- Amazon.co.jp ・電子書籍 (540ページ)
感想・レビュー・書評
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日本を代表する社会学者の手による学術史。600ページを超える本ですが、講義形式で進められるのでスムーズに読めます。
社会学はフランス革命以後、近代社会の成立と相前後して生まれ発展していきます。何故か?
そこには社会学が負わされた宿命があるというのが筆者の見立てです。
目の前で起きている社会事象がある、現に起きているから起きて当然だと見えるけれど、社会学をする上では、こういうことは起こりそうもないという不確実性の感覚が必要だといいます。
つまり、フランス革命以前、社会秩序を説明してきたキリスト教がその正統性を失っていくなかで、「社会秩序はいかにして可能か」という命題に答える役割を担ってきたのが社会学だというのが筆者の主張です。
このような課題設定をもとに、講義は社会学前史のホッブズ、ルソーから始まり、マルクスやフロイトなど、従来なら対象とされてこなかった人物まで見渡します。結果として、本書は西洋近代思想史といってもいい幅の広さと重層性を備えたものになりました。
なかでも本書の白眉はマックス・ヴェーバーでしょう。ヴェーバーは1864年生まれ、20世紀初頭に活躍した社会学の大立者です。
ヴェーバーの主題は「なぜ西洋においてのみ近代化が可能だったのか」です。
世界文明の視点からみれば辺境に過ぎなかった西洋の社会経済制度が、世界を支配するに至った原因は何だったのか?
彼の編み出した答えは「合理化」でした。そしてその背景にキリスト教、なかでもプロテスタント(特にカルヴァン派)の神と人間との関係にありました。
主著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読み解く部分は、平明な論理を飛び越えて、非常にアクロバティックかつスリリング、現代社会を覆うグローバリゼーションをも俯瞰する骨太さを感ずることができました。
ヴェーバーは1920年、世界的大流行したスペイン風邪で亡くなります。もし彼が現代に生きていたら、現在のコロナ禍の社会をどう読み解いたでしょうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
分厚い新書だったが取り敢えず読了。本書は社会学の歴史をかなり網羅的に記述しており、社会学の学者とその学者が唱えた概念を読みやすく説明している。私の理解力不足なだけだが、そのときは理解したつもりだったのだが、読み終えるとあんまり覚えてないという感じになってしまった。また時間を見て再読したい。本書は学者と著作をセットで紹介してくれるので、興味をもった学者の本をすぐ引けるのはとても良いと思った。マルクス、デュルケーム、ゴフマン、デリダ、ボードリヤールは機会があったら読んでみたくなった。
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とてもおもしろい。
そしてむずかしい。よく分からない箇所もたくさんある。
上の文章は矛盾しているように思えるかもしれないけれど、そんなことはない。
まず今まで知らなかったり、曖昧であったりしていたことについて新たな発見があったり、納得できたりする箇所がそこここにある。
「なるほどなあ」「そうだったのか!」という面白さ、まずはその面白さに支えられて読み進めることができる。
(個人的には末尾のフーコーの解説などはすっきり感が大きかったです)
ただ私は社会学や哲学は門外漢なので、デュルケームやジンメル、パーソンズなんてほとんど初めて知ったような人ばかり。そんな人たちの考え方や用語を説明されても正直「?」な個所は山ほどあるわけです。
ただ本書はタイトルの通り「社会学史」の本なので、「社会学」がどのような考え方を土台にし、どのような発展してきたかが丁寧に解説されています。
だからまあ、アリストテレスとかパスカルとかなら過去に何度か触れたことはあるし、ルソーやプラトン、マルクスなどもそうです。
そうしたこれまで何となく知っていて、本書を読んでなんとなく分かったようなような気になっている(分かったような気にさせられている)内容を積み重ねていくと、最新の社会学のダイナミズムに、社会学の地平のようなものに自分も触れられているような気にさせてもらえる。
まるで自分が社会学の探究者になったような気がする面白さ。
そんな好奇心に支えられて、難しいけれどページをめくる手が止まらない。
社会科学系の学生はもちろん、人文学系の学生にもぜひ読んでもらいたい本だし、大澤真幸の講義を受けて見たかったなあと思わせる本でした。 -
・参考図書指定科目:「社会学入門」
<OPAC>
https://opac.jp.net/Opac/NZ07RHV2FVFkRq0-73eaBwfieml/2j8XK7D8dDknpAHgZTWgRySX4Ln/description.html -
