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- / ISBN・EAN: 4959241754837
感想・レビュー・書評
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原作は誰もが知っている「竹取物語」.
自分は天の邪鬼なので,大ヒットしている映画はすぐには見ない.いかにジブリといえど,しょせんは竹取物語じゃないか,と思っていた.
でも…
今ここに生きていないという”罪”犯せば,元の世界に返されるという”罰”を受ける.そのメッセージは現代に生きる自分の心にとても響いた.
今と向き合うことの大切さ,を美しい画と共に感じられた.あっという間の2時間だった.詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
申し訳ない想いが有るのですがアカデミー賞にノミネートされた事を知ってから始めてクリップして今回の鑑賞になりました。
日本人なら誰もが知っている古典が原作でジプリの高畑勲監督の解釈でアニメ化された作品でした。
水彩画の雰囲気を用いた事でより和の世界を印象強い物としての盛り上げる事が出来て居る様に思います。主人公の‘かぐや姫’をはじめ竹取翁の夫婦などのキャラクターが可愛らしさが堪らない物に感じました。
特に私にはかぐや姫の侍女の憎めない恍けたキャラが大好きでした。
今回の長編アニメ賞はディズニーのオバケ・アニメが受賞してしまい残念ながら本作は受賞を逃しましたが、私にとって心に残るジプリ作品になりました。 -
冷たい都会の中で息苦しさを感じていた自分の心と見事にシンクロして号泣しました。
もっと評価されてほしい神作品だと私は思っています。 -
ストーリーは原作のままに、描写がとてもリアルなかぐや姫。画像の表現は素晴らしかったが、見終わったあと、どうしても胸の中にモヤっとした感触が残る。なぜだろう。
かぐや姫の心の動きもわかる。翁の気持ちもわかる。都の上流社会のヒドさもまったくその通り。
違和感の元はたぶん、こども時代を一途に恋しがる姫の気持ちだ。監督は、なぜ山里の暮らしをあれほどまでに愛させたのか。捨丸兄が言うように、姫は貧しい民の暮らしの本当の醜さを知らないのに。その裏返しで、都での暮らしがいかに恵まれているのかわかろうとしていないのに。もちろんこのこと自体が姫の罪であり、その傲慢のさの罰として月に帰るなら大いに納得のいくところではあるけれど。 -
巨匠・高畑勲監督が日本最古の物語といわれる「竹取物語」を原作に“誰も見たことのないかぐや姫”として、ひとりの少女・かぐや姫の犯した罪と罰を描く真実の物語。ロサンゼルス・ボストンの映画批評家協会賞を受賞するなど海外の映画賞を席巻。
また「第87回アカデミー賞」の長編アニメーション部門にもノミネートされ、高畑作品としては初めて、また宮崎駿監督「風立ちぬ」以来となる同賞の候補となった。
竹の中から見つけたかぐや姫が美女に成長して、貴公子5人に求婚されるもすべて断り月に帰っていくあらすじに、かぐや姫の葛藤や心の変化を掘り下げた野心作。
水彩画のような淡く美しい色彩、田舎で無邪気に育っていきたかったのに都で息苦しい姫としての暮らしを強いられるかぐや姫の葛藤、天真爛漫な姿の中に秘められたかぐや姫の愛と思い、女性目線から語り直したかぐや姫の新しい物語です。 -
キネ旬ベストテン2013 4位 映画検定有志のベスト・テン2013 5位
「ホーホケキョ となりの山田くん」以来14年ぶりの新作公開となる高畑勲。制作現場の凄まじさはテレビで何回か見たのでそれだけで頭が下がる。太い細いがハッキリでる筆のようなタッチで、時に抽象的に時に墨絵のように独特のタッチだ。CG全盛時代に人間のぬくもりのある絵になる。線が切れてたりするので色をつけるのもタイヘンとか。このタッチで、赤ん坊の可愛らしさ、日本の原風景を丁寧に描く。
それだけで見応えがあるのだが、原野で暴れまわっていて生を横溢していたかぐや姫だが、父親がこれは神の使いだと都に御殿を建ててかぐや姫は姫修行に入る。玉の輿狙いで父親のエゴなのだが、ここからはずっと不満ばかりのかぐや姫物語になり単調になる。5人の求婚者の顛末も変化はつけてるが単調。話をして田舎に戻るようにすればよさそうだが。帝の目にまで止まるが、その不満で月に戻りたいと言ってしまったので、ほら見たことかと月の使者が来る。生と死の話なんだろうが、生きることって思い通りにならないけど死ぬよりいいですよね と言われても。 -
