ルポ 人は科学が苦手~アメリカ「科学不信」の現場から~ (光文社新書) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 政治的信条に科学的判断が左右される、というかそもそも科学的・合理的判断なんてできないよね、という話。科学者としては辛い。
    それを乗り越えるための活動が紹介されていて心強くはあるが、どれだけ実効性があるかは謎。
    アメリカの話だが、日本も対岸の火事ではいられないよね。

  • 科学大国でありながら、宗教大国でもあるアメリカにおいて、科学を信じない人たちはどのような人たちであるのかを説明した本。人は信念に反することならば、どんなに証拠を突きつけられても受け入れない。

    インテリジェント・デザイン論やフラットアース説を信じる人々は無知な人と思いがちである。しかし実際は知識がある上でそれを否定し、自分の信念にあった世界観を信じているのである。熱心な人達の中には、定説をなんとなく信じている人よりも詳しい人も存在する。まるでアンチの方が作品をしっかり見ているかのごとく。

    これを読むと、信念を持った人々と対話は可能なのかと思えてくる。どんなに証拠を突きつけたとしても、それは陰謀だ偽造だなどと言って受け入れない。そういった人々を無視できるなら話は簡単だが、中には反ワクチンやEM菌など、実害のある集団も存在する。どこまで対話すべきで、どこから強制的に進めるべきなのか、考えてしまう。

  • 主としてUSの人々の話。地球温暖化懐疑論はまだしも、創造論を本気で推す人が何十パーセントもいるというのに驚きました。確かに彼の国はテクノロジーが非常に進んでいる一方で、共和党トランプ政権が誕生したりする所に違和感を感じてはいましたが、それはつまり私自身の常識(≒民主党的な考え方)でしかものを見ていないからであって、そこには大きな隔たりがあるんだなと。そして隔たりが大きい場合、いくらデータや分析結果を大量に突き付けても会話にはならず、まず感情に寄り添うところからコミュニケーションしなければならないということ。個人同士でも集団同士でも、ベースの価値観が違うときコミュニケーションはロゴスではなくパトス・エトスをもって初めて成立するというあたりは、自分のコミュニケーションを自戒する意味でも色々考えさせられる内容でした。

  • 大統領選がほぼ終わった現在に読むと、今回の大統領選でしきりに言われていた「分断」の大きさに目眩がしてくる。

    本書は四部構成で、まず第一章では私たちが如何に「科学的」でないかを説明する。第二章で米国における反科学を概観し、第三章では創造博物館などの反科学の現場を巡る。第四章でこれまでの結果を踏まえた科学コミュニケーションの動きを伝えるという流れになっている。

    著者は新聞記者で、「共和党支持者は理性的ではないと思っていた」というような偏見を正直に吐露している。しかし著者の偉いところは、取材や学びの結果その偏見を修正できているところだ。

    第一章で紹介されている内容は、こういった分野に詳しい人間であれば聞いたことのある内容も多い。多くの人間は原理や原則を理解しているのではなく、権威がある人が言うから従っているに過ぎない。しかし、インテリは「正しい知識を与えれば人はこちら側についてくれる」と思いがちだ。その裏側にある前提が啓蒙主義であり、啓蒙主義が欠如モデルという誤ったコミュニケーションを生んでいるという整理は非常によくできている。実際のところ、人間は宗教や政治に関わるトピックでは知識が多くなるほどに信じたい情報を集めるようになるにもかかわらず、である。だから左派はトランプが支持される理由がわからず「知識」を振りかざし、右派はAlternative Factを探し求める。

    第二章で紹介されている米国の反科学事情は日本と少し異なる。その最大の特徴は反知性主義にある。勘違いされがちなこの概念を著者は正しく使っており、この部分でも信用できる。「知性主義」に対する思想である反知性主義はフロンティアを切り開く原動力になる反面、「権威」と化した科学に対する反発にも繋がっているという見立てである。もう一つのややこしい問題は福音派と共和党の結びつきだ。宗教的価値観を大事にして生命に関わるテクノロジーを否定したい福音派と、企業活動のために環境規制を受けたくない企業とが「政略結婚」により共和党支持に回っている。今後のアメリカ国内を見るときに補助線となる視点だった。

