八九六四 「天安門事件」は再び起きるか (角川書店単行本) [Kindle]

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  • 週プレ2018年6月18日号著者インタビュー

  • いわゆる「天安門事件」の当事者にインタビューした一冊。歴史に名を残すような有名人から、事件にかかわったといえばかかわったレベルの人間まで、さまざまな種類の当事者の声を載せている。それがこの本の最大の売りでもあり、もっとも難解である点でもある。

    出てくる人物がとにかく「濃ゆい」のです。その濃さが、語りにくいあの問題を語るような人物であることに起因するのか、中国・中華圏の文化に起因するものなのか、それとも著者の人選の趣味によるものなのか、その判断がつかない。その判断をつけられるほど、当方は天安門事件の知識も、中華文化圏の知識も、著書から著者の性格を読み取る能力も持ち合わせていない、それをひしひしと感じさせられる難解さを持つ一冊です。
    ただ、その人物の濃さなり気持ちの熱量なりを、スラングから文語調までの多様な文章表現で再現している、それは著者の腕であり、ウリだな、と。

    濃すぎる第四章までを総括すべく、第五章では「天安門事件が香港・台湾の今にどう影響しているか」を、第六章では「天安門事件の主要人物がそれをどう総括しているか」を、それぞれ記載している。
    このパートから「天安門事件からいかに日本が学ぶべきか」を読み取りやすくしてくれている。それが著者なりの親切さでもあり、一方で様々な人の思惑があって起こった事件を簡単化しているようにも感じる。

    「天安門事件関係者に通底する闘争失敗に起因する無力感」を「日本の学生闘争世代の無力感」に重ねるなら、なぜ中国に比べ日本の学生闘争世代はここまでダンマリなのか?「中国ではエリート層と庶民層の共通認識のなさが闘争を失敗させた」というが、その問題は日本では無縁なのか?

    いろんな疑問が湧くものの、その解をさっぱり出せない一冊。「こんな難しすぎる問題、素人が手を出すとヤケドするぞ」という実感を、Kindleセール価格だと千円以下で持つことができる。そういう意味で非常にお得な一冊。

  •  1989年6月4日、民主化を要求して天安門広場に集まった学生たちを、人民解放軍が戦車まで使って武力鎮圧した。犠牲者の正確な数は不明だが、巻き込まれた一般市民を含め一万人に達するいう説もある。29年経った現在も中国ではタブーとなっており、中国内では公然と議論することが許されない。本書は日本人ジャーナリストが多数の関係者にインタビューした上で、あの事件は何だったのか考察している。

     民主化活動はそこで頓挫したので、その後の中国の政治体制は今も変わらないが、経済面では明らかに発展している。だから活動に対する評価は様々であり、関係者たちの現在も各人各様だ。今も同じ志を抱き続けている人と、すっかり転向した人。ビジネスで成功した人と、極貧の中にある人。中国に住み続けている人と、国を出た人。どの人の言葉からも重みを感じた。

     本書でも少し触れられているが、六四天安門事件は日本の全共闘世代の学生運動に似ていると言われる。日本で武力鎮圧は無かったけれど、エリートである大学生が政府に反発して起こした点や、政治的には何の成果も得られなかったこと、それでも国は発展を遂げ、多くの参加者が転向していったことなどは共通している。

     学生たちが本当に求めていたのは民主化ではなく自由と豊かさだったという指摘がある。中国は共産党独裁のまま、自由は得られずとも豊かさは手に入った。政治の目的が国民を幸福にすることで、国民の幸福がほぼ経済発展に比例すると考えると、最近の日本の政治が必ずしも中国より高い成果を上げていないのはどういうことだろう。

     民主主義は本当に良いものなのか、今後どうしていくのか。私たち日本人もまた、じっくり考える時期に来ている気がする。

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著者プロフィール

ルポライター

「2023年 『2ちゃん化する世界』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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