- Amazon.co.jp ・電子書籍 (417ページ)
感想・レビュー・書評
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人体実験ときくと拷問を連想するが、この本で紹介されているのは、自ら進んで人体実験を行った、マッドサイエンティストたちの記録である。
現代では外科手術をする際に麻酔が行われるが、この技術は神に与えられたものではない。痛覚を麻痺させ、意識を失わせることもある薬品を、自らの体で実験し、発見した偉人がいたからこそ享受できる、知の結晶である。
どんな薬品にも、安全を守る上での量的基準がある。たとえば、麻酔であれば、一定量を超えて投与されると、二度と目覚めなくなる危険がある。この水準を判断するには、安全と危険のボーダーラインを、一度またぐ必要がある。「あ、このラインで死ぬんだ」という事実を伝える犠牲者が必要なのだ。そんな犠牲者に自ら名乗り出た科学者をまとめたのが本書である。偉人というより、変人という方が正確かもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
かなり私好みの一冊。なかなかグロテスクな描写もあったが全て事実である。しかし、これほどの自己犠牲のおかげで、この世界の医療が支えられている。かなり読み応えのある分厚い一冊で読み終わる頃には、グッタリしてしまう。
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18世紀のイギリスはまだ医学が発展しておらずガレノスの四体液説という、血は全身を巡っておらず悪い血が臓器に溜まる事でその臓器が病気になると考えられていた。
なので医者は悪い血が流れている臓器をメスで切りる瀉血治療を施していた。
でも体の血を半分抜く瀉血をすると死ぬ、つまり医者にかかると死ぬというのが民間人でも経験で気づき始めた時代だった。
なので、インチキ薬売りによる薬産業が発展した。
ドニゼッティの愛の妙薬の舞台、18世紀末もまさに薬産業の時代。ドゥルカマーラの様な口の達者な人が、町を渡り歩き、音楽などで人々を集めて、あのドゥルカマーラのアリアの様な”この薬はこんな病気に効く、これもそれもあれも何でもござれ”と貧しい人々を餌食にして売り歩いた。
勿論まだ薬学も発展していないので薬の効果もなく、毒薬を処方して死んでしまう客が大勢出た。だから、さっさと町を去るのが定石だった。
愛の妙薬の”Addio”は、Arrivederciと違い、もう二度と会わないであろう人に使う別れの言葉だが、町民としては”こんなに良い薬をこんなに小さな町にまで来て売ってくれてありがとう。”の意味だが、ドゥルカマーラとして、”薬を飲んだら本当に天に召されるかもしれないからもう二度と会えないかもね(←この意味もあるとは音大では習わなかった初知識)”尚且つ、”次に来た時にはもうインチキ薬売りだと知れてるからもう二度と来ないよ”というトリプルミーニングのaddioになっている。(今までダブルミーニングだと思っていた)
余談。前に話したかもしれないけれど、当時の外科医療は、床屋さんが兼任でやっていた。血を扱うのは下賤な仕事なので、髭剃りなどで刃物を扱い慣れている床屋さんが瀉血をしていた。まさにセビリアの理髪師もそう。今の床屋さんのクルクル回るポールがあの3色なのは、赤は”血”、青は”静脈”、白は”包帯”と言う瀉血の名残り。
時代が進むと床屋が権力を持つ様になり、ジョン・ハンターという解剖医の影響で医学が飛躍的に進歩し、床屋は床屋、外科医は外科医へと分岐していく。
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いやー面白かったです。
知識の先端を行く人々はなぜこんなにも勇気?があるのか。
ちょっと怪我しただけで騒いでる自分が恥ずかしくなるわ! -
タイトル通り、人体実験の歴史が書かれている。皮肉交じりに書かれていて意外と読みやすかった。仮に絶対安全と言われても到底できない実験ばかりだったけれど。今の医療の恩恵にあずかれているのはこのような実験の歴史の積み重ねなのだと思うとありがたいことだ。だからこそルール作りが大切なのだと理解した。
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自分の身体でガンガン実験してヤバい目に合ってまた実験して…… みたいな頭のネジの飛んだ人がいっぱい出てくるので楽しい。
登場人物みんなカジュアルに死にかけたり後遺症でQoL下がったりしててほんと命が安いのが最高。 -
人体実験と書くとおぞましい話かと思うが、医学者・科学者が自己犠牲で探究した話がほとんど