情報生産者になる (ちくま新書) [Kindle]

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  • 『情報生産者になる』上野千鶴子


    まえがき
    ・研究とは、まだ誰も解いたことのない問いを立て、証拠を集め、論理を組み立てて、答えを示し、相手を説得するプロセスを指します。そのためには、すでにある情報だけに頼っていてはじゅうぶんではなく、自らが新しい情報の生産者にならなければなりません。


    Ⅰ情報生産の前に

    ・人間には時間も資源も限られていますから、一日で解ける問い、一カ月で解ける問い、一年で解ける問い、あるいは一生かけても解けない問い……があります。問いのスケール感をまちがえず、限られた時間のなかで答えが出る問いを立てることで、問いから答えまでのプロセスを経験して、「問いを解く」とはどういうことかを体感する必要があります。

    ・オリジナリティとはディスタンスである(教養との距離)
    ・誰も立てたことのない問いを立てるには、すでに誰がどんな問いを立て、どんな答えを出したかを知らなければなりません。すでにある情報の集合を知識として知っていることを、「教養」とも呼びます。

    ・そういえば、国会では議論は成り立っていませんね。「今の答えは、あなたの質問に答えたことになりますか?」という問いを、国会討論でこそ、いちいち確認してほしいものです。あの時間稼ぎのすれちがいやはぐらかしを、子どもたちが議論だと学ぶのは困りものです。 おっと腹立ちまぎれに横道にそれました。

    ・あるときゼミ生から、「先生、問題って何ですか?」という問いを受けたことがあります。あまりにシンプルな問いは、その率直さで相手から根源的な答えを引きだすことがあります。わたしはその問いに対して、とっさにこう答えていました、「あなたをつかんで離さないもののことよ」と。そして自分の発した答えに、わたし自身が驚いていました。

    II海図となる計画をつくる

    ・自分自身に「納得」という報酬は得られますが、「知の共有財」である学問の世界に付け加える価値は生まれません

    ・時代区分を六〇年代、七〇年代、八〇年代……というように十進法で区分するのは最低です。なぜなら西暦の十進法は、歴史にとってたんなる偶然にすぎないからです。時代区分には、画期となるepoch-making指標indexを用います。「画期」とは、文字通り「期を画する」という意味。指標には統計の特異点(上昇が下降に転じる点)や制度の変革、歴史的な出来事、あるいはメディアをにぎわせた事件などをとりあげることができます。

    ・問いそのものが、現にあるものに対するこだわりやひっかかりから生まれるノイズ。あなたが何者で、どこに立っているかという立場と切り離せません。

    ・問いを立てるのは、「バカヤローを言いたい相手」がいるから。がまんできないから、納得できないから、ほっとけないから……です。そしてそれは、あなたがあなただから生まれた問いです。

    Ⅲ理論も方法も使い方次第

    ・理論theoryとは現実を解釈するための道具

    ・アメリカの社会学者、ロバート・パットナム[Putnam 2000゠2006]がアメリカの地方都市を対象に、人々が築き上げている人間関係のネットワークが、その地域の「資本」であるという説を立てました。
    ・「社会関係資本」に、同質の人々のあいだに成り立つ関係を指す「結束型bonding type」と異質な人々のあいだに成り立つ「架橋型bridging type」の二類型を区別し、両者を比較しました。

    ・ここではresearch methodが社会関係資本論、survey methodが質問票調査となります。

    ・他人と口をきかなくても買い物ができ、そのつど金銭で関係を決済する貸し借りなしの匿名性の関係が、彼らの生活を支えています。

    ・民族誌そのものが、観察者のバイアスによって大きく影響されることに民族学は自覚的であらざるをえませんでした。誰が書いても同じ、透明な民族誌などというものは存在しません。民族学者はこれを「自分の身体をツール(観測器)として他者を測る」と表現します。となれば、誰が何を調査するかで、民族誌の内容は変わってきます。