    第三章では実際に創造博物館(創造論を主張する博物館)などに足を運び取材を敢行する。考えてみれば当然なのだが、創造博物館に足を運ぶようなアメリカ人は聖書的には敬虔であり、インタビューにも快く応じる良い人である。おそらく、米国でリベラルな人々は彼らのことを「頑迷で聞き分けのない人間」として捉えているのだろう。

    第四章では科学者がどう科学を伝えていくか、という問題を解説する。意外にも、米国においてすらアカデミアの中では科学コミュニケーションが軽視されがちらしい。これは1945年以降、ソ連への対抗として国からの金が大学に流れ込んだことで、一般庶民への説明が必要ではなくなったことが遠因にあるという。この視点は本邦にも適用できるだろう。
    面白かった視点としては、「リベラルは悲観的な考えから未来を良くしなければならない」という発想でいくのに対し、保守は楽観的な視点から前に進んでいくという分析である。この前提の食い違いは本邦でも見事に色分けされているように感じる。
    米国において広がる科学不信に対して、科学コミュニケーションの現場で言われているのは「ロゴス・エートス・パトス」の3要素による説得だ。人は理屈だけ示されても納得しない。そして何より、相手を「向こう側の人」とレッテル張りしてしまえば、もう対話はできなくなる。

    アメリカの話を冷静に見た後に本邦の左右対立を見ると、左右ともにロゴスを積み上げて「向こう側」を貶す言説ばかりを見る。それでいて分断を嘆いてみせるのだからもうわからない。分断に対して危機感を抱いているのであれば、新書を読むくらいわけないだろうからとりあえず読んでみてほしい。

  • アメリカのトランプ大統領誕生から、なぜこのような現象が起きているのかについて、科学記者の目線から、人が理性的に判断することができない理由について書かれています。科学的、事実に基づいて見れば明らかなことだと思っていると、そうではない考え方をする人がいるということを理解することが出来ません。そのような、ある考えに対してはアンチ科学である人々が、なぜそのような考え方をしているのか、その背景を知ることの重要性が見えてきます。そのうえで、現代アメリカの科学の立場や問題点を、歴史的な背景から説明されていて、昨今の現象の理由が見えてきます。最後に、その問題に立ち向かう人々、科学者などの取り組みを紹介されています。世界にとって科学は重要ですが、それだけで成り立っているわけではないということ、科学第一という傲慢からも解放される必要があることを感じます。

  • 地球温暖化や進化論に関する否定論が米国で根強い理由をルポ形式で探っている。

    知識が多いほど、地球温暖化等を信じる度合いが党派性の違いにより大きく分かれるというデータは非常に興味深く、こういった特徴がアメリカ人固有なのか、それとも人間全般に当てはまる特徴なのかを見極められれば、科学教育の在り方や問題点も考えられたと思うが、残念ながら本書はアメリカに関するルポなので、そこは突き詰められていない。

    ところどころに感じられる著者の上から目線と、科学を信じられない保守系の人間をあほと捉えている前提でのルポの探り方が、より深い実態を明らかにするのを阻害しているように見えるが、しかし、経済、科学、技術等の面で世界一であるというデータしか普段見えていないアメリカの、意外な実態を知るという点では興味深い内容だった。

  • 米国における宗教と政治と科学の関係。人は科学が苦手なのではないか。進化から、人は石器時代の心で科学に向き合っているのではないか。人は自分が思うほど理性的ではない。どれほど事実で説明されても、それだけでは受け入れない。地球温暖化についても、創造論についても、遺伝子操作食品についても、事実では相手の考えは変わらない。どうしたら科学を受け入れてもらえるか?相手に敬意をもって地道に分かりやすく説明をするしかないのだろうと、ちょっと悲観的になる。

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著者プロフィール

神戸大学名誉教授

「2023年 『入門刑事手続法〔第9版〕』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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