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感想・レビュー・書評
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ノルウェイの森は私が初めて読んだ村上春樹作品であると同時に、
彼にハマるきっかけとなった作品でもあります。
主人公含め、登場人物ひとりひとりが非常に個性的で
この世界観に惹きつけられるにはそう時間はかかりませんでした。
本書で出てくる人たちは、全員何かが欠けたまま生きているー。
しかし皆それがなんなのかわからず、
心に深い疑念を抱えたまま生活している物悲しさがありありと伝わり、
心が常に締め付けられているような感覚になりました。
そういった言葉に出来ない心のもやもやした違和感のようなものや、繊細な感情を、平易な文章にして表現できるというのは、村上春樹の凄みとしかいいようがありません。
幾重にも折り重なる人の人生たちを、ここまで調和させることのできる作品にはなかなかお目にかかれません。
上下巻1000万部を売るベストセラー「ノルウェイの森」
皆さんもぜひ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
小説全体を「膜」のようなものが覆っている。たぶんそれは主人公の主観で語られた話だという点や、現在進行形ではなく「回想」という意味合いをこの小説が持っているからだ。
主人公である「僕」=ワタナベ君は37歳の"いま"飛行機の中で過去のことを思い返す。17歳から20歳のころの自分にあった出来事を。
そこであったひとつひとつの出来事は、ひとつひとつが何かしらの意味がありそうにも見えるし、大した意味のない出来事の羅列のようにも見える。言ってみればこれはワタナベ君の独り語りであり、物語というよりはエッセイに近いのだ。小説や文学という手触りよりも、キラキラとした春の景色や、寒々しい冬の記憶を、「こんなことがあったんだ」と聞かされているような、そういう語り口。だから必ずしも登場した人物がそれぞれ何らかの重要な役割を持っているわけではなく――例えば最初の数章でのみ登場する突撃隊とか、永沢さんの恋人であるハツミさんとの一夜の出来事とか、意味がありそうで別にない(意味を読み取り、意味を与えることは可能だろうから反論はあるだろうけど、私には”必然性”は感じられないものばかりだった)。しかしそのリアリズム小説のような書き方だからこそ、読者それぞれに多様な受け取り方を許し、ワタナベ君の一人称「外」で起きていた出来事・感情についても想像の余地ができる。その点で、必然性のないエピソードを適当に羅列しているように見えて、実際には周到に、精巧に形成された作品だ。
人は、さまざまな経験を通して自己を形成し、そうして積み重なって出来たものが「いまの自分」だと思っている。そんな風に自分の存在を自覚している人が大半だ。しかしそうではない。『ノルウェイの森』のラストシーンで電話ボックスにとらわれたワタナベ君のように、人は経験を通して、誰かの生や、誰かの死にふれることによって、”自分をどこかに置いてきている”のではないだろうか。
置きざりにした自分を取り戻す方法は無い。得た経験を無かったことにすることが出来ないのと同じくらい、それは不可能なことだ。できることと言えば「失ったことを思い返す」ことくらいなもので、私たちはいつも自分を「すり減らし」ながら生きている。
その、「失くした瞬間」を描いて物語は幕を閉じる。37歳の「僕」に時間が戻ることは無い。今と過去を繋げてしまった時点で『ノルウェイの森』は敗北する。描こうとしたものを描けなかったという宣言にしかならないから。