    ・あとになってそのノウハウが今和次郎の考現学や川添登の生活学、果ては赤瀬川原平の路上観察学に至るまでの民間学の伝統を受け継いでおり、KJ法に近い質的分析法を採用していることを知りました。その創始者がパルコ会長(当時)の増田通二さんであり、その増田学校のもとで『アクロス』編集長だったひとのひとりが、三浦展さんだったことを後になって知りました。

    Ⅳ 情報を収集し分析する

    ・言語情報には(1)語word、(2)言説discourse、(3)物語narrativeの三つの次元があります。言説は語の集合、物語は言説の集合で、分類の階級classが違います。

    ・因果律とは、Aという出来事が起きた後に、高い蓋然性でBという出来事が起きる、という以上のことを意味しません。
    ・Aの次にBが起き、その後にCが続いた……というときに、これを物語、と呼びます。
    ・物語とは、その解釈のための装置です。

    ・KJ法の原理はとてもシンプル。情報をいったん脱文脈化したあとに、再文脈化するだけ。川喜田さんの言い方を借りれば、五里霧中の情報のなかから、筋道を見つけることをいいます。そのとき二次的に得られた再文脈化こと筋道が、情報加工の生産物になります。

    Ⅴ アウトプットする

    ・精神科医の斎藤学さんは、専門家とはものごとをよく知っているひとではなく、適切な質問をくりだすことができるひとのことだ、と言ったことがあります。

    ・AはBである
    ・AはCという根拠によってBである

    Ⅵ 読者に届ける

    ・概念をconceptと呼ぶのはもっともなこと。conceptの語源はconceive(孕む)から来ていますし、conceptionとは、ずばり、受胎を指します。なぜならアイディアというものはふところに抱いて温めながら、熟すのを待つものだからです。

    あとがき
    ・高等教育の価値は、知識を得るためにあるのではなく、いかにして知識を生産するかというメタ知識を得ることにあります。文科省が無価値だと言いたげな人文社会科学が重要なのも、それらがメタ知識を得るために必要だからです。メタ知識が重要なのは、たとえありものの知識がスクラップになっても、新たな知識を自ら産み出すことができるからです。つまり、予測も制御も不可能な世界のなかで、どこでも、いつでも、生き抜いていける知恵を持つことができるようになることです。

