夜と霧 新版 [Kindle]

  • みすず書房
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感想・レビュー・書評

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  • この本は、かなり特異な経験を、しかも個人的な経験談として語ることに重きを置いているが、それなのに(それだからこそ)とても普遍的なメッセージを受け取ることのできる本だった。
    私が特に重く受け取ったメッセージを2つまとめる。

    ①自分は自分であるということをそのまま受け止め、信じられるか

    強制収容所でただの「番号」になり果てた被収容者は、「自分は何者かである」という自意識を保つのが難しい。「自分」というものの存在を外部に依存していると、収容所のような環境では感情や劣等感をコントロールすることが難しく、最終的に自分から無私の「番号」「モノ」になり果てる。ここにおいても、「自分はどう振る舞うか」「どう振る舞うべきか」「どう振る舞いたいか」を自分の意思で選択する自由を行使できる強さを持った人間は、人間としての自分の存在に対する意味を見出すことができる。
    そういう意味で、ただ外部に身を任せ自分の意思を失うのではなく、「苦しみ」「悩む」ことができる人間は、「苦悩に値する」人間であると自分を認めることになり、生きることの意味を確認することができた。
    以下、本書p112より抜粋
    - 仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、美や芸術や自然をたっぷりと味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。そうではなく、強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。-

    ②なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える

    生きることから得られる何かを期待して「生きる意味」を問うのではなく、生きること自体が問いを与えてくるのであり、生きるとはそれらの問いに答え続ける義務を引き受けることである、と考える。すべての事象は意味のある人生の課題である。そして一人ひとりは、それぞれの苦しみを向き合いながら、唯一無二として存在する。
    「生きる」ことは、人に何かを期待している(だからこそ課題を与える)。仕事かもしれないし、伴侶かもしれないし、子供かもしれないし、それは人によってさまざまだが、何かが必ずその人を待ちわびていて、人はそれに対する責任を負っている。こういった意識を持てると、「生きることに何の期待もできない」といって死んでいくことにはならない。未来の人生が常に自分を待っている。

  • 強制収容所で2年半を過ごした著者が、そこでの経験を心理学的に解明しようと試みた記録。

    収容所からの解放後も、思い描いた家族との幸せが戻ってくることはなく、辛い現実との直面。

    「生きる意味」とは。「精神」とは。

    たまたま読んだ本。非常に感銘を受けた。なぜ、この歳まで出会わなかった本なんだろうと後悔もした。自分の精神と向き合うことができた。精神は、壊れたほうが楽なのではないかと思ってしまった。現実と向き合えないとき、どうしたらいいのだろう。受け入れる心の場所はあるのだろうか。 

  • 第二次世界大戦中、ナチス占領下の強制収容所へ送られた作者の体験が記された本書。
    作者が精神科医であったことから、人間の精神分析が詳細に描写されている。
    極限状態に置かれた時、人間は自己防衛機能が働き無感情となる。
    しかし、そんな状況でもユーモアを持ち、芸術や自然の美しさに触れることで精神を保つことができる。
    どのような状況に置いても、どう振舞うかはその人自身の意思により、この決断の自由は誰にも奪うことはできない。
    私たちが生きることから何かを期待するのではなく、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題である。
    まさに極限状態にありながら、生きることを諦めず生き延びた作者の精神分析、そして言葉の数々は経験していない私が簡単に言い表せない深い重みがある。
    本作を折りに触れ何度も読み返そうと思う。

  • コロナ禍で混沌とした状況の中、この本から学ぶべきと同僚から勧められて読んだ。今まで避けていたところがあった。

    人間の価値を貶められた過酷な収容所生活で生きながらえるために
    ユーモア
    感動する心
    自らの役割の意味
    についてのエピソードが印象的だった

    本の中では脚注がないので、カポーについて調べてみた。サディズムの背景が理解でき改めて酷さを知った。

    「わたしたちは、まさにうれしいということはどういうことなのか、忘れていた。それはもう一度学びなおさなければならないなにかになってしまった。」

  • ナチス下における強制収容所という、歴史的人道的に非常に過酷な環境において、人間心理におけるさまざまな困難苦難を心理学者の立場から描写している。
    強制収容所の非人道的なあり方が恐ろしいというのはもちろんあるが、それ以上に、人間の内面のあり方についての記述が興味深かった。
    強制労働をしながらも、伴侶を心に思い描き、伴侶への愛を深く心に感じ、そのことを「究極にして最高のもの」と実感する、という場面は強く印象に残った。
    つらい環境でも、内面の精神性を意識し、生きることの意味を噛み締め続けるということ、言葉にしてしまうと簡単なのだが、自分が同じ環境で同じように振る舞えるか、自分自身をそのように見られるか、という問いは、これからもなにかあるごとに思い出すのではないかという気がする。

  • もっと早く読めばよかったと思う反面、今このタイミングでなかったらこんなにも心に響かなかった一冊。これまで言語化できなかった思いを刺激されて、ようやく一歩踏み出せそうな予感。