そんな、誰しもが知る「喪失感」についての物語。失くした先にしかいまの自分が無いのだという圧倒的な生と死についての実感。ラストの電話ボックスにはそのような、かけがえのない「何かを失ってしまった」という感覚が、投げ出された先にある「いまの私」という実感がある
たぶん『ノルウェイの森』の悲劇は(あえて悲劇と言わせてもらいます)、マスターベーションについて緑に報告するワタナベ君を見て「うははは、赤裸々すぎるだろ!」と笑ってくれる読者があまりにも少なかったことにあるんじゃないか。そういう読み方でぜんぜんいい気がするし、そのバカっぽさみたいな部分まで高尚なものとして捉えられてしまうのは、この小説にとって悲劇なんじゃないかと、そんなことを最後に思う。
やれやれである。-
こんにちは。はじめまして。
>そういう読み方でぜんぜんいい気がするし、そのバカっぽさみたいな部分まで高尚なものとして捉えられてしまうの...こんにちは。はじめまして。
>そういう読み方でぜんぜんいい気がするし、そのバカっぽさみたいな部分まで高尚なものとして捉えられてしまうのは、この小説にとって悲劇なんじゃないか
そう。自分もそんなことを思いました。
村上春樹って全然ファンじゃないんだけど、『みみずくは黄昏に飛びたつ』を衝動買いで読んだら面白くて。
それで『ねじまき鳥』、『1Q84』、そしてこれと読んだんですけど、村上春樹って、ストーリーや登場人物にかなり茶化しを入れてますよね。
それが村上春樹特有のユーモアでありギャグだと思うんだけど、世間にある村上春樹=有名な作家、あるいは村上春樹=ノーベル賞(を取るかもしれない)という情報によって、歪められ、権威づけられちゃっていて。
それこそ、「こんなこと書いちゃ怒られちゃうかもしれないけど…」みたいに、イマイチピンとこなかった人が恐る恐る感想を書いているみたいなところがあるように思います。
ブラック・カントリー,ニュー・ロードを聴いていた人を見ていて、たまたまこの本の感想を見たんですけど、同じような感じた人がいたのを見て嬉しく思いました。2024/05/01 -
本ぶらさん、はじめまして。こんばんは。
コメントありがとうございます。『ねじまき鳥』にしても『1Q84』にしてもちょっと抜け感のある村上春樹...本ぶらさん、はじめまして。こんばんは。
コメントありがとうございます。『ねじまき鳥』にしても『1Q84』にしてもちょっと抜け感のある村上春樹の会話シーンってイコール作者的にはギャグのつもりで描いてる気がするんですよね。全部が全部ではないですが。でもある面で権威化してしまったせいで、しかもコミュニティが強すぎるせいで、そういうことが指摘しづらくなっている気がします。村上春樹の語りづらさってたぶんそういうところから来てると思いますし、もっと軽い気持ちで読んでいいと思うし、軽い感じで感想書いていいのに、という気持ちで書きました。なのでそう言ってもらえて嬉しいです。書いてよかった~としみじみ思います。
ブラック・カントリー,ニュー・ロード良いですよね!ブクログ経由で共通した音楽を聴いてる人からコメントをもらえることって滅多に無いのでこれまた嬉しかったです。2024/05/01 -
再度コメント失礼します。
>ちょっと抜け感のある村上春樹の会話シーンってイコール作者的にはギャグのつもりで描いてる気がする
それ...再度コメント失礼します。
>ちょっと抜け感のある村上春樹の会話シーンってイコール作者的にはギャグのつもりで描いてる気がする
それ、最初に『ねじまき鳥』を読んでいた時は全然気づかなかったんです。
いや、ギャグっぽいなーとは思いつつ、気のせいかな?って特にかんがえもせずに読み進めちゃったという方が正しいかな?