  • p.2022/8/17

  • 國學院大學教員からのおすすめ

  • 研究の進め方について。

  • この本は論文の書き方の本ではあるけど、初心者向けではない。専門用語ばっかりこんなに大量に出されても初心者に理解するのが難しい。

    作者がどういう心掛けで論文を書いていくかの知的生産の方法は緻密に書いてあるけど、それを読者に理解できるように噛み砕いて書いてはいない。

    あと、内容にジェンダーとか政治とかそういう色がついていて読んでいて理解を阻害された気がする。

    でも、フォーマットというものは素人でも一定以上の文書を書けるようになる技法であると思った。この本は論文を書くフォーマットを学ぶことができる。

    他に論文の書き方入門の本を読んでみて、実際にこの本で言われている事が実践的なのか確認してみるのは面白そうと思った。

  • 筆者の書籍を読むのは初めてだが、読みづらい。

    あまりに省略が多すぎるし、とても研究者が書く文章とは思えない。
    読んでいて疲れるし、構成も妥当性が示されていない。

    あまり練られた書籍とは言えないのでは。

    それに、生産者が消費者より偉い、という主張のロジックがかなり微妙だ。

    消費者は生産者になれないが,〜のくだりが最高にくだらない。

    この本は文字通り著者のshitとでも呼ぶべき本ではないだろうか。

  • ○高等教育以上の段階では、もはや勉強(しいてつとめる) ではなく、学問(まなんで問う) ことが必要です。
    ○他人の生産物のしんらつな批評家になることは誰にでもできますし、ときにはそれは快感でもありますが、ならオマエがやってみろ、と言われて代替物を提示するのは容易ではありません。
    ○第一は自明性の領域を縮小すること。第二は疎遠な領域を縮小すること、それを通じて情報の発生する境界領域、グレーゾーンを拡大することです。
    ○すでにある情報の集合を知識として知っていることを、「教養」とも呼びます。教養がなければ、自分の問いがオリジナルかどうかさえわかりません。
    ○情報生産者になるには、アウトプットが相手に伝わってなんぼ。なぜなら情報生産とはコミュニケーション行為だからです。
    ○他人はあなたの感情や経験、思い込みや信念を聞きたいのではありません。ひとが他人の人生にあまり関心を持っていないことを、骨身にしみて知ることは多いでしょう。
    ○文章とは相手に正確に伝わってなんぼ、だからです。もし誤読が起きるとしたら、それは書き手の責任。
    ○一昔前は、それを「問題意識」と呼んだりしました。問題意識がないと問いは生まれません。情報論的には、ノイズをキャッチする感度と言い換えてもよいでしょう。ノイズとは、現実に対する違和感、疑問、こだわりのようなもの。自明性(あたりまえ) の世界で思考停止しているひとには発生しません。
    ○ちなみに社会科学者は「本質」という非歴史的な概念を使いません。
    ○情報生産者が立てる問いは、第一に答えの出る問いです。そして答えはつねに暫定的なもので、いずれ新しい答えに置き換わっていくことでしょう。
    ○誰から命じられたわけでもない自分だけの問いを自分で解く、そんな極道をやっているのに、いったい誰に文句をいうのか、こんな贅沢があろうか、
    ○情報の鮮度は雑誌やミニコミ、専門誌のほうがはるかに先行しています。
    ○それは誰もが思いつくような凡庸な問いには、先行研究が大量に存在すること、反対にめったに他人が思いつかない問いには先行研究が少ないことです。
    ○どんなに偉い大家の論文でも、「批判的に読む」という訓練をしてきました。
    ○仮説とはかんたんに言うと、「思い込み」や「予断」の別名です。
    ○やりたいことより、できること。とりあえず目の前にある手に負える課題を解いてみて、そうか、こうやれば解けるんだ、と達成感を味わうのがとても大事
    ○著しく少ないという、加害者と被害者のあいだにジェンダーによる認知ギャップがあるのです。
    ○問いを立てるのは、「バカヤローを言いたい相手」がいるから。がまんできないから、納得できないから、ほっとけないから……です。
    ○情報はノイズから発生します。ノイズ(ひっかかり) のないものは情報に転化することはありません。観察者にとって自明なもの、あるいはその対極にあって観察者にとって認知的不協和を起こすものは、いずれも情報になることはありませんから、フィールドノートに記載された観察記録とは、自分自身の「観測器」としての性能の記録でもあります。
    ○仮説や予想を超えるデータを発見するために、質問紙調査にはかならず「その他」という項目を付け加えます。「その他」にある「自由回答」欄は、発見のためには宝の山なのですが、統計処理の過程では無視されてしまいがちです。
    ○通常、言説は二語以上の語が結合して、意味のある文章をつくります。言語情報とは言説の集合、それを文脈化して物語を紡ぐのが、「論文を書く」ということだと言ってもかまいません。
    ○複数のサンプルにインタビューするときには、最低限これだけは共通に聞いておこうという項目を立てておかなければ、あとで比較することがむずかしくなります。
    ○半構造化自由回答法の面接の場合には、会話の主導権を被調査者に与えるように誘導しなければなりません。
    ○話し手にとって何が大事かは、話し手自身が決めます。調査の主題と一見関係なさそうなことを相手が話しだしても、基本、遮らないようにしましょう。
