描写の美しさなども特筆すべきものがある。
緊迫する復讐の物語の中において、ヨーロッパの様々な美しい自然の風景描写は、まるで紀行物の番組を見ているかのような気持ちにさせてくれる。
様々な面で、豊かな描写と言うものを味わうことができる本作。小説の面白さを再確認する意味でも、オススメできる作品である。 -
「生まれた町が世界だと信じているほうがずっと幸福であることを、理解して欲しいのです。」
フランケンシュタインは博士の名前。
回顧録形式の作品。
思ったよりも面白かった。 -
かなり昔に書かれた事を感じさせない作品内容。
主人公に同情するも、本来、彼の自分勝手さが全てを招いた訳なのに、全ては「怪物」の所為にして、挙げ句の果てにその命を追うというのは、何とも無責任な話である。
対して、「怪物」が、無から現在に至る自己の歴史を語る一言一言に畏れすら覚える。とは言え、自分への愛を自己の存在証明の様に求める姿は、限りなく “痛い”。それが満たされない現実に対する復讐として人を殺めるのも、これまた無責任さの何物でもない。特に、“創造主” からの愛が得られないが故に犯してしまう行動への自己正当化は、雄弁であるが故に、かえって軽薄に聞こえて来る。 -
映画では「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」という亜流も含め、何本も見ている。しかし、原作は初めて読んだ。軽い気持ちで読み始めたが、非常に重い小説。しかし、ものすごく面白い。
舞台は17世紀のヨーロッパ。フランケンシュタインというのは、若き天才科学者。生命の起源の謎を追求していくうちに、醜悪な怪物を発明してしまう。小説は、醜悪が為に人造人間が引き起こす悲劇を中心に描く。
B級映画では、フランケンシュタインは孤独なマッドサイエンティストとして描かれるが、原作では家族、友人、恋人を大切にする悩み多き若者。小説の圧巻は、生まれてすぐに逃げ出した怪物が、言語を含めた知性を身に付けた後、若者の前に再び現れ、経験を話す場面と思う。怪物は、如何に食料を手に入れ、言葉を覚えたかを淡々と説明する。そして、怪物は、隠れ場所の隣に住んでいる一家に好意を抱いたこと、姿を現した時の一家の反応、そしてその後の怪物の行動を語り、若者に凄まじい衝撃を与える。
怪物の能弁さは、個人的に抱いていたフランケンシュタインの怪物とは、大きなギャップがある。能弁な怪物と若者の対話は、引き込まれる。創造主たる若者に対して怪物が要求した内容は、あまりにも悲しい。そして、その要求を拒否したことで、悲劇が起こる。
全く知らないで読み始めたが、やめられない面白さ。★4つ。 -
フランケンシュタイン博士も怪物もよくしゃべる。
情景描写はうんざりするほどだが、
怪物の孤独と愛を求める描写は心にずっしり来る。 -
NHKのダークサイドミステリーでメアリー・シェリーの特集をやるというので録画した。見始めるとネタバレありということで一度中断。Unlimitedにあるのでとにもかくにも原作を読むことにした。さすがに日本語訳だ。
ギリシャ神話のプロメテウスに起源を辿れる物語だが、科学で生命を吹き込んだという設定が独創的で、SFと言って差し支えない。
内容は予想外の連続だった。フランケンシュタインの怪物といえば動きはのろく、言葉を話す知能もないというイメージだったが、原作では身長8ft、醜い容姿とはあるが、それ以外はかなり違う。運動能力は人間より優れ、どんぐりなど木の実で生存でき、雄弁に不幸な身の上を語る。
読んでみて、映画『ブレードランナー』のプロットがこの作品の影響下にあると気づいた。レプリカントの「知能は設計した技術者に勝る」という設定など本当にそう。であればルトガー・ハウアーのアドリブとされる独白が伝説となるのも道理。
SFではあるが、一方で時間感覚が18世紀というのは今だからこそ味わえる要素。手紙だから連絡をとるだけで何日もかかる。旅も何ヶ月もかけて行う。旅の道中で普通に人が死ぬ。
そういった近代の時代感の中で、冤罪で処刑されるジュスティーヌについては、作者の女性観が現れているように思う。大した証拠もなく有罪となりあっというまに処刑される。そういう時代であるが、作者の「女性がこんな目にあっていいわけがない」という考えが伝わってきた。
この作品のパロディである映画の『ヤング・フランケンシュタイン』は、もしかしたらものすごく原作をリスペクトしているかもしれない。