世界システム論講義 ──ヨーロッパと近代世界 (ちくま学芸文庫) [Kindle]
- 筑摩書房 (2016年1月10日発売)
- Amazon.co.jp ・電子書籍 (211ページ)
感想・レビュー・書評
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面白かった。
ちくま学芸文庫の初版が2016年、結びでも今後の世界システムの在り方はふわっと示唆されているだけだから、2023年現在の状況がどうなっているのか、世界情勢に疎い私にはちょっと分からないけど、学生時代に習った世界史が別の視点から見ることができて興味深く読めた。
あと、「砂糖入り紅茶」が破天荒だなんて思ったことなかったのに、イギリスでは砂糖も茶葉も国内で栽培されてなくて、それぞれ貿易によって国外からもたらされるもので、それなのに庶民にまで浸透してイギリス文化の象徴になっている、と読めばたしかに大英帝国ゆえの破天荒さだと納得。
世界大戦への経緯も、「近代世界システム」の構造上、ヘゲモニー国家に搾取されないためには自国の「周辺」を獲得する必要があったんだなぁと。日本も搾取されないように戦ったのかなぁ、とか。
p.26 近代の世界は一つのまとまったシステム(構造体)をなしているので、歴史は「国」を単体として動くのではない。すべての国の動向は、「一体としての世界」つまり世界システムの動きの一部でしかない。
p.104 「われわれイギリス人は、世界の商業・金融上、きわめて有利な地位にいるために、地球の
東の端からもち込まれた茶に、西の端のカリブ海からもたらされる砂糖を入れて飲むとしても(それぞれに船賃も保険料もかかるのだが)、なお、国産のビールより安上がりになっているのだ」と。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
<近代世界を一つの巨大な生き物のように考え、近代の世界史をそうした有機体の展開過程として捉える見方、それが「世界システム論」に他ならない> 背表紙より引用。
東大世界史の勉強をしていると頻出する概念で、受験のテクニックとして触れてはいたが、ようやくその本質が理解できた。高校生の自分は学問を楽しめるだけの体力が足りていなかった。
先進国や開発途上国という表現には、➀世界は個々の国の集まりであり、➁同じレールの上で各国が経済成長レースを行なっている、という2つの前提が存在する。しかし、実際は、世界を一つのシステムとして捉えるべきである。なぜなら、各地域は「中核」や「周辺」として異なる役割を与えられたパーツにすぎず、それらの組み合わせによって生まれたシステムの挙動こそが歴史だからである。世界を部分だけ取り出して説明することはできないし、同じレールを走る国は存在しない。そして、その内実に変容はあれど、現代もこのシステムの延長上にある。
全体を部分の総和以上のもの、として捉えるのがシステムである。肉塊や臓器は単体では食料にしかならないが、それらの全てが組み合わさることで生命システムとなる。複雑なもの、尊いもの、競争力、これらの源泉はたいていがシステムである。システムとして物事を捉える視点は、表層に惑わされることなく、本質を見抜くためのカギになると思う。 -
世界史のイメージがシヴィライゼーションな人が読むべき本。シミュレーションゲームをやっていると、国家というものは国単位で発展し、その速度が国々によって異なるという印象を受けやすい。しかし実際は、1つの世界システムとでも言うべき大きな構造の中で、中心核となる国と、収奪される周辺国というのが正しいとのこと。
面白かったのは作っていた作物がサトウキビかタバコかで、独立した後の発展が異なるという話。サトウキビの場合、農園主は物凄く儲けていたため本国にいることが多い。そうすると植民地へのインフラ投資はしない。対してタバコの場合、農園主は現地で生活することが多いため、自分たちのためにインフラ投資を行う。
結果、タバコを作っていた地域は独立後にインフラが揃っているため発展しやすい。対してサトウキビを作っていた地域にはインフラが無いため発展しにくいのだ。何が将来に影響を与えるのかは分からないものだ。 -
資本主義成立の決定的なモーメントを国内的要因に求めるか対外的要因に求めるかは近代史を考える際の大きな論点である。禁欲や職業倫理といった文化的要因に着目したウェーバーや、独立自営農民を担い手とした局地的市場圏から国民経済へと資本主義発達のプロセスを捉えた大塚久雄は前者の典型である。これに対し「世界システム論」に立つ著者は、一次産品と製品市場を提供した海外植民地の役割を重視する。とりわけ奴隷や移民による安価で豊富な労働力の搾取を組み込んだ国際分業体制を決定的とみる。ウェーバーのように一国経済の枠組を前提に産業革命や近代化の背景を論じるアプローチが捨象したグローバルな視点の重要性を明らかにしたのは「世界システム論」の功績である。各国経済は「世界経済」のサブシステムに過ぎず、「中核」は「周辺」を搾取することで「中核」たり得ているという訳だ。