    ○自分の事例は使わないでくれ、とか、ここはこんなふうに言っていない、と言われれば、涙をのんで応じなければなりません。たとえ音声記録があって証拠が残っていると言っても通りません。口頭発言の著作権はすべて発言者にあります。
    ○ひとは問われないことには答えないものです。
    ○インフォーマントは情報提供者の意。
    ○決してやってはならないのは、キーワードで集合をつくることです。
    ○経験的にも七、八人とはひとつのテーブルでひとつの話題を共有することのできる上限の人数。これにもやはり身体的な限界が関わっているかもしれません。
    ○人間の身体的スケールが要請する情報処理の限界というものがあります。
    ○質的調査であれ量的調査であれ、調査はしょせんデータ収集の方法にすぎません。研究とは、立てた問いにふさわしい対象と方法を選び、データ収集をした後に、問いに答える過程を言います。
    ○プレゼンとは思考の過程よりは思考の結果を示すことです。
    ○論文のコミュニケーション技術とは説得の技術であって、共感の技術ではありません。
    (1)タイトルで勝負!  タイトルは大事です。タイトルを見ただけで何が書かれているか、読み手に想像できなければなりません。
    (2)問題設定が決まれば、半ばまで成功は約束される。
    ○職業的読者であるわたしは、表紙から奥付けまで一冊の本を頁の順番に読むことはめったにありません。目次から判断してピンポイントで必要な情報に到達します。それがおもしろければ前にさかのぼり、あとに続き、気がつけば表紙から裏表紙まで読み終わっていたということはまれです。そういう読書の快楽を味わわせてくれる本とは、めったに出会えません。
    ○論文の基本は問いと仮説、根拠と発見、そして結論がわかるような書き方をすることです。
    ○口頭でのプレゼン能力と論文を書く能力とは別のもの。一方が他方を保証するわけではありません。両方を身につけてバイリンガルになる必要があります。
    ○研究論文はエンタメではありませんから、読書の快楽のために読むわけではありません。価値のある情報を手に入れるために読むものです。
    ○初学者の陥りやすい過ちは、知っていることをすべて書きたくなることです。
    †自明だと思われる情報を省略しない  それとは反対に、もうひとつの初学者の陥りやすい過ちは、自分にとって自明のことがらを説明抜きに省略してしまうことです。よく知っていることは情報にもならないもの。自分にとってわかりきっていることと、読者にとってわかっていることとはちがいます。
    †概念や用語は定義して用いる
    ○特定の概念や、用語・用字は、いったん採用すると決めたら最後まで同じ表記を使います。そしていずれの場合にも、採用した概念や用語には、「以下の意味で使う」という定義が必要です。
    ○本文と引用の別がわかるように書く、言い換えれば、他人の考えと自分の考えを区別し、その違いがわかるような書き方をすることは大事です。
    ○ある先輩研究者が、論文というものは九割までが借り物で、残り一割がオリジナルならそれでいいんだ、と言ったことがありますが、研究者コミュニティに属するというのは、そういうことを言います。
    ○必要な本はかならずアンダーラインを引きながら読みます。アンダーラインした書物は二度読みます。二度目はアンダーラインの部分のみを集中して読み、二度アンダーラインを引いた部分に付箋をつけます。
    ○引用は本文中でここぞ、というところで一回だけ、使いましょう。
    †わかりやすい日本語で
    そしていちばん大切なのは、わかりやすい日本語で書くということです。論文のメッセージを発信しているのはあなたであり、その内容に責任があるのはあなた一人なのですから、ここは一人称単数形である「私」を使いましょう。
    †誰に宛てるか?
    最後に論文を書くうえで大切なことを述べましょう。それは誰に宛てて書くか? 調査倫理的にいうなら、論文の第一読者はまずもって調査対象者でなければなりません。調査結果はまず調査対象者にフィードバックします。「文」とはもともと、手紙のことをいいます。誰かに宛てて書くものが、文章の基本の「き」。そのような顔の見える宛て先を同時代に持てる書き手は、しあわせだとも言えます。
    0 基本の「き」 ・自分にできないことを、他人に要求しない
    1 はじめに ・コメントは、(1)書き手の言いたいことに沿ってその意図がよりよく通じるように示唆を与え、(2)論旨の欠陥や議論の問題点を指摘し、(3)ありうる批判を予測して書き手にディフェンドするための知恵を授ける、ためにあります。
    ・コメントと批判は違う。だから揚げ足取りや、ためにする批判をしない。
    ・コメントと反論は違う。だから自分の異論や反論はおしつけず、論文が発表された後に、あらためて書評や論文のかたちで発表する。
    ・問題点を指摘した場合には、「なら、どうする」という代替案を示すのが親切
    2 内在的コメント ・内在的コメントとは、書き手の論旨や主張に沿って、それを受け入れたうえで、なおかつ論旨の非一貫性や、不徹底さ、その拡張や応用の可能性について、書き手に代わって、示唆するものです。
    ・全体の構成・目次 ・論理展開や理論・概念装置
    ・先行研究や調査データの網羅性や解釈
    ・論旨の妥当性・説得力