なるほど、流し見してたら見えなかった部分が見えてきたので再レビュー。
雨宮まみ氏の批評が非常に纏まっていて分かりやすく、概ね代弁してくれてるのだけど、フェミ界隈から見て「女としてかくあるべき」という幻想の押し付け、という側面の外側、じゃあむしろ「私かぐや姫の立場になりたいんすけど」という立場から敢えて考察してみようと思う。
雨宮さん曰く「美人であれば人としての権利を剥奪され、ブスは女である事を剥奪される」という言が実に言い得て妙だけど、世の中には、まぁ、イマドキ?と顔をしかめられても「金持ちと結婚したい」とかそこまでいかないにしても「どうせなら女という立場を最大限謳歌したい」と思う女もいる訳で。
例えば男ウケの良い外面を繕うキラキラ系女子にとっては当時の感覚で言う麻呂眉もお歯黒もやだー野山で駆けて晴耕雨読の暮らしを大地と共にしたいのー、とかっていう女は現代で言うとすっぴんに寝巻きと同レベルで、それってなんかもう女として大丈夫?という見方も出来る訳です。
そういう観点で言うとこの作品で言う所のかぐや姫って単にそのモテを望む女からすると美人というだけで男達から格別な対応を受けまくる「嫌味なオンナ」で非モテの格好の餌食になるという見方も出来なくないと思うんですよな。
まぁ確かにこの作品に出てくる男の大半が封建主義的な分かり易い男尊女卑を露わにしたキャラクターばかりでその辺りおしなべて胃がムカついてしまいますっていう箇所には漏れなく同意なんでだけど、まぁ、何ていうんでしょう、所謂「女」である事に抵抗が無く、また同様に「女」である事を積極的武器にしてゆける立場の女からすると、御門のセクハラとか「しめたもの」という感じだし、むしろ「玉の輿ヒャッホー」と見る事も出来るんじゃないかと思うんですよね。
女童のブスだけど気立ての良い子ポジション、というかぐや姫との分かり易い対比も、かぐや姫のモテるのに袖にしまくりっていう徹底した潔癖主義的な部分と併せて癪に触るというか、あーはいはい美人乙…っていう歪んだ目線で見てしまう事もままあったりなかったり。そうよね、ブスは所詮太鼓持ちよね、っていう
取り分けまぁかぐや姫は妙齢の人生経験豊富な吸いも甘いも知り尽くした「女性」ではなく飽くまでたかだか数年で高速成長した程度の「子供」だという事を鑑みると、この論調にも些か無理が生じるとは思うし、全力でアゴ御門拒否からの発狂、心神喪失って流れも分かりすぎる位分かるんですがね…
一見するとミソジニーの皮を被ったミサンドリーの様にも見えなくない箇所が見られるのも、なんか消化不良に思えてうーん、なんだけど、
例えばかぐや姫がラスト捨丸と共に空中滑空するシーンなんかどう見ても情事の暗喩だと解釈出来るんだけど、これまで徹頭徹尾「私は自由に生きたい!」っていう男性支配からの解放を全面に押し出していた展開から急に「そういう」シーンへ突入するっていう飛躍も何かこう…男性監督の限界か、と言うか。ラブシーンとりあえずいれといたみたいな投げやり感が満載
しかも捨丸に至っては妻子があるっていう、更に救いようがない事実を見ている我々が知り得る反面かぐや姫は知らされない、という残酷っぷり。
もしそれすら計算尽くで、あの一見幸せそうな2人の浮遊の後で捨丸のまるで浮気から目を覚ました不倫男性みたいなシーンを挟んで失望感を露わにさせようという魂胆なのならそれは大いに成功してますよと言いたいけど。
ただそうでないとするなら、ここまでいくともう「女に希望はないんだよ」っていうメッセージなのかしら…と思っちゃう。私はかぐや姫にはあのまま捨丸だけ高速落下させた挙句月からの使者を神通力でフルボッコにしたあと御門も公達もまとめて娶ってかぐや姫帝国を築く位の展開が現代的でいいと思うんですよね。
ディズニーというかピクサーとの違いはその辺りで、近年ではラプンツェルに続きアナ雪でも「男不要論」みたいなものを分かり易く演出してる。
まぁ、なんでしょう…お年を召してらっしゃる日本人男性にそこまでの近代的な観念を持てというのも無理からぬ事の様にも思いますが…
しかしとにかく見る年代や性別で評価がガラリと変わる作品である事に間違いないとは思う。
数年後に見てみるとまた感想変わるのかもなぁ