だが現実には内外諸要因が幾重にも折り重なって資本主義が成立したとみるべきで、いずれかの要因に還元できるものではないだろう。その意味では著者の分析は外的要因を偏重するきらいがないではない。著者が示唆するように、非西洋世界の近年の経済発展をみても、ウェーバーや大塚の西洋中心のバイアスは明らかだが、同時にそれはかつてのように軍事力をバックに「中核」が「周辺」を一方的に搾取するという構図は今日必ずしも妥当しないことを意味する。また、イギリスが「中核」になれた要因の一つとして、いち早く効率的な徴税システムを作ったことがあげられているが、これは工業化にあたって国家の役割を重視するもので、その正否は各国の歴史的・文化的条件に依存するはずだ。
こうした疑問はあるものの、著者の真価はむしろイギリスという資本主義の「優等生」の生活史に光をあてたことだろう。著者は故角山榮氏とともに日本ではこの分野のパイオニアであり、本書でもその点に関する記述が一際精彩を放っている。紅茶を砂糖と一緒に飲むのが一種のステイタスとなり、新たな消費文化の形成を通じて国内需要を喚起したという指摘などなかなか面白い。もっとも著者はそれについても植民地の恩恵を重視するのだが、サークスらレスター学派の研究に依拠して「消費革命」は「植民地帝国化」以前に始まっていたとする反論もあることを指摘しておく。(村上泰亮『 反古典の政治経済学 上 』六章参照)。異論の余地はあるだろうが、「戦後史学」を乗り越える一つの試みとして学ぶべき点が多いのは確かだ。 -
ウォーラーステインの「世界システム論」の入門編と言える本。今の高校生はわからないが、2000年代までの高校世界史を履修したことのある人にとってはこの「世界システム論」には驚嘆したのではないだろうか。
この本では国と国との歴史を追うのではなく、1つの「世界」を、主に経済面から読み解いていく。どの時代にどの国が中核となり、周辺の国はどのように関わっていったかを詳細に、かつわかりやすく描いている。
この辺りの考え方が現在の地政学にも繋がってくるのだろう。ウォーラーステインの本論への足掛かりとしてはかなりいい本ではないだろうか。 -
近代世界を国単位で見るのではなく「一体としての世界」で見る世界システム論を通して、近代ヨーロッパの歴史を読み解いた本。
各国の歴史を知るだけでなく、国同士の横のつながりも知ることで歴史の理解がより深まります。 -
現在、世界史を考える上で不可欠な視点となっている世界システム論の概要が分かる本。各国史を揺るがせにすることはできないが、その各国史が徐々に収束し、大航海時代以降に西欧的価値観によって世界が覆われるのは、どのような過程を経たからなのか、それを考える上でこの本の話を知っていると知らないとではかなり違う。世界史に触れた人はなんとなく感覚的に分かっているような話なのではあるが、改めて体系的・理論的に学ぶとすれば、まさにこういった内容になるであろう、と思われる。
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概念的にはもう知ってるようなことが多く書かれていた。それだけ、ウォーラーステインの考え方が、グローバル・ヒストリー界隈の王道に近いものとして浸透しているということなのかもしれない。
本家の大著4冊よりずっとコンパクトに要領を掴めて良い。 -
ヨーロッパ世界と非ヨーロッパ世界が一体となって相互に複雑に影響しあいながら展開してきたと見ることが近代世界システム論だという。第一章:世界システムという考え方、第二章:アジアにあこがれたヨーロッパ人、第三章:キリスト教徒と香料を求めて、第四章:スペイン帝国の成立と世界システムの確立、第五章:十七世紀の危機、第六章:環大西洋経済圏の成立、第七章:ヨーロッパの生活革命、第八章:砂糖王とタバコ貴族、第九章:奴隷貿易の展開、第十章:だれがアメリカをつくったのか、第十一章:二重革命の時代、第十二章:奴隷解放と産業革命、第十三章:ポテト飢饉と移民の世紀、第十四章:パクス・ブリタニカの表裏、第十五章:ヘゲモニー国家の変遷、結びにかえて:近代世界システムとは何であったのか。
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この本で展開されている歴史の見方が、私が読んだときにはそれほど真新しくはないように感じられたのは、すでに世界史に関する巨視的な見方というのがある程度浸透していたからなのかなと思った。少なくとも、私が大学で受けた講義には一国史的なアプローチをしているものは一つもなかったし、高校世界史でも、雑談の一環として世界システム論についての話があった。
この本を読んで一番得るものがあるであろう層は、まだあまり世界史のイメージが掴めていない高校生あたりかと思う。あとは、そうでなくとも、近代史の復習としてもいいかもしれない。