    3 外在的コメント ・書き手の射程に含まれない視点からの、限界や欠陥を指摘します。書き手はしばしば自分の構図のなかにとらわれて、自分のアイディアを大局的かつ相対的に見ることがむずかしいものです。それを外在的な視点から指摘することで、書き手の射程や地平をいっきょに拡大することができます。外在的コメントもまた、書き手の趣旨や意図をよりよく表現するための示唆であり、書き手を否定するためのものではありません。
    ・外在的コメントはないものねだりに堕しがちである。そこにすでにあるものをポジティブに評価し、… エクスポートの制限に達したため、一部のハイライトが非表示になっているか、省略されています。
    ○「自分にできないことを、他人に要求しない!」
    コメントと揚げ足取りは違います。コメントはケチをつけることではなく、(1)書き手の言いたいことに沿ってその意図がよりよく通じるように示唆を与え、(2)論旨の欠陥や議論の問題点を指摘し、(3)ありうる批判を予測して書き手にディフェンスのための知恵を授ける、ためにあります。
    ○「これとこれとこれについて、これからこの順番で議論したいと思います」
    司会者の役割は、有限な時間資源を有意義な議論のために有効に使うことです。
    シンポジウムでは司会者をモデレーターとかコーディネーターとか呼びます。調整し、仲介し、異なるものを結びつける役割。ひとりひとりの参加者よりも俯瞰的にその場をながめながら、議論の道筋と着地点を考え、シナリオをあらかじめ想定しておくがシナリオどおりに行かなくてもあわてず臨機応変に次の対応ができ、参加者と聴衆に満足感を持って帰ってもらう、という重要な役割です。
    ○「志は高く持ってもらいたい」
    ○「まずはやりたいことをやってみたら?」
    ○一言では済まないから何枚も論文を書く必要があるわけですが、それをあえて一言で伝えようとすることで、何が相対的により重要で、何が不要なのか、という選別が迫られます。主張内容を一言で述べることが、論文の骨組みを明瞭にしてくれます。
    ○「問いと作業方法が一致してないんじゃないですか?」 「AはBである」という構造をもう一段階現実の論文に近づけるとすれば、「AはCという根拠によってBである」という形になるでしょう。「AはBである」という主張だけでは、単なる断言でしかありません。なぜ「AはBである」と言えるのかという根拠Cが論文にとって中心部分となります。具体的には、調査や分析・考察といったものがCにあたります。
    〇十分のあいだに、問いの設定から、対象と方法、論証、発見、結論までを示さなければなりません。
    ○代わりに登場したのがパワポ依存です。パワポにあることは逐一その順番で話さないとならないようになりましたし、反対にパワポにないことは話しにくくなりました。
    ○ですから「立て板に水」のような「雄弁」は、実は雄弁とは言えないのです。
    ○質疑応答では、予期せぬやりとりがもたらされます。もちろん聴衆の反応のなかには、内在的コメントと外在的コメントの区別のように、応えるべき問いと応じる必要のない問いとがあります。神ならぬ身に、すべての問いに答えなければならないという責任を引き受ける必要はありませんから、愚にもつかない質問はスルーすればよいのです。スルーの仕方にも芸があります。いちばん簡単なのは、問いには問いで返すこと。「そうおっしゃるあなたご自身のお考えはいかがですか?」
    ○コミュニケーションとは賭けだ、と言ったひとがいます。差し出したものを相手が受け取るかどうかはわからない。差し出したものとは違うものを受け取るかもしれない。差し出した以上のものを、受け取ってもらえるかもしれない。足場のない未来にそのつど踏み出すという行為がコミュニケーションなら、発話はその基本の「き」ですし、そのために貴重な時間資源を与えられるというプレゼンの機会を活用しない手はありません。
    ○「しろうとにわからないことは、くろうとにもわからない」のですから。むしろ前提を共有しないしろうと読者に向けて書くほうが、ずっとスキルを要求するかもしれません。
    ○読者論によれば、読者には「正統な読者legitimate reader」と「非正統な読者illegitimate reader」とがいます。正統な読者とは、そのひとに宛てて読んでもらいたいストライクゾーンどまんなかの読者。非正統な読者とは、直接宛て先にしたわけではないが、たまたま立ち聞きした読者のことです。
    ○最新のテキスト論によれば、テキストは生産‐流通‐消費の過程を経て、完結します。読者があなたのテキストを消費する過程で、初めてテキストは再生産されます。読まれないテキストはデッドストックになるだけです。
    ○ただし、自分がほしいまだ見ぬものが何か、がわかっている必要があります。いわば夢を見る能力、それだけでなく夢をかたちにする能力と言ってもよいでしょうか。
    ○ネット上のアイデンティティ管理や自己ブランド化、マーケティング戦略なども含まれてくるでしょう。
    ○情報生産者とはまだ見ぬコンテンツを世に送る者たち。そしてそれを公共財にしたいと願う者たちです。そのためにはあなた自身が「今・ここにないもの」を夢みる能力を持っていなければなりません。もういちど、冒頭に戻りましょう、それこそが「問いを立てる」能力のことです。
    ○文体パスティシュとは文体模倣のこと。最近では神田桂一・菊池良『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』[2017]が注目を集めて
    ○高等教育の価値は、知識を得るためにあるのではなく、いかにして知識を生産するかというメタ知識を得ることにあります。