その後もそれは『1Q84』を読んでいて、時々感じていたんですけど、明確に感じたのは『1Q84』のB00K3で牛河の外見の描写を読んでいた時と、『ノルウェイの森』の延々続く主人公の陰々滅々とした独り語りを読んでいた時だったと思います。
これって、たぶん村上春樹流のユーモアなんだろうなって思ったんです。
>もっと軽い気持ちで読んでいいと思うし、軽い感じで感想書いていいのに
本当にその通りですよね。
ていうか、崇め奉るあの風潮は村上春樹本人のためにもよくないって思うんですけどねー。
ま、自分も日本人なんで。
ここまで来たら、村上春樹にはノーベル文学賞とってもらいたいって思うんです。
そのためにも、村上春樹の小説に文句言うのはイケナイこと的な空気はよくない気がします。2024/05/03
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(たぶん20代のころに1回読んでいて、再読記録だと思います)
大学生って、こういう独特の不安定さの中にいる時期だったなぁと思い返し、読んでいて、しまっていた心の奥の記憶や感情が蘇ってきた。
それは過去を思い出したのではなく、しまっておいたその部分を、自分が今も現在進行形で(もっとも、完全に過去になることなどないのかもしれないが)引きずっているから。
冒頭の主人公ワタナベの年齢が、まさに今の自分と近いということもある。10代の頃は、このくらいの歳になったらもっと「大人」になるのだと思っていた。そんな幻想を抱いていた。
大学生とは、とても独特な時期だと思う。
中学校や高校のように、時間が先生という大人によって良くも悪くも管理され、守られているわけでもない。
一人の人間として独り立ちした大人でも、常に親の管理下に置かれる子どもでもない。
よくモラトリアムと呼ばれる、確かなものが何もない、独特の不安定さの中に置かれた時代。
生と死の境界すらも(というより、境界があるのだと信じて疑わなかったものが)、曖昧になる時期。
大学生を中心に描いた作品はたくさんある。中でも、私がもっとも心を揺さぶられたのは、何度も書いている通り宮本輝氏の『青が散る』で、その中でも「死」は身近なものとして描かれる。
けれど、本作は、『青が散る』のような「死」に向かうまでの重さのようなものがなく、ワタナベの周りの人たちは、まるで電車から降りるように(この表現は、大崎善生氏の小説―確か『スワンソング』―に出てくる)死を選ぶ。
かわって描かれるのは、直子やワタナベといった、残された側の苦悩。(作品自体がワタナベの一人称だからというのももちろんあるのだろうが)
ワタナベは、これからも死とともに生きていくことができるのだろうか。
冒頭の場面からは、きっとこのまま痛みをかかえて生きていくのだろうと思う。この物語が喪失と再生の物語だというのなら、それは描かれたことになる。
一方で、緑はどうなんだろう。
あるレビューに、国語の先生の「描かれてはいないけれど、たぶんこの後緑は死を選ぶよ」という言葉が忘れられない、とあった。それを読んで、その時はえっと思ったけれど、考えていくうちにそうかもしれない、と思うようになった。
作中でたぶん唯一太字になっている言葉が、上巻p54「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」という言葉。
言葉自体はありふれたものだが、それをほんとうに実感している人はどれだけいるのか。
私の近くにも、「電車を降りるように」死を選んだ人がいる。そういう人が読むには、この物語はもしかしたらとても危ういのではないかと思う。
それから、これも村上氏の他の小説でも繰り返し描かれていると思うが、記憶についての描写も、とても心に響いた。感動ではなく、冒頭に書いたように、動揺という意味で。
ところで、村上氏は本作について、死と性についてしか描いていない、と言ったそうだが、☆−1の理由はそこにある。
(以下は完全に蛇足なので省略。全文はブログにて)
レビューブログ
https://preciousdays20xx.blog.fc2.com/blog-entry-526.html-
こんにちは。はじめまして。
>描かれてはいないけれど、たぶんこの後緑は死を選ぶよ
なるほどー。
緑のことはあまり考えてなかったので、その...こんにちは。はじめまして。
>描かれてはいないけれど、たぶんこの後緑は死を選ぶよ
なるほどー。
緑のことはあまり考えてなかったので、その想像は意表をつかれて面白かったのでコメントしてしまいました。
上巻の1章で主人公が緑のことを一切語ってないのは違和感だったんですよね。