    「苦悩という情動は、それについて明晰判明に表象したとたん、苦悩であることをやめる」(スピノカ『エチカ』)

  • 書かれている内容が(現実にあったこと)あまりにも残酷すぎて、言葉にならないようなことばかり書かれていて、
    気持ちがかなり沈んでしまった。
    だけど、こういった歴史があったんだと知ることが大切だと思ってなんとか読み進めることができた。
    主体的に生きることを禁じられてしまい、何度も何度も夢や希望を潰されてしまい、
    それが普通になってくるとそこに慣れてしまう。
    無感情。
    それでもそんな絶望の中にでも、信じるものがあると、意味や目的を見出すことができ、それが生きる活力となる。
    どんなに色んなものを奪われたとしても、自分の中にある、自分が強く信じることができるものは他人には奪えない。
    灰色に染まった収容所からみえた夕陽の美しさ、
    悲惨な日常の中にでも、感動する心はなくならない。
    どれだけ絶望していてもその一瞬の間だけは希望の光を見ることができるんだろうか。
    私が同じ体験をしていたらどうなるだろう。
    希望の火を何度も消され、いつ終わるかもわからないような地獄の毎日に目的を見出すことはできるのだろうか。
    極限の状態の中でも心が震える瞬間は、一切れのパンではなく、人の優しさ、思いやり、愛なんだな。
    収容所にいる時は過去への想いがその瞬間は自分の生きる希望になるが、収容所から解放された後は、その経験を含む過去が自分を縛ってしまう心の鎖のようになってしまうこともとても辛いことだと思った。
    今の時代も心の風邪にはしっかりとしたカウンセリングや心の休息が必要なように、
    心に傷を負った人たちにはたくさんの時間と専門家によるカウンセリングが必要だなと思った。
    本を読みながら心が本の世界にタイムスリップして、
    読み終えた後、
    目に涙を溜めながら、とにかく「今」に感謝した。
    人間は本来素晴らしい力を持っている。
    悲劇を繰り返さないためにも「知る」ことは本当に大切だなと思った。
    これからも色んなことについて学んでいきたい。

  • アウシュビッツ強制収容所で著者が経験したこと、名前を聞くだけでわたしはとても恐ろしく感じるけれど、それでも1日で読めてしまうほどに黙々と読めました。
    アウシュビッツ強制収容所で生きているのか死んでいるのかわからないギリギリの生死を彷徨っている人間がとても生々しく、正確に言語化されていて心にズシリと響き、平和な世界で暮らす私にもなぜか他人事には思えない生と死の人間味を感じたからでした。
    重い内容ではあるけど、とても重要な本だと思います。
    辛い過去を語るのにトラウマもあるだろうに、世界に伝えるため、書籍にしてくださったこと、心から感謝します。

  • 実際にナチ収容所で過ごした実体験に基づく精神科医の観点からの記録。
    生き残る人とそうでない人の分析で話しが進む。
    ・苦しみ・死を含めて"生きること"。
    ・苦しみを全肯定の概念で受け入れる。
    ・未来の目的が有る人は苦境も乗り越えられる。ただ、未来の目的を手に入れたときイマイチだったときの失意を乗り越えるのは難しい。
    本の最後に、自分がなぜ乗り越えられたのか、『結局、分からない』と書かれている。分からないと認めることが、学者・医者として何とか患者を救う処方箋を見つけようとするプロフェッショナル性を感じた。

  • 人が極限に追い込まれた時、
    いかにニュートラルでいられるか、
    いかに愛する人や日々に心の中で会えるか、
    そこに理由はなくともそれが生きるための力になる。
    脳内で会いたい人に会うということは、
    本人がいくらこの世にいなくとも幸せをくれる。
    文字では伝わりきれない惨いシーンの数々。
    「なぜ?そんなことが起きたのか」
    大人になってからでもいいから子供たちにも知ってほしい。

    ①空想は心を満たす
    ②ニュートラルでいることは処世術になることもある
    ③受け入れる、ということは余分なカロリーを消費しないのかもしれない

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著者プロフィール

1905-1997。ウィーンに生れる。ウィーン大学卒業。在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。第二次世界大戦中、ナチスにより強制収容所に送られた体験を、戦後まもなく『夜と霧』に記す。1955年からウィーン大学教授。人間が存在することの意味への意志を重視し、心理療法に活かすという、実存分析やロゴセラピーと称される独自の理論を展開する。1997年9月歿。著書『夜と霧』『死と愛』『時代精神の病理学』『精神医学的人間像』『識られざる神』『神経症』(以上、邦訳、みすず書房)『それでも人生にイエスと言う』『宿命を超えて、自己を超えて』『フランクル回想録』『〈生きる意味〉を求めて』『制約されざる人間』『意味への意志』『人間とは何か――実存的精神療法』(以上、邦訳、春秋社。なお『人間とは何か』は、『死と愛』原書第11版に基づいた邦訳)。

「2019年 『死と愛 新版 ロゴセラピー入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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