  • これをもって全ての社会学がとは言いませんが、社会学とはどの様なものかが平易且つ赤裸々に書かれています。

    常日頃から「どこでもいいから大学へ」と言っている親御さんや受験生の皆さん、これを読んでせめて学部ぐらいは意識して選びませんか?

  • 読み始めると憤りを抑えきれず、我慢して読み進め、読み終わった頃には、ぐったりとなった本だった。

    え~、著者も言ってますが、タイトルは『(社会学の)研究者になる』もしくは『(社会学の)論文の書き方』のほうが正しいでしょう。

    読み進めると、「大風呂敷を広げず、身の丈に合ったテーマを選び、そつなく論文を完成させましょう」・・・だとぉ!!

    八つぁん、熊さんはここで憤っちゃうね。「先生さんよ、人って~のはよぉ、何か、こう成し遂げたいことがあって研究者になるんじゃねぇのかよぉ。テーマが目的で研究者になるのが手段。これじゃあ、本末転倒じゃぁねぇか!!」。

    あと、これは著者が意図的に書いてるんだろうけど、社会学はテーマを選び(捏造もありうる)分析して論文にして終わりみたいなとこ。解決策を提示するみたいなことはほとんど触れていない。

    やっぱ、人文系は本来、貴族(有閑階級)のアクセサリーだよなぁ。サロンで「あら、あ~た、そのような論文を発表なさったの、わたくしは・・・」なんて会話をするためのもの。

    ただ、読み進めると怒りがトーンダウンしてくるのは、著者は確信犯で、ある種の含羞が文章から滲み出ること。「我ながらヤクザな稼業だぜぃ」みたいな。

    優秀で(プロの)研究者になれるのはほんの一握り。あとは一生悶々とした自己顕示欲を抱えた『意識高い系』を粗製乱造する学問。

    勢い余って独りよがりの正義感を振りかざす市民活動家や地方議員にでもなれば周囲に与える経済的損失は・・・。


    以上、チコちゃん(の取り巻き)に殺される覚悟で書きました。

    PS.そうそう、より好意的に見れば、同業他者に「トランプ大統領が誕生し、イギリスがEUから離脱するなか、『日本で文革やポル・ポトなんて起きるはずがな~い』なんて言い切れるの? ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言ってるのかもしれませんネ。

  • 研究をすすめる上でのコツがさっくり理解できます。学部生にお勧めしたい。

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著者プロフィール

上野千鶴子(うえの・ちづこ)東京大学名誉教授、WAN理事長。社会学。

「2021年 『学問の自由が危ない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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