とても面白かった。まず社会学とは何か、社会学史をなぜターゲットにするのか、これまでの重要な社会学説をその考えからわかりやすく記述している。パーソンズ、ハーマン、フーコーについて、特に興味を持った。電子書籍で読んだので、紙の書籍を購入しようと思った。
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9/3 読書開始 序 P3-22
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podcastで紹介されていた本。
聴く講談社現代新書: 社会学史(大澤真幸) - 聴く講談社現代新書 on Apple Podcasts
社会学って聞いたことあるけど、どんな学問?って思ってる方がライトに読むには結構しんどいが笑、飛ばし読みでもそれなりに楽しめます。
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本書によると、社会学は、「社会秩序はいかにして可能か?」を問う学問である。
多くの学者・学説が紹介されていて消化しきれなかったが、面白かった点を3つまとめてみた。
■学問の分化のマップ
■ゲオルク・ジンメル:相互行為では内容より形式が大事である。
■マックス・ヴェーバー:合理は、非合理を前提にしている。
学問の分化のマップ
かつては学問は分離していなかった。
中世では神が真理(正しいこと)を示していた。
近代に入り、真理は神とは別に考察されるようになった。=神学と哲学の分離
哲学が神学とは別に、真理を探究する学問となった。
そして哲学は更に2つに分かれた。「哲学と科学の離婚」
一つは、経験的な観察や実験を用いて科学的に真理を探求する道。=■自然科学
もう一つは、人間の理性の能力により真理を洞察しようとする道。=■哲学(人文学、教養、学芸などの呼び名もある)
*哲学史における経験論VS合理論と構図が似ているように思うが、その点は本書では触れられていない
19世紀のフランス革命以後、政治体制や社会はどのように変化するのか、本来の主権が人民にあるのならそれはどのように用いればいいのか、などの問いが生じた。こうした問いに応えるべく生まれた学問が、■社会科学である。
これは離婚した哲学と科学の、いわば中間に位置する。
19世紀に支配的になった考えである自由主義では、「近代」を3つの機能領域の分化により定義した。そのそれぞれに対応する形で、代表的な3つの社会科学が生まれた。
■政治学:国家の論理を考える
■経済学:市場について調べる
■社会学:市民社会の論理を考える
また、「近代」を理解するためには「近代ではないもの」も理解する必要があり、そのための学問も生まれた。
■人類学:未開社会、文字を持たない人をフィールドワーク
*現在の人類学は必ずしも未開社会だけが対象じゃなさそうだと思うが、本書ではこう書かれていた
■東洋学:文明化しているが近代や西洋でない人たちをフィールドワーク(中国、インド、アラブ、ペルシアなど)
図にまとめてみた。
ゲオルク・ジンメル:相互行為では内容より形式が大事である。
社会は相互行為(≒コミュニケーション)によって成り立っている。
相互行為には「内容」と「形式」という2面性がある。
内容:コミュニケーションをする目的や動機。相手を口説きたい、説得したい、拒絶したい、だましたいなど。
形式:コミュニケーションをする方法や形。助け合う、競争する、分担する、喧嘩するなど。おままごとや社交の場は、内容を別にして形式そのものを楽しむものである。
また社会には「結合」と「分離」の2面性がある。
誰かと繋がりたいという「結合」と、誰かと離れたいという「分離」。
ジンメルは社会にとって重要なのは内容以上に形式だと考える。
内容の面で相違があっても、形式があれば分離を保ちつつ結合ができる。
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(感想)
Mr.childrenの「掌」を思い出した。
ひとつにならなくていいよ 認め合えばそれでいいよ
それだけが僕らの前の暗闇を優しく散らして 光を降らして与えてくれる
不寛容論とも類似性を感じる。
https://bc-liber.com/blogs/462d88904be4
リベログ
【不寛容論】情動的/認知的共感、伝統的寛容、不寛容。
こば
06/28 18:32
マックス・ヴェーバー:合理は、非合理を前提にしている。
プロテスタンティズム(カルヴァン)は「予定説」を採用する。神がどの人間を救いどの人間を救わないのかは最初から決まっていて、人間の意志では決められず、しかも人間にはそれがわからない、という二重性が予定説である。
最初から決まっていて、人間が何をしようと関係ないとなれば、怠惰な生活を送ってしまいそうだが、むしろプロテスタント達は勤勉に働き、結果として資本主義が発展した。それはなぜか?