だって、普通に考えたら会わないわけがないんだから。
会えば、長くは続かないにしても、なんらかの関係を持つはず。
一時的にでも緑となんらかの関係を持てば、主人公は直子への想いを断ち切れるはずだから、他の女性ともちゃんとつきあえるはず。
ということは、主人公はその後、緑と会っていない。
なぜなら、主人公は緑に電話した直後に自殺(未遂)をしたからだ…、と自分は想像したんです。
(ていうか、37歳の主人公の回想に緑をはじめ、いろいろな女の名前が出てきちゃった日にゃぁ、お話が台無しw)
ただ、緑は明るく振る舞っているけど、実生活と内面ではいろいろ葛藤を抱えているんですよね。
だとすると、主人公が緑と会っていない理由が緑の自殺だったというのは展開としてあり得なくはないですよね。
いや、すごく興味深くて面白かったです。
そんな風に、自分が想像もしない他の人の想像を聞けるのはすごくエキサイティングで楽しいです。
ありがとうございました。
2024/05/03
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村上春樹作品で有名なのに
何故か読んでいなかった。映画化されていたからなのかもしれない。
時代背景は、学生運動後の若者の精神的混沌としためんどくさい男女。
月並みだが、緑の「お金持ちはお金がないと言えることよ」や
永沢の「自分に同情するな」は読む前から周知していて、あ〜このシーンだったのかと答え合わせを楽しんだ。
時折り育った環境のせいにして親の育て方に文句を言ってた自分にもこの台詞は刺さった。
女は恋愛中に不安になり被害妄想で男を責めたりしてしまう。愛されているかのお試し行動と
今はわかっていても、自己肯定感が低い人間は
親から貰いたかった愛情を恋愛に求めてしまうものだ。恋愛の最中に自分と向き合っておかなければ結婚してから自分へ同情する癖が出てしまうと
結婚生活は不幸なものになる。
2001年頃にクォーターライフ クライシスと
言う言葉が出来たと言われているが、
昔から若者はモラトリアム期にめんどくさい思考をするものだとこの本を読むと解る。
全ての若者に読んでもらいたいし、
かつて若者だったミドルエイジは自分の子どもが
恋人を連れてくる時にこの本を読み返して貰いたい。
若い時期に本を沢山読むのは心の養分になる。 -
初めて読んだのは大学生の時。
自分の心の欠落した部分が、この物語を強く吸い込んでいくような感覚に陥り、夢中で読んだ。
作品が心の穴を通って胸の奥深いところまで響いてくる。響きすぎて時に息苦しい。生きることも辛くなる。
健全な家庭に育った人には理解しにくい世界観かもしれない。 -
村上春樹さんの小説を読んでると
心がしーーーんとなります。
物語が好きというよりはそれが好きです。 -
中学のときにふと父の本棚からひいて読んだらとりこになっていました。憂鬱さがどんどん透明に綺麗になっていく。直子の冷たい雨のようなところとか、緑の生身の熱をちゃんと持っているとことろとかがとってもすてきで大好きです。
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この本がベストセラーになっていた時に興味本意で購入。当時20代でしたが描写が細かすぎて早々に投げ出し。50代となって何故か今は感情移入し共感しながら一気読み。生きていくことの重みがこの年になってやっと理解できるようになったのかと思います。若いときには目を背けて鈍感力高く生きてきたけれど、実はとても傷付きながらそこは正視できずに生きてきた。これは単なる恋愛小説とか青春小説ではない。傷に向き合えるかどうかなのだと思います。若い時にわかりたかった!でも深く共感できるようになり、還暦近付くとかえって深く共感できるのかもしれません。テーマは重いけれど勇気付けられる作品です。繰り返しになりますが若い時に理解できていたらもう少し、人生深く生きられたのになあと残念にも思いますが、まだまだこれから!共感力高く生きていきたい。
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オーディブルで。学生時代に読んだ時より細かいところもたくさん共感できた。繊細で、切なくも素敵な恋愛小説。
でも、村上春樹の小説に出てくる女性にはどうも共感できない。いい子であっても男子の前ではわがままで、お姫様のように扱われたく思っていると感じてしまう。女の子ってそういうものでしょ、的な台詞にはウンザリ。バリバリなバブル世代のような。そして私は主人公の男性には全く見向きもされないその他の女子なんだろうなあと思って少し落ち込む。