エルサレムのアイヒマン 新版――悪の陳腐さについての報告 [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 「悪を行なう意図が罪の遂行には必要であるという、現代の法体系に共通する仮説だった。」
    「彼は愚かではなかった。まったく思考していないことーこれは愚かさとは決して同じではないー、それが彼があの時代の最大の犯罪の一人になる素因だったのだ。」思考停止。これは自分を守る手段にもなる。仕事で常に考え続けることはストレスで、思考停止が自分を守る手段にもなる。これは最近よく感じる。ただ、自分が何をやっているのか、だけは考えなくてはいけない。

  • 実はアイヒマンはそれほど多くを見ていなかったのである。彼が死の収容所の中でも最も大きな、最も有名なアウシュビッツを何度も訪れているのは事実だが、しかし高地シレジアの80平方マイルの面積を占めるアウシュビッツは決して単なる絶滅収容所ではなかったのである。それは10万人にも及ぶ収容者をかかえた巨大事業であり、そこにはガス殺の対象とならない非ユダヤ人や奴隷労働者を含むありとああゆる囚人がいた。殺人施設を避けて通ることは容易にできたのだが、アイヒマンと非常に親しくしていたヘスは身の毛のよだつ場面は見せないようにした。彼は大量銃殺系を直接目撃しなかった。ガス殺の過程を直接観察しなかった。アウシュビッツではガス殺に先立って行われる労働適格者の選抜(平均して各輸送ごとに約25%)も見なかった。しかし彼は、破壊装置の営みについて十分の知識を得るだけのものは見た。すなわち、殺害方法には射殺とガス殺の2つの方法があること、射殺は行動部隊によって、ガス殺はガス室もしくは有蓋トラックによって収容所内で行われていること、そして収容所では犠牲者たちを最後まで欺きおおせるように巧妙な措置gあ取られていること。

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著者プロフィール

1906-1975。ドイツのハノーファー近郊リンデンでユダヤ系の家庭に生まれる。マールブルク大学でハイデガーとブルトマンに、ハイデルベルク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールに学ぶ。1928年、ヤスパースのもとで「アウグスティヌスの愛の概念」によって学位取得。ナチ政権成立後(1933)パリに亡命し、亡命ユダヤ人救出活動に従事する。1941年、アメリカに亡命。1951年、市民権取得、その後、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビア各大学の教授・客員教授などを歴任、1967年、ニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチの哲学教授に任命される。著書に『アウグスティヌスの愛の概念』(1929、みすず書房2002)『全体主義の起原』全3巻(1951、みすず書房1972、1974、2017)『人間の条件』(1958、筑摩書房1994、ドイツ語版『活動的生』1960、みすず書房2015)『エルサレムのアイヒマン』(1963、みすず書房1969、2017)『革命について』(1963、筑摩書房1995、ドイツ語版『革命論』1965、みすず書房2022)など。

「2022年 『革命論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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