プロテスタントは、「神は私を救ってくれるはず」と想定する。それならば、救われるであろう私は、神が与えた使命を全うすることが決まっているはずだ。だから私は天職(calling)に就き、勤勉に働くのだ。
このような考えで、プロテスタントが多い地域において資本主義が発達したのでは。とヴェーバーは分析した。
ここには非合理と合理の両立が見られる。合理は、非合理を前提にしている。
■非合理:「神が私を救う」という根拠のない思い込み
■合理:神が与えた使命を全うするために勤勉に働く
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(感想)
「合理は、非合理を前提にしている」というので考えたこと。
①
数学の公理は、理屈抜きに正しいという前提で成り立っている。
例えば、1+1の答えが2である根拠は、ペアノの公理によって説明される。
でも、ペアノの公理そのものが正しいという理由はない。
これは前提であり、「こういうルールの下に考えましょう」という類のものである。
だから、1+1=2も、言ってしまえば、ただのルールに過ぎない。
でもそのルールがなければ、色んな計算が成り立たない。
②
色んな分野で、「自分」というものの不確かさが指摘されている。
仏教しかり、物理学しかり。
でも社会は「自分」(自立した主体)を前提に作られている。
非合理な前提を元に、うまく合理的に生きていけるときはそれに乗っかればいい。
うまく乗っかれないときには、前提から問い直すことで生きやすくなるかもしれない。 -
2022/09/29 購入
2022/11/11 読了 -
名前だけはよく目にする「社会学」が何をする学問なのか、明確に説明できる人は少ない気がする。私もよくわからないので、COURRiER JAPONの有料会員特典で読めるようになっていた本書を読んでみた。
口頭での講義内容を書き起こした体裁になっており、文体としては読みやすい。ただ内容はやはり難しい。特にこういった人文系分野は各学者がどんどん新しい概念と新しい用語を繰り出してくるので、単語の意味をつかむだけでも一苦労だ。正直、半分も理解できていない気がする。
学史なので、古代から現代まで数多くの学者とその学説が紹介されている。本書で取り上げられた主な名前だけでも、アリストテレス、ホッブス、ルソー、マルクス、フロイト、デュルケーム、ジンメル、ヴェーバー、パーソンズ、シュッツ、ルーマン、ハーバーマス、フーコーの学説が紹介されている。一般に社会学者として扱われる人物だけでなく、哲学や心理学、経済学などの人も含まれるが、「社会」に影響したという点では確かに重要だろう。
著者によれば、社会学の目的は「社会秩序はいかにして可能か」を明らかにすることにあるという。社会なるものは確かに存在しているわけで、それが発生した経緯や仕組みについて解明するということだろう。それぞれの学説になるほどと感じる場合もあれば、無理な主張に思える場合もある。
また、本書の後半で触れられたルーマンとハーバーマスの論争に見られるように「社会がいかなるものか客観的に記述するだけ」という立場と「あるべき社会を作るための方法まで踏み込む」という立場に分かれているようだ。狭い意味での学者は前者であり、後者は政治家や活動家だという気もするが、学問の進展と同時に社会そのものも変化し続けているので、探求と実践はどうしても交錯せざるを得ないだろう。
著者自身も1958年生まれの社会学者ということで、20世紀後半に登場した学説については本人の主張も交えながらの紹介になっている。純粋な紹介ではなくなっているかもしれないが、生きた学問の片鱗に触れるという意味ではこういった書き方も良いと思われる。